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第10話 恋の証明作業は迷走する1
「バーカ。バカ、バーカ」
穂積は容赦なかった。
「ひでえ!」
「なんだよそれ。そこはお前が『やっぱりイベントなんか行かないよ。君が一番好きだから!』とか告白キメて、ひしっと抱き合うとこだろ」
「うわー、恥ずかしい台詞」
優人はぞっとした素振りで肩をすくめた。穂積はその肩をぽん、と叩く。
「恥ずかしい、とかいってどうするんだよ。恋愛なんてみんな恥ずかしいもんなんだよ。なりふりかまわずやるんだよ」
運転席で、ざるそばをすすりながら優人は黙る。
五月の下旬、今日は夏のような日差しだ。大きな公園の駐車場は、ケヤキの枝が上空をおおい、したたるような緑で染めている。
「竹林くんはやっぱ真面目っていうか、変なところで頑固でさ、筋通さないと気が済まないんだよなあ」
「相手のことじゃねえよ。お前だよ。なんで素直になんないかな。この期におよんでほかの男とヤりたいわけ?」
「いや、なんていうか、俺たちの手続き、みたいな」
サンドイッチを持ったまま横目でにらんでくる穂積に、優人はしたり顔で説明した。
「ほら、俺がイベント行くじゃん。で、『やっぱり竹林くんよりいい男はいなかった』って、連絡する。それでいいじゃん。俺はヤれる男たちのところへいって、それでもヤれない竹林くんのところに帰ってくるんだよ。そしたら、俺の気持ちは本物で、ただの欲求不満じゃないって証明できる気がするんだ」
「ただの欲求不満じゃないって?」
「初対面でちんこしゃぶってやるとかいったからね俺。体だけが目当てじゃないって証明したい」
前を向いて、うきうきと話す優人を、穂積はふたたびこづいた。
「でも最終的には体も欲しいんだろ?」
「そこはさー、健康な男子なんだから、しょうがないじゃん。昨夜だって、あともう一息の空気だったし」
「めんどくさいかけひきだな」
優人は心外だといいたげに目を丸くした。
「かけひきじゃねーよ。ちゃんと、『本物です』ってお互いにたしかめあってんの。手続き。プロセス大事!」
「幸せになれよ」
唐突に穂積がいった。優人は、突然真顔になった穂積に当惑する。
「そんなふうに考えられる相手に出会えてよかったな。お前は性欲が強すぎて――ていうかセックスに対する精神的なハードルが低すぎて、好きな人ができても自分でなにもかもぶっ壊すタイプだって心配してた。でも、大切にしたいものみつけたんだったら、もう手放すなよ。それでお前も、その人に大切にしてもらえよ」
優人は照れくさくなって、窓の外へ視線を逃がしたままうなずいた。ケヤキの木からの木漏れ日が、微風にきらきら乱反射していた。
「その人、そのうち俺にも紹介しろよ。『ユートは俺の弟みたいな奴なんだ、泣かさないでくれ』って、一言いっておきたい」
嬉しげな穂積の言葉に、優人は胸がいっぱいになる。黙って何度も頭を縦に振った。
渋谷。玄坂坂の裏から西側にひろがるラブホテル街の一隅に、クラブ「MaRe」はある。
周囲の路上には男女カップルの姿が多いが、エントランスを入れば、そこは男を求める男ばかり。梅雨入り前にもかかわらず、欲望うずまく人々の熱をさますようにエアコンの冷風が流れていた。
優人は、バルコニーのようにはりだしたバーラウンジのスツールに腰かけ、半地下になった大ホールの喧噪をながめていた。下っ腹にドラムンベースの重低音が響く。大音量に揺すられるように波うっている人の輪郭を、まばゆいレーザー光がとぎれとぎれに照らしている。
優人は首回りと脇の大きくあいた迷彩柄のタンクトップに、ダボっとしたカーゴパンツをはいていた。もともと小柄で細身だが、定期的に運動を続けているおかげで体はほどよく引き締まっていた。
手元には、ハラコ素材のクラッチバッグ。女みたいだと自分でも思う。いつもは、滅菌効果のあるボディソープ、潤滑剤、コンドームを入れて持ち歩いている。今日はかわりに携帯電話が大切にしまってある。
いつ席を立ち、誠一郎に電話するか、優人はそのタイミングばかりをそわそわと夢見心地で考えていた。
「ユートさーん! おひさです」
なつかしい声がした、振り返るとゲンキがすでにそうとう楽しそうな顔で立っていた。
「ほんとに来てくれるなんて、俺めっちゃ嬉しいっす」
ゲンキは体にはりつくような黒メッシュのTシャツを着ていた。ジルコニアの大きなピアスがレーザー光を反射してぎらぎら光る。
「お前も元気そうでよかったよ。どう新しい店は? うまくやってんの?」
ゲンキは一瞬表情をこわばらせ、すぐに気安い笑顔をつくった。
「ま、まあぼちぼちですよ。不況も長いんで、どこもこんなもんじゃないすか? 俺、飲み物とってきますよ。いつものでいいすか」
「うん、シーブリーズ。俺のだって言えよ」
優人はここのバーテンダーとは知り合いだった。いつもシーブリーズをテキーラ抜きでつくってもらう。アルコールに弱い優人は普段まったく飲まない。ノンアルコールのドリンクをカクテルグラスに注いでもらい、涼しい顔で飲むことにしている。
やがてゲンキが、自分用のバドワイザーと、グレープフルーツとクランベリーの香りのするグラスを持ってきた。
「もう誰か、みつけました?」
ゲンキは、優人の隣のスツールに腰かけた。一緒にホールを見下ろす。
「俺ね、もうこういうのやめるわ」
ゲンキの顔に当惑がうかぶ。
「こういうのって……」
優人はすがすがしく笑った。
「ステディな彼氏つくって暮らそうと思う。フリーセックス卒業するわ」
ゲンキの顔にうかぶのは落胆――まるで親友に裏切られた子供のような心細い顔になり、いきなりバドワイザーをあおった。手の甲でぐい、と口元をぬぐうと今度は、さびしさをごまかすように薄笑いをうかべる。
「嘘……ですよね。なに守りに入っちゃってんですか。らしくないですよ」
「らしくない、か」
「もっと人生楽しみましょうよ。俺たちの特権じゃないすか。どうせ結婚も子作りも一生カンケーないんだし。そんなこと言ったら、みんなが笑いますよ。『あのユートも、年くったもんだな』って」
優人はかろやかに微笑む。
「笑われてもいいんだ。ほんとにもういい年だしな。そろそろ誰かをちゃんと好きになりたいんだ。結婚とか、そういうかたちにならなくても、好きだったっていう思い出だけでもいいよ。オッサンになって、爺さんになって、なんにも残んなかったらさびしいだろ」
「まじ、ですか」
「だから今日は、これ一杯飲んだら帰るわ」
「そんな……」
絶句したゲンキの背中を、優人は親愛をこめてたたいた。
「そんな、さびしい顔すんなよ。縁が切れるわけじゃねーんだし、また二人で飯でもいこーぜ」
「えっと、あのでも、今日は……」
突然なにか思い出したように、ゲンキはあわてだした。きょろきょろとホールに視線をとばして誰かを探している。優人もラウンジから頭を出した。
「お前さ、俺をつれてきてくれって誰かに頼まれたんだろ。それともあれか、『ウリ専やってた淫乱連れてこい』って言われてたのか」
「あ……ユートさんは全部わかってるんすね」
ゲンキは肩をおとし、きまりわるそうな顔になった。
「今日はさ、一応、お前の顔をたててやりたいと思ったから来たんだ。お前は今も人気商売だし。いろいろつきあいとかあるんだろ」
「ユートさん……」
「その人に挨拶して、詫びいれたら俺は帰るから」
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