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第6話 着物 

翡翠が持って戻って来た着物は、全く知識の無い水谷にも一目でかなり良い物と知れた。相当値が張りそうだ。 「まだこれは袖を通していないのか?」 老人が尋ねた。 「はい」 翡翠は硬い表情で短く答えた。 「そうか。では、今着なさい」 さらに老人が命じる。 「お前に合わせてわざわざ仕立てさせたものだから出来が見たい。水谷さんにも見ていただくと良い」 ぼんやり着物を眺めていた水谷は、それを聞いて胸が騒いだ。翡翠がこの上等な生地を身に纏ったら――さぞかし美しいのではないだろうか。翡翠は黙って立ち上がり、着物を手に取り、部屋を出て行こうとした。だがそれを、老人が声をかけて止める。 「どこへ行く、待ちなさい――ここで着替えるように」 「え?」 翡翠と水谷は同時に声を上げた。 「それはいいですね」 言行(げんこう)が言う。 「水谷さんは着付けのやり方ご存知ないでしょ?一度ご覧になっとくといい。参考になりますよ。翡翠さんは慣れておられるから、なかなかいい着こなしされますし」 言行は、さっき会った時には翡翠に乱暴な口の利き方をし、呼び捨てにしていたくせに、今は翡翠さん、などとしらじらしく敬語で話している。多分井衛(いえい)老人の前だからだ、と水谷は思った。なんだか偉そうにしていたがきっと只の従者なのに違いない。そんな風に憎々しく思っていると、言行が立ち上がって翡翠の側に立った。着物を翡翠から受け取って訊く。 「翡翠さん、六尺は?」 それを訊いた翡翠は、一瞬言行を睨み付けると、また部屋から出て行った。 「六尺って……?」 水谷が呟くと、言行はニヤつきながら言う。 「褌ですよ。六尺褌。本格的な着付けをお見せしますから」 戻って来た翡翠は白い布地を手にしている。細長いそれを広げて言行は言った。 「じゃ、脱いでください」 脱ぐ?それはそうか。着替えるなら脱ぐのは当然だ。でも……褌から身に着けるということは……。水谷が納得するようなしないような思いでいるうちに、翡翠は着ていたシャツのボタンをはずして脱ぎ、次いでズボンを下ろした。白い肌が眩しい。 「それも脱いでさっさと素っ裸になってくださいよ。いつもやってるでしょ?」 下着だけの姿になって動きが鈍った翡翠を言行が促す。そんな……見世物にするような真似をしなくとも、と水谷は怒りを覚えて口を開きかけた。だが翡翠がそれを察したように水谷の方へわずかに顔を向ける。その目が訴えているのがわかった。黙っていてください、と。水谷が躊躇した僅かの間に、翡翠は下着を引きおろし、全裸になった。 「はい、じゃあ、そちらを向いて立ってください」 言行が翡翠を、老人と水谷の前に、正面を向いて立つよう促す。更に叱咤し、翡翠が身体の前に置いていた手をどけさせた。 「そんなかがんじゃだめですよ。堂々としててください……なんてことないでしょ。同性しかいないんだから」 彼の裸体は初めて会った時既に――そして抱いた時も見た。だが水谷は、目の前に立たされた翡翠を見て――なんとも言えない羞恥に襲われた。あれらの時と違い、彼の身体が晒し者にされているという状況のせいだろうか。 言行は翡翠をそのままに、水谷の方へ近付いてしゃがむと、手にしていた布をよく見えるよう差し示して言った。 「六尺なんて普段見ることないでしょう。これね、体に合わせて長さが決まるんです」 「そう……なんですか」 水谷は答えたが、講釈はいいから早く翡翠に着せてやってくれ、と考えていた。だが口は挟めない。 言行は所々で翡翠に手を添えさせて、彼の身体に布を纏わせていく。水谷はまともに見ていられず、わずかに身体からは視線を外し、翡翠の俯き加減の顔のあたりを見ていた。彼の白い首筋にほんのりと血が上っている。恥ずかしいのだろうと水谷は可哀想に思ったのだが、次の瞬間、それだけではない、と気がついた。言行の手が……布を扱う以外にも、恐らくわざとなのだろう、翡翠の身体にやたらと触れている。 言行は巧みにさりげない風を装いながら、内腿に触れ尻を掴み、更には陰部の辺りに指を這わせ――翡翠が微かに身を捩って、その手をなんとか僅かでも避けようとするのを楽しんでいるようだった。翡翠が嫌がっているのは確実だ。だが彼も、そして水谷も――何も言えない。 「これはちょっとコツがいるんですよ」 今では言行は翡翠を自分の方に向かせて抱え込むようにし、腕を両側から回して翡翠の足の間を潜らせた布の端を持ち、引き絞るようにしている。 「ここで充分締めとかないと、後から緩んできちゃいますから」 説明しながら指に絡ませねじった布を、翡翠の尻の中心に思い切り喰い込ませ、踵が畳からわずか浮くほど上に引き上げた。純白の布に割り裂かれた両の尻の肉が、締め上げられて張りと艶を増す。 「締め込みってやつです。前に垂らす部分をこうして後ろへ回すと翡翠さんの体つきにも合うし……これって粋なんだそうですよ?」 言行は言いながら前に余っていた布の部分を股へ潜らせた。その際にも、布に包まれた翡翠のその部分を擦り上げるようにするのは忘れない。それを始末し終わると、出来を確かめるように一歩下がって翡翠の身体をしげしげと眺めた。 「こんなもんですかねえ?どうです?翡翠さん。緩くないですか?」 腰の辺りにしつこく触れて締め具合を確認する――どうせ確かめるふりだろう、と水谷は不快に思った。 翡翠はこちらに背を向けたまま頷く。水谷は、これで後は着物を着るだけだからとほっとした。が、そう思いながらも一方では、翡翠の引き締まった美しい腰付きに魅せられてもいた。特にああして布が中央にきりりと喰い込んだ様は、彼の尻の、形の良さを引き立てている。 「翡翠?」 それまで黙っていた老人が突然声を掛けた。 「どうした?ひどく大人しいではないか」 背を向け、俯いてしまっている翡翠を、やや嬲るように老人は続ける。 「ひょっとして……昂ぶってきてしまったのではないだろうな」 老人がそう言うのを聞いて水谷はぎくりとした。翡翠は益々俯いている。 「やれやれ……そういう場ではないと言うのに。単に若いお客人に着付けのやり方を見せて差し上げているだけではないか」 そうは言うが、翡翠を晒しものにするのが目的だったのには間違いがない。なにもここで裸にすることはなかったのだ。水谷はなにか言おうと思ったが、その前に翡翠が向こう向きのまま弱々しい声で答えた。 「ちが……わかっています」 「ではこちらを向きなさい」 老人が厳格な調子で言った。翡翠は動かない。と、向かいに立っていた言行が、肩に手を掛けて強引にこちらを向かせた。 少しよろめいて無理矢理に向きを変えさせられた翡翠は、頬に血を上らせて唇を噛んでいる。顔に落ちかかった前髪に遮られて、水谷には彼の瞳は見る事ができなかった。老人はさらに命じる。 「そんな風にみっともなく背を丸めとらんで――きちんと立ちなさい」 翡翠が老人に従った。その翡翠の、白い六尺に覆われた下腹部に目をやり、老人は責めるように言った。 「そんなところをお客人に見せおって……はしたない。やれやれ、見境のないことよ」 布地に覆われた部分は、確かに翡翠自身の、やや立ち上がったものの形を浮かび上がらせている。だがそれは――翡翠に六尺を着けさせる際、言行がしつこく翡翠の身体を刺激したせいであるのだ。それを知ってか知らずか、老人は水谷を見て言った。 「普段独りきりで放っておくせいか、やはりなかなか躾けの行き届かないところがありましてな、特にこういう面で。先ほども申しましたように、外の方と見ると興味を持ってしまうのですわ。実はこれの母親も、行きずりの若い男の方を引き込むのを唯一の楽しみにしておりまして、恐らくその血をひいとるのでしょう……申し訳ないが着付けの続きは、またの機会といたしましょう。――翡翠」 老人は今度は翡翠に向かって言う。 「少し躾けをやり直さねばいかん。覚悟できておるだろうな?」 翡翠の顔から血の気が引いた。水谷もその老人の冷たい声音にぎくりとさせられた。

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