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第11話 縄 -5-

それから数度、言行と代わる代わる翡翠を抱いた。いや、老人に、抱くように命じられたのだった。水谷は拒みたかったのだが、翡翠に請われ──彼がそうしたのは命じられての事だったが──逃げられず――何も考えないようにして、機械のようにただ従った。 水谷は自分の身に起きている事が本当とは信じられなかった。こんな風に最も個人的な行為を、誰かに命じられ、見られながらやらされる、そんなことがあるのだろうか。だが水谷を受け入れる翡翠の肉体は――優しく、甘く、温かかった。水谷は、挿入した自身を締め付けてくるそこだけを――現実と思うように努力した。 途中で言行は何度か翡翠の縛めの型を変えた。むごく緊縛された翡翠の身体は、どの形で縛り上げられても、そんな行為を厭わしく思う水谷の目にすら、オブジェのように美しく映った。 縄を食い込まされた、白く柔らかい物質。それは男性器をぴったりと受け入れる、完璧な窪みを備えている―― 水谷は疲れて途中で朦朧としたらしい。気付くと老人の姿はなかった。 「井衛のじいさんなら、帰りましたよ」 言行が言う。 「随分とお喜びでした。翡翠を良く啼かせてくれた、って」 「……帰った?」 「ええ。あの人も大分調子が悪いんでね。そう長く見物もしていられないんでしょう。僕たちは好きなだけいていいって言ってました」 言行は翡翠の縛めを解きだした。やっと終わりにしてくれるのか、と水谷が思うと 「まめに縛り方変えてやらないとね、血行が悪くなっちゃいますから」 と説明する。そうなのか――なら縛ったりなどせず解放してやればいいものを…… 「縛りって言ってもただ苦しめるだけってわけじゃないんですよ。この子、イヤって言うけど、縛られて一度も痛いとはいわないでしょ?本人にも、辛いはずなのになんでこの状態で感じちゃうんだろう、という風に思わせたいんだな、僕は。まあ苦痛と快感の境目って言いますか、そこら辺の見極めは自信があるんです」 言行はふと手を止めると水谷に頼んだ。 「ああそうだ……犬にえさやるの忘れてた……すいません、水谷さん、台所の冷蔵庫に肉の残りが入ってますから、ちょっと投げておいてやってくれませんか」 逆らう気力も無かった水谷は、素直に立ち上がると下着だけ履いて台所へ行き、冷蔵庫の肉の包みをつかみ出してそこの窓を開け、庭のドーベルマンたちに向かって放った。2匹の犬は一塊の肉を奪い合い、鋭い歯で噛み千切ってたちまち飲み下した。 水谷が戻ると、言行は今度は布団に仰向けにした翡翠の手と足をそれぞれ縛り、膝を割ってから足首に手首をくぐらせるようにしてくくっている。空中で四肢を纏められた翡翠は、狩られた獲物のようだった。今度は目隠しと猿轡も噛まされ、そしてその様はやはり――哀れで美しかった。 「煙草、いいですか」 言行が布団の脇に胡坐をかいた水谷に尋ねる。水谷はぼんやりとしたまま頷いた。一体自分は、何をやってるんだろう―― 言行は立って隣の座敷の座卓の上にあった、煙草と灰皿を手に戻って来た。一緒に小さな箱も持っている。二人の間にそれらを置き、腰を降ろしながら言行は言った。 「水谷さん、映像関係なんでしょ?僕も昔そうだったんです」 水谷は言行の顔を見た。 「ジャンルはSMになるのかな、こういう縛り専門のフィルム作ってたんです。あとショーに出たりね。結構売れっ子だったんですよ。で、あるときここでの仕事の話が来て……井衛のじいさんに雇われたんです。特に専属になるって話ではなかったんですが、一度翡翠を縛ったら、他の仕事が味気なくなっちゃって、頼み込んでそうしてもらったんです。それまでの、それなりの稼ぎも捨ててね」 言行は懐かしそうに話している。 「以前はぽっちゃりした女性ばっかり縛ってたんですよ。まあそういう依頼が多かったってのもあるけど。やっぱりね、自由を奪うだけでなく、柔肌に食い込むっていうのが、縄の魅力が最大限出る部分じゃないかなと思ってたんで。異性の身体相手じゃないと楽しめないかと思ってたのにねえ」 煙草を取り出して咥え、火をつける。 「不思議だな、翡翠は痩せてるし、締め上げたってさほど食い込むってわけじゃないのに、興奮するんだな。趣味が変わっちゃったのかなあ。変えさせられたって言うか。翡翠のだったら、性器の周辺を嬲るのも楽しいんですけど、他の男のには興味持てないですねえ。信じらんないかもだけど、僕別に同性愛者じゃないんですよ。でも翡翠の身体にはすごく惹きつけられる」 水谷には現行の言う意味が理解できた――自分も同じだったから。 「さて翡翠は――今休ませると退屈で眠っちまうだろうから」 言行はいいながら、先ほどの箱を開けた。中の機械を――ちいさなローターだった――取り出すと、水谷に渡す。 「これ、入れといてやってくださいよ」 躊躇する水谷を見ると言行は笑った。 「あんだけ抱いといて、いまさらなに遠慮してんですか」 水谷は愕然とした。そうだ、すまない翡翠。俺には何もしてやれなかった。今更――いまさら庇おうとしたってもう遅い――。水谷は翡翠に近付き、剥き出しにされているそこに機械をあてがい、ゆっくりと押して彼の体内に埋め込んだ。翡翠はたまらない風に小さく身を震わせた。 水谷が挿れたのを見ると言行は、機械に繋がるコードの先のスイッチを入れ、それを布団の上に放り出した。縛られた翡翠はなす術もなくコードを垂らしたそこをこちらに晒し、猿轡の下から小刻みに息を吐いて身体を痙攣させている。その翡翠の様子を眺めながら言行はタバコを咥えなおし、再び話し出した。 「水谷さんも会社辞めて、じいさんとこに弟子入りしたらどうですか。あの人、都内にビルやらマンションやらいくつも持ってて、それあてがってくれるから家賃なんかは払わなくて平気ですよ。給料はまあ、経費と言う名目だから大して出ないけど、じいさんの気が向けばこうして翡翠の身体で存分に楽しめるし、後は自由時間でのんびり暮らせます」 ゆっくり煙を吐く。その香りにつられて水谷も、煙草の箱に手を伸ばした。 「今までももちろん弟子入りしたいって言う男が何人もいました。でも僕みたいに特殊技能があれば別だけど、他にじいさんのお眼鏡に適うのはね、なかなか。でも水谷さんのことはかなり気に入ってるようだから、申し出ればきっと承知してもらえますよ」 「気に入られてるなんて……そんなわけ」 「いやホントですよ?じゃなきゃこうやって自分が帰った後に置いてきゃしないですもん。翡翠が本当にあんたに惚れたみたいだから――それで気に入ったんじゃないかなと僕は睨んでるんだけど。いい趣味ですよねえ、富豪ってのは。お互い惹かれあってるのを、こうして俺も交えてまぐわせる事で貶めて、無理矢理ただのセックスフレンドにしちゃおうってんだから。まあ翡翠もああいう子だから?好きな相手に嬲られるのもまんざらじゃあなさそうだけど」 水谷は、煙草に火をつけようとしていた手を止めた。口の端に咥えていたタバコが畳に落ちて転がる。 翡翠がホントに俺に惚れてる?そんな。まさか。いつもしてたという風に、翡翠は俺を気まぐれで引き込んだんじゃないのか?――単に自分を抱いてくれる男だったら誰でも良くて。お互い――惹かれあってる?俺は翡翠に――惹かれてるのか?同情じゃなく? 「本音を言うとアシスタントが欲しいんですよ。普通のは一通り施しちゃったし、翡翠は吊りも似合いそうだからやりたいんだけど、やっぱ僕一人じゃなんかあった時危険だし、そこまでは手に余るから。でも水谷さんが手伝ってくれれば可能だな」 また煙を吐きながら言行は言った。そして煙草を咥えたまま、思い出したように翡翠に近付いた。 「どうだ。愉しんでるか?」 機械のコードをつまみ、前後させる。翡翠が頭を振って呻き声を漏らした。 「ウぐ……んん……クッ……」 「ずっと同じ位置じゃ面白く無いだろ――すげえな、こんなに悦んじゃって」 硬くなっている前を言行が手の甲で軽くさすり上げると、翡翠は緊縛された不自由な身体のまま、さらにそこを擦り付けようとした。猿轡の下から甘い声を出す。 「ふ……んゥ……」 「こっちはもう少し我慢しろ」 言行は冷たく言うと翡翠から離れ、また灰皿の前に座った。 「この家古いけど作りは立派だから、ぶっとい梁がいくつもあるでしょ。ああいうとこに吊ったら、嬲り放題ですよ。そそられません?」 言行はタバコをもった手で、部屋の上の方、境の黒光りする梁を指差す。 「想像してみてください。宙吊りにされちゃうと、抵抗のしようがないだけでなく不安も増すから、翡翠自身の怯え方も相当なもんになるでしょうね。そうなったら――肉体だけじゃなく心も差し出して、相手に縋るしかなくなるんです。差し詰め只の肉人形ってとこ。それを僕ら二人で自由にできるんですよ。魅力的でしょ?」 肉体だけでなく心も?そんな残酷な――。その時ふと、先ほど見た現行のドーベルマン達を思い出した。投げられた肉を奪い合い、鋭い歯で食い千切り、飲み下していた凶暴な獣。その2匹の姿が自分と言行に重なった。脳裏に鮮やかな映像が浮かぶ。二人の男が、縛られ、吊り下げられた翡翠の肉体を貪っている。それは残虐でおぞましいイメージだった。 駄目だ――これ以上ここにいてはいけない、と唐突に水谷は思った。翡翠の味方になってやりたくて残ったつもりだったが、このままではただ翡翠を嬲る道具に使われるだけだ。俺がここにいると、さらに彼を追い詰める。 翡翠を見捨てるのか、そんなささやきが耳元で聞こえた。だが、水谷は、そうじゃない、俺がいてもなんの役にも立たない。出て行くのは――彼を守る為なんだ、と無理矢理自分に言い聞かせた。 「ウ……ん、ん!んぐ……」 突然翡翠が声を上げた。言行が 「ん?限界かな?」 と呟く。 「水谷さん、ちょっと抜いてやってくれますか。俺まだ煙草残ってるから」 自由を奪われたまま身体をヒクつかせている翡翠に近付くと、水谷は埋め込まれたローターをそっと引き抜き、翡翠の張り詰めた前を扱いてやった。思わず名を呼ぶ。 「翡翠……」 「んう……ふ……んん……」 苦しげに……が、鼻にかかった切ない声を漏らし、水谷の手に縋るように腰を揺すり、自身を委ねてくる翡翠を見て、やはりこの子が愛しい、できれば側にいてやりたい、と思った。だが―― 放置されて待たされていた翡翠はすぐに達した。その後もしばらく荒い息を吐いていたが、やがて眠ってしまったのか静かになった。その耳元で水谷は 「翡翠、ごめん――助けてやれなくて、ごめん――」 と呟いた。情けなくて声が震える。すると眠っていると思った翡翠が――微かに首を横に振り、唇を動かした。はっとして水谷は、彼の猿轡を外してやった。さらに目隠しを取ろうとした水谷に、翡翠が囁く。 「待って。それは、取らないで下さい。顔、見ないで……このまま行って……」 顔を見るなというのはなぜなのか―― 「水谷さん、助けてなんて言って、巻き込んでごめんなさい……いいんです、ほんとに。平気ですから……ありがとう、さよなら……」 それを聞いて水谷は泣きたくなった……だがその後――荷物を纏めて翡翠の家を飛び出した――

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