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第13話 言行

言行は翡翠の家から都内に戻って来ると、井衛の屋敷に顔を出した。使用人が対応し、井衛は床についているが短時間なら会うと言っている、と伝えてきたので寝室へ赴いた。重そうな木のドアを叩く。 「井衛様。言行です。戻りました」 「うむ」 中へ入ると老人は鼻にチューブをつけ点滴を繋ぎ、土気色の顔でベッドに横たわっていた。 「……あの男はどうした……」 「ああ、水谷さんですか?逃げられちゃいました」 「そうか……」 老人はそう答えると目を閉じた。表情に生気が無い。その様子を見て言行は、 「では……失礼します。どうかお大事に」 と挨拶し、すぐに寝室を辞した。 屋敷の長い廊下を歩きながら考えた――あんなに悪くなってるとは。あれはもう――あまり持ちそうに無い。この家の跡継ぎには、翡翠はどうか知らないが、俺の事に関しては話が通ってないようだから、じいさんが死んで放り出される前に何か金になるもんでもせしめておいた方がいいかもしれないなあ―― 屋敷内の一つの部屋の前で立ち止まり、ポケットから鍵を出して扉を開ける。中には大きなデスクがあり、その上にモニターが複数据えられていた。 翡翠は知らないことだが――暫く前に言行が進言して、翡翠の家に監視カメラを配置させてあった。幼かった時の翡翠はただ従順で、普段もおとなしく家にいたのだが、10代も終わりになればいくら躾けられていても自分の意思が出てくる。逃げ出す事はしないようだが、寂しさのあまりか、ごくたまに通りがかりの、事情を知らない人間を引き込んでしまうことがあった。昔彼の母がそうしていたように。そのため何があったか確認できるようにしておいた方が良いと言行は井衛に言ったのだった。 あの家の通常の警備は専門の会社が担当しているから、言行が四六時中監視する必要はない。時間がある時にこうして録画された映像を確認し、必要そうな部分を井衛に報告すれば良かった。しかしその仕事以外にも言行はちょくちょくモニターを見に来ていた。翡翠が一人で自由に振舞っているのを見るのはなかなか楽しかったし、それにあの子は冬のさなかにも素裸で海に潜るのだ――その姿は人間離れしていて美しい。カメラの画質はそれほど良くはなかったが、それでも翡翠の無防備な姿態を観察するのには充分だった。 数日前の映像を再生させる。そこには翡翠と、水谷の姿が映っている――カメラの中の水谷はひどくぎこちなく、終始翡翠にリードされているようだった――二人がその時に交わした心の交流を知らない言行の目には、それは稚拙な行為に映り――これじゃあ水谷が逃げ出したのも無理はなかったな、と考えた。水谷(こいつ)には翡翠を扱うほどの度胸は無い。こんな控えめで遠慮深いやり方じゃ、あの子を本当に悦ばせてやるのは無理だ。でもじいさんはこれを見せた途端、すぐ翡翠の元に行くと言った。どうしてだろう。 言行にとって危険に思えるのは、翡翠の資質を見抜いて暴力的な行為に及ぼうとするであろう連中だった。あの子は精神は強靭だが、体つきは細いし力も大して無い。柄の悪いのに好き勝手にされて、綺麗な肌に痕が残るような傷でもつけられてはたまらない。今のところそういう荒っぽいタイプはあそこに現れていないようだが、万が一そうなったら、隣接の町から警備の人間を向かわせることになっている。 じいさんがあの田舎に翡翠を置いているのは、まあ正解だろう、と言行は思っていた。村の連中はあそこには近付かないから安心だし、翡翠も母の事があるから逃げ出さない。へたに都会(こちら)へ連れてくれば接触する人間や余計な情報が増える。そうしたら、今は純朴で素直な翡翠がどんな影響を受けるかわからない――面倒を避けたければこの屋敷にでも監禁して一切外へ出さなければいいのだろうが、じいさんはそうはしたくないようだ。その気持ちはわかる。翡翠の魅力の一部になっている頑なさ――いまだ完全に隷属しないでいる部分は、ああしてあの家である程度自由に生活させているから保たれているのだろう――美しい動物や植物も、ただ部屋に閉じ込めては色褪せる。そうだあの子が綺麗なのは……あそこにいるからなのかもしれない。 画面の中では、水谷が翡翠と交接している最中だった。同性と寝るのは初めてだったんだろうな、と、言行は見ていてそのぎこちなさに思わず微笑を浮かべた。あれじゃ翡翠だって……ちゃんとイけたかわからない。あの子が水谷を気に入ったのは、多分あの純情さが目新しかったからだろう。只の気まぐれだ。翡翠も水谷に逃げられてショックだったろうが、なんにしても、いずれはそうなる運命だったに違いない―― その後の映像に切り替えた。翡翠がちょうど、海に潜っている所だった。浜辺の方向を映すカメラからはやや距離があるが、映像に捕らえられる翡翠の若い肢体は美しかった――それを眺めていると、画面の端、まばらな松林の中で何かが光った。太陽の光がガラスか金属のゴミにでも反射したのだろう、と言行は考えたのだが――なぜだか妙に気になった――

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