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第14話 呪縛

翡翠の母、鈴乃(すずの)が産まれた北波多(きたはた)家は、昔は網元で土地一番の有力者だった。井衛の母は、その北波多の遠縁にあたる。 まだこの村が漁業で栄えていた当時、井衛の両親は、海からやや離れた場所に小さな紡績工場を開いた。両親は母の親類である北波多の家に出資を求めたのだが、北波多は金はあるのに助けてはくれなかった。そのせいでそれをややあてにしていた井衛の両親の工場は、はじめは立ち行かなくてかなり難儀した。が、その後、苦労してなんとか出資者を確保し、工場経営もどうにか順調に行き始めた。だが、そのことから家同士の確執が生まれた。 陸の仕事はしないと頑なだった北波多家だが、やがて港の漁獲高が落ちてきたことにより没落し始めた。資金繰りに行き詰まって漁船が思うように出せなくなってしまったため、紡績で成功し、その頃には工場をこの村以外にも幾つか持つまでに発展していた井衛家を頼った。 当時身体を壊した父に変わって、すでに井衛が商売を取り仕切っていたのだが、工場を始めたとき北波多家が援助しなかったせいで両親が必要以上に苦労を強いられたと言う記憶があった井衛は、すんなり助けてやる気になれなかった。そのため、金は出してやるがその見返りに、鈴乃を差し出せと条件をつけた。 当時井衛には既に妻も子もいた。あきらかに妾としてだとわかっている条件に、北波多の両親は素直にうんとは言わないだろうと井衛は思ったのだが――彼らはよほど切羽詰っていたのかすぐに承知した。 井衛が出資したことによりやや盛り返した北波多家だったが、その後も漁獲高は落ち続けたため結局立ち直ることはできず――やがて離散した。漁港は寂れ、今ではわずかに残る古い設備が当時の繁栄を思わせるだけになっている。村には漁業を営む者もいるが、地元の市場で売る分しか水揚げされていない。 井衛は鈴乃を妾として引き取ったあと、村外れの浜辺に以前建てて、別荘代わりにたまに使っていた家に住まわせたきり暫く放っておいた。当初井衛は、北波多に対する復讐心があっただけで、鈴乃自体にさほど執着があったわけではなかったからだ。 その後――はじめて気が向いて、井衛が鈴乃のいる家に車を向かわせた夜――到着した際に家の裏口から、ばらばらと数人の男が逃げ出していく様子が見えた。 一体何事かと中に入ると、鈴乃はおらず、部屋に無理矢理毟り取られたらしい洋服が散乱している。従者と共に辺りを探すと、鈴乃は家の前の浜で、裸でうずくまり、腰まで冷たい海に浸かっていた。井衛はすぐ医者を呼んで手当てさせた。 北波多家は繁栄していた頃、雇い人などを中心に金を貸してやっていた。それが資金繰りに困りだしてから、貸しつけた金をムチャを言って暴利で強引に取り立てるようになっていたらしい。そのため、鈴乃の身内は村の人々からかなり恨みをかっていたようだ――家が力を失って、今では彼らは村から逃げ、隠れるようにして暮らしている――やがて村の若い連中が、北波多の娘の鈴乃が一人でこの家に囲われているという噂を聞きつけ、仕返しのつもりか家に押し入り彼女に乱暴を働いていったのだ。井衛はそれまで知らないでいたのだが、その行為はどうやらこの一度だけの事ではないらしかった。 事情を知って井衛は怒り狂った――鈴乃の家には井衛も恨みがある。しかし北波多は、遠いとは言え母の血縁だし、鈴乃は自分のものだ。その鈴乃に村の連中が勝手な振る舞いをするとあれば――放っては置けない。 当時漁業でやっていけなくなった村の雇用は井衛の工場に頼っており、村人の殆どがそこに雇われているような状況だったので、井衛には大きな影響力があった。これから北波多の家の者に手を出すことは自分が許さない、井衛は村の人間皆にそう通達し、鈴乃と彼女の家族の安全を確保した。逃げ隠れしながら暮らしていた鈴乃の両親には、なんとか暮らせる分の生活費と定住先まで与えてやり――後に二人が亡くなるまで井衛が援助してやった。 かつては恨んだ北波多家から、弱みをついて娘を取り上げ復讐したが――結果彼らを村人から保護するという井衛が自分でも困惑するような奇妙な事態になった。村の人々もまた困惑し、最終的には鈴乃とその両親の存在を一切無視するようになっていた――暴力こそ受けないが、そこにはいないものとして扱われるようになったのだ。 井衛は時折鈴乃に会いに出向いた。特に期待はしていなかったのだが、鈴乃はかなり美しい娘で、井衛は自分で思っていたよりも彼女に惹かれるようになった。無理矢理妾にしたことを恨んではいるだろうが、同時に自分は鈴乃と両親を助けてもいる。いつかは心を開くかもしれない、井衛はそう期待した。 もうあきらめていたのか、鈴乃は身体だけはすんなり差し出した。しかも井衛が驚いたことに、彼女は(ねや)では奔放で、井衛を翻弄し、操った。はじめはその大胆さに夢中になった井衛だったが、やがて気付いた。鈴乃は井衛に、彼女自身を扱わせる事を許さない。彼女は行為の最中、自身の感覚のみに忠実で、井衛から悦びを与えられ、感じさせられることを拒んでいる。そうすることで井衛に逆らったのだ。 井衛はそれが許せず――段々やり方がきつくなった。(つい)には鈴乃を縛り上げて自由を奪い、鞭で打ち据え、道具を使い――なんとか彼女を屈服させようとした。が、鈴乃は変わらず、ただ井衛の仕打ちに耐えるだけで……やがては心を病み、永遠に彼の手の届かない所へ逃げた。自分の子を産ませれば態度も変わるかと井衛は考えていたのだが、鈴乃が身ごもることはなかった。ひょっとして石女(うまずめ)だったかと思い始めた矢先、井衛は交通事故に遭い、不能になった。 皮肉なことにその後暫くして鈴乃は妊娠した。あきらかに自分が父親ではない――井衛の中に残忍な感情が生まれた。鈴乃が駄目なら、代わりにこの子供を自分のものにすればいい。心まで支配できるように―― 生まれたのは男の子だったが、井衛には子供の性別など関係なかった。この子は全て自分好みに教育を施し、仕込む。自分が好む反応以外は、出来ないように躾ける。鈴乃のように、自身の持つ感覚で悦びを得ることは許さない。 子供は鈴乃が翡翠と呼んだ。翡翠は井衛によく仕え、よく応え――母の代わりに井衛を満足させた。井衛は翡翠が気に入った。 やがて井衛は翡翠の特質に気がついた。自分の代わりに翡翠を抱かせた他の男達が、翡翠によって変えられていく。自分が創り上げた美しい生き物に、彼らが魅せられていくのを見るのは(こころよ)――それもあって、たまにあの子が外の男を引き込むのは見逃した。が、翡翠が自分の支配下から出、自由に翡翠自身の反応を見せるのは許さなかった。あの子に自分の感覚はいらない。あれは男に()かされる為に、自分が作り上げた作品だから。そう、あの子は自分の物だ。たとえこの先、自分が死んだその後も――

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