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第17話 像
翡翠を撮った写真を現像する。やはり美しかった。今度はすぐ近くから彼の裸体を捉えているので、肌の滑らかさまで写し取れた様な気がする。背後に広がる海はその翡翠の姿を神秘的に見せ、引き立てていて――東堂は満足だった。
ポーチに続く窓の前に立ち、外の浜を見下ろしながら煙草を吸っていると、チャイムが鳴った。こんな不便な所にセールスは来ないし、東京から誰か来るという連絡もない。まさか翡翠か?とやや胸を躍らせてドアモニターを確認すると――そこに立っていたのは見知らぬ男だった。品のある顔立ちだがどことなく冷たい印象を受ける。洒落たスーツを着て小脇にアルミ製のアタッシュケースを抱えているが、しかしビジネスマンという雰囲気でもない。
東堂はモニター越しに尋ねた。
「どちら様――?」
「あ、言行と申します。翡翠さんのことで、ちょっと」
「え?」
翡翠の?とりあえず中へ入れる。
「コーヒーかなにか……」
「いや。おかまいなく。写真家の東堂さんでしょう?」
「は。そうですが……どうして……」
翡翠が話したのだろうか?そう疑問に思っていると、言行は答えた。
「東堂スタジオったら有名ですもん。僕、むかし映像関係にいたから。で、どうでした?翡翠は。誘われたんでしょ?」
「え?」
東堂はぎくりとした。
「どういう――意味ですか」
「いやそのまんまの意味ですよ。あの子、色っぽいでしょう。あれ?ひょっとしてまだ抱いてなかったんですか?ご自宅に連れてったようだったからてっきり……遠慮しなくて平気です、嫌がりゃしません。そういう風に育てられてますからね。――そうそう」
抱いてって……一体この男は何を言ってるんだ。東堂が押し黙っていると、言行は持っていたアタッシュケースを開いてテーブルの上に置いた。中にはノートパソコンとディスクが収められている。
「これね、井衛ってじいさんとこからコピーしてきたんです。翡翠んちの監視映像」
「……監視?」
言行は解説しながらディスクを再生させた。
「そう。あの家、監視カメラがしかけてあるんです。一応、彼が普段ひとりで何してるか把握しとけるようにね。まあ見て下さいよ。面白いとこだけ抜き出してきたから」
一体どういうことなんだろう。カメラをしかけて?じゃあ自分があそこに行った事も――この男は知ってたのか?
そんな覗き見などしたくはない、と東堂は思ったのだが、目は画面に吸い寄せられた。翡翠の家の座敷が俯瞰から捉えられている。翡翠は浴衣姿で部屋の中央に敷かれた布団の上に仰向けに足を開いて寝かされており――下着はつけていないようだ――その足の間に白衣を着た、医者らしい男がいた。身体に隠れて何をしているかまでは写っていないのだが、医者が腕を動かすたび、翡翠は布団を握り締め背を仰け反らせて悶え――音声は無いのでわからないが、声を上げているようだ。
「雇われてる主治医なんですがね、なかなかのスケベで。だんだん使う器具が大胆になってきてるから、そろそろアレもお払い箱にしないとまずいかなあ……じいさんに言っとかなきゃ」
翡翠は今度は指示を受けて四つん這いにさせられている。医者は翡翠の着ている浴衣の帯を解き、それで彼の両手を縛って纏めると、頭を押さえつけて腰を高く上げさせた。翡翠は大人しく従っている。すると医者はその後ろに回って浴衣を捲り上げ、下半身を露出させた。翡翠の尻を割ってガラス製の器具の先端を、その奥にゆっくり挿入していく。それを見て東堂は青褪めた――あれは……
「ここから大分マニアックな映像になっちゃいますけど――大丈夫ですか?」
言行に問われて東堂は力なく首を横に振った。
「そうか。じゃ、この部分はやめときましょ。僕もああいうのはあんまり趣味じゃないんで。でもあの医者もはじめはあんなじゃなかったんですよ?ごく真面目な男で。けど翡翠と関わってるうちに、ああいう趣味に目覚めちゃったと言うか、目覚めさせられちゃったと言うか……煙草、いいですかね?」
言行は映像を止め、東堂が頷くのを確認すると、テーブルの上にあった灰皿を引き寄せ、上着の内ポケットから煙草を出して火をつけた。
「あの子もまあ……悪いんですよね。いやだいやだって言いながら、逆に身体を差し出してくるような真似するんだから。この映像でもそうだったでしょ。首横に振って嫌がってるけど、腰はあんな風に大胆に医者の前に突き出しちゃって。あれじゃあ男としちゃ、満足させてやらなきゃという気になるじゃないですか」
そう言われて東堂は思い当たった。唇を奪われた瞬間に翡翠が見せた、全てを東堂に預けるようなあの様子。あれを見て、そうだ。自分も思わず彼を――
「ま、それもじいさんの教育の成果だから、翡翠本人のせいじゃないんですけど。男の本能――支配欲とか征服欲みたいなもんを、無意識に刺激するように仕込まれちゃってんですよね」
「じいさんて……?」
「翡翠をあの家に囲ってる大金持ちです。事業に大成功して、都内にいくつもビルを持ってますよ。まあ、元はあの子の母親をお妾さんにしてたようですが」
「じゃあ……翡翠はその人の……」
「いや。そうじゃないみたいですよ?じいさん、大分昔に事故で不能になってるって話だから。母親はいつからなのか、可哀想に気がふれちゃっててね、今はどこかに入院させられてるようです。それもあって翡翠はあの家から動けないんですよ。じいさんが今も翡翠を囲ってるのはただの道楽でしょうね、自分じゃ抱けないわけですし」
ここから離れられない、そう寂しそうに言った翡翠を東堂は思い出した。そうか、それで――
「昔はその母親も翡翠みたいに、寂しくなると通りすがりの男を引っ張り込んでいたようだから、父親はそのうちの誰かなんでしょう。僕が思うに、あの肌とか目の色見るとロシア人船員あたりが相手じゃないかな……以前はすぐ近くの漁港に外国籍の船も出入りしてたようだから」
煙草を灰皿に置くと、言行は映像を早送りした。
「これはどうでしょ。楽しめますかね?」
現行の前にあるモニターに映し出されたのは、荒縄で無残に縛り上げられた翡翠の姿だった。男が二人いる。一人は言行と――もう一人は――?
「こっちは僕ですが、この人は――みず……水谷って言ってたかな。たまたまこっちに来た時、東堂さんと同じく彼も翡翠に誘惑されたんです。でも純情な人だったみたいでね……翡翠を扱いかねて逃げちゃったんですよ。あ、この人も映像関係だって言ってた。翡翠はどうも、そういう方面に縁があるんだな、あなたといい……」
言行は吸いさしの煙草をまた手に取った。
「こんな田舎の誰もいないとこにいるせいか、翡翠は自分の容姿にまるで無頓着で……綺麗な子なのにねえ。でもそこがまた良くないですか?他人の視線を常に意識して、自分を演出するのに慣れ切っちゃってるタイプと比べると、ものすごく無防備なんで、素材として非常に面白いです。僕ねえ、おこがましいけど自分の縛りはね、性技というよりアートだと思ってんですよ。だから翡翠を縛るのは、彼とのコラボレーションというか、そんな感覚で。ヘンな話、挿入なくても満足できるんです。まあ大概挿れちゃいますが」
饒舌に語りながら言行は笑った。
「東堂さん、縛られた翡翠、どう思います?」
東堂は答えなかった。答えられなかったのだ――が、映像を見る目つきで伝わったのか、言行はそのまま勝手に話し続けている。
「美しいでしょ……身体が柔らかいからどんな縛りの型にも応えてくれて――たまんないです、僕としては。またあの子の表情がね。口じゃやめてって言いながら、恍惚としちゃってんだもん。追い詰められた時の顔がまた良いんですよねえ……あの縋るような目つき。あんな目で見られちゃ自制できる男いないですよ……」
やがて言行は立ち上がると、
「じゃあ、僕帰ります。これ、お宅でも再生できるから差し上げますね」
と言い、ディスクをケースにおさめてテーブルの上へ置いた。
玄関へ立って靴を履く間に
「ああ、これ言いに来たのに……肝心なこと訊くの忘れてました。東堂さん、よかったら、今度僕が縛った翡翠を撮ってみませんか?」
と尋ねた。東堂が口ごもっていると、言行は笑って
「その気になったら……きっとその気になると思いますが、連絡下さい。じゃ」
と言って名刺を渡し、出て行った。
彼が乗ってきたらしい車のエンジン音が遠ざかっていくのを聞きながら、東堂は部屋に戻ってさっきのディスクを見つめた。プレイヤーにかけて再生する――映像の中では恥部を晒す形で縛り上げられた翡翠が、男を受け入れ、頭を仰け反らせて喘いでいた。早送りしているうち、浜辺の映像が現れた。やや遠いが、自分と翡翠が映っている。
やがて記憶の通り、波打ち際で座り込んだ自分を、翡翠が被さるようにして助け起こそうとした。そして――
そこで東堂は映像を止めた。画面では、二人が唇を重ねている。あの映画の場面のように。
翡翠の冷たい唇。
こうしている今も、あの子はあの家に閉じ込められ、男たちに弄ばれ続けているのだ。
助けてやりたい。翡翠の唇の感触を思い出しながら、東堂は思った。
そうだ、助けてやりたい――
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