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第18話 東堂
それから数日して、東堂はまた翡翠を訪ねた。翡翠は東堂の顔を見ると、哀しそうな、ほっとしたような、複雑な表情をした。
「これ、君が好きって言ってたワイン、まだもう一本あったから」
「ありがとう……」
翡翠は嬉しそうに、両手で丁寧にその瓶を受け取った。それを胸に抱くようにしながら言う。
「もう……来てくれないだろうと思ってました……」
「なぜ?」
東堂の問いに、翡翠は
「言行さんと……会ったんでしょう……この間言行さんが来て、そう言ってたから」
と呟くように言った。
「俺のこと聞いたんでしょう……だからきっと……嫌がられるだろうなって」
「嫌がるわけがないだろ!」
東堂はつい叫んだ。翡翠は目を見開き、それからもう一度、ありがとう、と言った。
「良かった……まだ、友達でいてもらえますか?」
「もちろんだよ……」
東堂は頷いたのだが、なぜか友達、という言葉にやや寂しさを覚えていた。そうしてから、なぜだろう、と考えた。俺と翡翠は友達じゃないか。なにが不満なんだ?友達じゃあ……物足りないって言うのか?
「あの、今日、食材届いたんで。何か作りますから、ご飯食べてってください」
翡翠がすすめるまま東堂は部屋に上がった。
通されたのはいつもの居間だった。この間の映像には写っていなかったが、ここにもおそらくカメラがあるんだろう。翡翠はいつもああやって見張られて――自由なんか無くて――
窓からは庭の生垣が見え、その向こうに青く輝く海が広がっている。
外の世界がすぐそこにあるのに、翡翠はこの家に縛り付けられている。あの海を、空を眺めながら、あんな扱いをする連中に仕え、ひたすら耐えているなんて――俺ならたぶん精神が持たない。そうだ、翡翠だって……この間、自分はきっとおかしいと言っていたじゃないか。ここにこのまま放っておいたら、彼はそのうち本当におかしくなってしまう。気がふれて入院させられてるという、あの子の母親のように。
東堂は部屋の中央に立ったまま振り返った。ちょうどそこに、湯飲みを盆に載せて戻って来た翡翠がいた。その腕をいきなり掴んで引き寄せる。驚いた翡翠が盆を取り落とし、湯飲みが落ちて畳に茶がこぼれた。
「東堂さ……」
言いかけた翡翠を抱え込むようにして接吻した。思った通り翡翠は抵抗しなかった。今日の彼の唇は――温かい。
東堂は翡翠を抱いたまま辺りを見回した。どこで見張ってるかわからないが構うものか。見ていろ、俺は翡翠を――自分のものにしてやる。そう挑戦的に考え、翡翠を押さえつけて、引き剥がすように服を脱がせた。
翡翠の身体は言行が言ったように、驚くほど柔らかかった。その柔軟さで――監視カメラをやや意識した東堂の強引な行為を、難なく受け止め、東堂にされるままになり、期待通りの反応を返した。これか、と東堂は考えた。他の男が虜になったと言う――翡翠の味。
思うままに翡翠の身体を抱き、貪った後、東堂は隣に横たわる翡翠に言った。
「君をこのまま――東京に連れて帰る」
「え!?」
戸惑ったような声を上げ、翡翠は裸の半身を起こした。
「それは――だめです」
「わかってる。お母さんがどこかに入院させられてるからだろ?でも君は、もっと自分のことを大事にするべきだ」
黙って目を見張っている翡翠に、東堂は言いきかせるように続けた。
「お母さんは頭がおかしくなってるんだろう?庇ったって無意味だ。君が逃げ出そうが何しようが、きっと何もわからないよ。そんな人放って置いて、君はちゃんと自分の生活をしなくちゃ駄目だ。でないときっと――君もそのうちお母さんのようになってしまう」
翡翠は青褪めた顔をして動かなかった。唇を震わせて、かすかに呟く。
「おかしく――そう、そうだけど……でもそんな……東堂さんが、そんな風に言うなんて……」
それから東堂を見据えて言った。
「行きません。東堂さんとは」
「翡翠」
「帰ってください。ごめんなさい。……もうここへは……来ないで下さい。母さんは……頭がおかしくても、俺のたった一人の家族なんです」
「そんな人がそこまで大事だって言うのか!?気の狂った母親なんか……君には何をしてくれるって訳でもない。逆に君の負担になってるだけじゃないか!」
翡翠が理解できなくて、翡翠にもう来るなと言われた事が理解できなくて、東堂は叫んだ。
「ごめんなさい……」
そう絞り出すように言って翡翠は、脱がされたシャツを掴み、それを羽織りながら部屋から出て行った。
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