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第25話 愛しい人

光は裸の翡翠をベッドの脇に立たせると、クロゼットからネクタイを取り出してきた。それで手首を縛ろうとする。 「しば……縛るの?いやだよ、そんなの――」 翡翠は声を震わせて後退った。 「言う通りにするって言ったろ?」 名刺は光のジーンズのポケットの中だ。返してもらうには従うしかない。仕方なく翡翠は逆らうのを止めた。言われるまま翡翠が差し出した両手を、光はタイで括りながら言う。 「別にそんな怖がらなくていいんだぜ?何も痛めつけようってんじゃないんだから。たまにはちょっと刺激が欲しいだけだよ」 しかし翡翠は不安だった。セックスの最中、自由を奪われるのは嫌いだ――。 両手を纏めた翡翠をベッドに横たわらせ、腕を上げさせて柵に縛り付ける。 「お前縛られるの好きなんだろ、実は」 「好きじゃないって言っただろ――!?」 「そうか?だって――もう硬くしてるじゃん、ここ……」 光に乱暴に性器を握られ、翡翠は声を上げた。 「いやだ――あ!」 「なーにがいやだ、だよ」 足の間をまさぐる光の指から逃れたくて翡翠は身体を捩ったが、両手が柵に繋がれていてどうにもならない。 「やだ――やだよ――光……やめて――」 「そんな感じちゃってる声で言われてもなあ……」 光はからかうように言い、さらに翡翠を追い詰める。 「や――うん……ん……あ!あ、あ……」 後ろに深く指を挿入されて翡翠は喘いだ。自由が効かない手で、縛められた布の根元を握り締め、耐えた。 「すごいじゃん。お前いつもそんなすごいよがり声出さないのに……そそられるなあ、その声」 縛られると――自分の感覚がコントロールできなくなる。それが怖いから嫌なのだ、と翡翠は思った。追い詰められて、どこにも逃げ場がなくなってしまう。辛いのに、苦しいのに、相手の男たちはそれを見ていつも、翡翠が悦んでいる、と言う。 翡翠はあの家で――水谷に抱かれた時のことを思い出した。 水谷さんと過ごした夜。あの時――彼の肌に触れるのが嬉しかった。自分の身体を、相手に道具のように扱わせることしか知らなかった翡翠に、水谷は逆に彼を翡翠の自由に使わせ、翡翠が好きに感じていいのだということを教えてくれた。あんなに優しいやり方をしてもらったのはあのときだけ――。水谷は、自分が翡翠を扱う時ですら、翡翠の身体を、まるで壊れ物であるかのように尊重し、大切にして、心から慈しんでくれていた。 「あぐ……あ!あ!あっ!あ――!やだ――」 光の手の動きが激しくなる。それに耐えきれずに翡翠は叫び声を上げた。 「やめ――いやだ――!許して!もうやめて――」 「イクまでやめない。やめてやらないよ」 どうして。翡翠は思った。 どうして自分を抱く人たちは――自分を無理矢理いかせることに夢中になるのだろう。翡翠が自分から自然にいきたくなるのを、なんで待ってくれないのか。水谷さんのように。 水谷さん。 ――遠慮深く、おずおずと翡翠の肌に触れる彼は――可愛かった。 翡翠は思い出す。水谷が――あの家を逃げ出した時、寂しかったが嬉しかったことを。翡翠の性的な部分だけにしか興味を示さず、そこを貪るのに夢中になって残虐さを増して行く他の男たちとは違い、水谷は、最初から最後まで、翡翠が辛くないか、それを一番に考えてくれていた。あんなに優しいやり方が出来る彼を――自分なんかが(けが)してはならないのだ。絶対に。 顔を見ないまま行ってくれと頼んだのは――出て行く姿を見たくなかったせいもあるが――きっと自分は今、縋るような目をしている、それがわかっていたから――それを見たら優しい彼をためらわせてしまう……そうしてはいけないと思ったからだった。 一緒に東京に来ないか。そう言われて、ほんとに嬉しかった。水谷さんがいる東京――だからあれから東京が、自分にとって特別な場所になった。あの家が燃えて無くなったあと東京に来る事を選んだのも、水谷さんが一緒に行こうと言ってくれたからだ。 東京駅で――きっと来ないと思ったのに、彼は来た。思わず隠れた翡翠の前で、あちこちに立つ若い男性の顔を見ながら走り回り、水谷さんは自分を探してくれていた。顔を覗きこんだ相手に迷惑がられて、何度も頭を下げながら……愛しい、可愛い人。 水谷さん。 水谷さん――大好き――――これから時々はこういうのもやらせろよ。すげえよかった」 光は翡翠の手を縛っていたネクタイを部屋の隅に放って言う。 「それに翡翠も……いつもよりずっとよがってたじゃん。感じてたんだろ?」 「嫌だよ」 翡翠はベッドに起き上がって、シーツを見つめながら呟いた。 「あんなの、もう絶対にやだ」 「そうかあ?ま、またこういうチャンスあったらでいいわ」 いいながら光は水谷の名刺をベッドの上にぽいと投げた。翡翠はそこへ慌てて這い寄り、縛られた跡がまだ赤く残る両手でその小さな紙片を取り上げると、胸の前に抱え込んだ。 「やれやれ……なんでそんなもんがそんなに大事なんだかなあ……気になるけど、ま、いいや。おかげで楽しめた。翡翠の乱れるとこじっくり見せてもらったからな。水谷さまさま、ってとこか」 光が冗談めかしてそう言うのを翡翠はぼんやりと聞いた。 やっと取り戻した名刺。そこに印刷されている彼の名前を見つめながら、翡翠は心の中で呟く―― これ――これが大事なのは、あの時の水谷さんを思い出せるから。 もう二度と会えなくても――俺の事を覚えてなくても―― 水谷さんが一番好きだから――

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