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第32話 恋人

ある日――バイト先の喫茶店に、光が突然現れた。翡翠がここで働いている事が誰かから伝わったのだろう――閉店間際で客はおらず、翡翠は一人で店内を掃除していたのだが、いきなり後ろから乱暴に肩を掴まれ、振り返るとそれが――光だった。 驚いたあまり声も出ない翡翠を光は無理矢理連れて行こうとした。翡翠がとっさに座席の椅子につかまった所を光が乱暴に引いたので、椅子が倒れ大きな音を立てた。裏口の方にいたマスターがそれに気付いて様子を見に来てくれて――彼がかなり大柄で強面なタイプだったので(かな)わないと見たのか、光は翡翠を突き飛ばすようにして放り出し、逃げて行った。 放り出されたときテーブルに体側を打ち付けてしまい、動けないでいた翡翠をマスターが助け起こしてくれた。 「大丈夫か!?」 「はい……」 翡翠はやっと答えた。まだ心臓がドキドキする……打った箇所の痛みと身体の震えは、暫く収まらなかった。 翌日の夜、仕事を終えて帰宅しようと店裏の路地を歩き出した翡翠を――待ち伏せていたらしい光がいきなり背後から羽交い絞めにした。逃げようと必死にもがく翡翠に光はスタンガンを押し当て、翡翠はそのショックで気が遠くなりかかった。動けなくなった所を抱えられ、停めてあった車まで引きずられる。そのトランクに押し込まれそうになった時――都筑が現れた。 「おいてめえ!?ヒスイに何しやがった!?」 ぐったりしている翡翠を見て都筑が怒鳴る。 「誰かと思えば前の兄ちゃんじゃねえか……おい!そいつ放せ!」 「うるせえ!お前に関係ねえだろ!」 「それが関係あるんだよ」 都筑は指関節をパキリと鳴らしながら応えた。 「そいつぁ俺の――恋人なんだからよ」 意識がはっきりしたとき、翡翠は喫茶店の近所にある診療所のベッドに寝かされていた。都筑とマスターが傍らにいる。翡翠は辺りを見回しながら尋ねた。 「都筑さん……助けてくれたの……?」 「ああ」 「光は……?」 「あいつならボコボコにして警察に引き渡しといた。正当防衛だしな」 都筑は右拳で左の手の平を打って答えた。 「過剰防衛じゃねえのか」 起き上がる翡翠に手を貸しながら言ったマスターに、都筑は自信ありげに答えた。 「ちゃんと加減したよ。その点はぬかり無し。ま、これで懲りただろ」 「都筑さん……光が待ち伏せしてたのどうしてわかったの……?」 翡翠が訊ねると、マスターが答えた。 「昨日ヘンなやついたろ。だから都筑に、念の為帰り迎えにくるよう電話しといたんだよ。けどこいつ、遅刻しやがって。翡翠くんが上がる前に店に来とけって言ったのに」 「間に合ったろ?」 「襲われた後じゃねえか。遅ぇよ」 「嬉しかった……都筑さん、助けてくれてありがとう……」 翡翠は都筑の顔を見ながら呟いた。恋人なんだから、と言った都筑の言葉……頭がぼんやりしてたからもしかしたら夢だったかもしれない。でもいいんだ……嬉しかったから……

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