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第37話 水谷

指定されたバーに水谷が入っていくと、都筑らしい男はもう来ていて、カウンター席で一人飲んでいた。 「あの、都筑さん……ですか。突然連絡して申し訳ありませんでした。私、水谷と申します」 名刺を取り出して挨拶する。 「あ、そ」 都筑はそっけなく言い、受け取った名刺を一瞥してカウンターに放り出した。 「ええと……」 いきなり翡翠のことを切り出したものかどうか水谷が迷っていると、都筑が 「アンタ何飲む?ここの店、なじみなんでツケきくからさ、頼んでいいよ」 と言う。 「いや、今日は私が持ちます」 「あ、そう?ありがてえ」 都筑は屈託なくそう言い、カウンターの中に向かって水割りのおかわりを注文した。 「真悟ちゃん最近どうなの?仕事」 ママらしい女性が水割りを作りながら訊く。 「わかんでしょ。景気良けりゃまっさきにここのツケ払いに来るよ」 「あら、この前翡翠ちゃんが来て全部払ってってくれたわよ?」 「え、なんだよ。あいつ言ってなかったぞ、そんなこと。じゃあもっと早く来れば良かった……借金ねえなら遠慮なく飲めたのに」 「そんなだから翡翠ちゃん言わなかったのよきっと。心配してたわよ、あんた飲みすぎるって」 翡翠が?翡翠がこの男の借金払って回ってるのか?だからあんなに金、金って必死になって……。水谷はなんだか嫌な気分になってきた。 「都筑さんはお仕事なにされてんですか?」 翡翠に尻拭いさせるなんてどうせまともな商売じゃないに違いない、水谷はそう思って不躾に訊いた。 「俺?トレーダーやってる」 水割りをあおって都筑は言った。トレーダー?ってことは、株取引きで稼いでるのか? 「株だけじゃなく、まあ色々ね」 水谷に尋ねられ、都筑は曖昧に答えた。 「サキモノとかね。ま、とにかく、なんでも安く買って高く売りゃあいいんだよ。そうすりゃ儲かんだから」 なんなんだ、水谷は思った。やっぱりろくな商売ではなさそうだ。胡散臭さ満載じゃねえか。ほんとに翡翠は……こんなのに惚れてんだろうか。 「んで、そのプロデューサーの水谷さんが俺に何のご用?」 都筑はカウンターに放り出した名刺をチラッと見て言う。水谷は馬鹿にされているように感じた――思っていたのとなんだか違う。あの翡翠が大事な相手だと言うのだから、少々金に汚くとも他に良い所がある男なのだろうと想像していたのだ。だから、誠意を持って直接話せば自分の頼みを聞き入れてくれるだろう、と――くそ、気を遣って名刺なんか出す必要なかった。 「いや、都筑さんに用があると言うか……あなたが一緒に住んでる子のことで、ちょっとお話が……」 仕方なく切り出す。 「ああ。ヒスイか。ん?水谷……?」 都筑は水割りを啜りながら呟いた。 「ああ、アンタが水谷さんかあ……」 「は?」 「いやね、ヒスイが後生大事にしてるちっこい包みがあんのよ。なんか、紙折りたたんださ。肌身離さず持ち歩いてるもんで、俺、ひょっとして価値があるもんなんじゃねえかなと思って、一回あいつが寝てるスキに、それ開けて見てみたのよね」 「はあ……」 「そしたらさあ、中身はただの古い名刺でやがんの。アンタのじゃないかな?これとは――」 水谷が渡した名刺に顎をしゃくって続ける。 「――ちょっと違うデザインだったけどね。そういや確か水谷仁って書いてあったわ。なんだよ金づるになるかと思って一応チェックしてたのに……」 なんだって?翡翠が俺の名刺を、後生大事に持ってるって?一体どう言うことだ?翡翠に名刺なんかやったっけ? やがて水谷は思い当たった。初めて翡翠に会ったとき、確か名刺を渡して挨拶した。まさかあれを……まだ持ってるのか? 確かに持ってはいたと思う。名刺には携帯の番号が印刷してあったから、それを見て翡翠は東京駅から水谷に電話をかけてきたのだ。でもそんな物を未だに大事に持って……?一体……何のために? 考え込んでいる水谷に都筑が尋ねた。 「で?あれが?なんか?」 「あれって……」 水谷は暗い気持ちになった。翡翠が、別れたら死のうと思う、とまで言う相手がこれだなんて……

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