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第38話 間違い
水谷は都筑に尋ねた。
「翡翠は……どうしてます?どんな様子ですか?」
「んん?さあ?」
都筑は水割りを飲み終わってしまい、指で示してママに追加を頼んでいる。
「さあって……アンタ、一緒に住んでんだろ!?」
ついきつい言い方になった。なんなんだこいつ。
「そうだけど、ここんとこ俺家帰ってねえから。なによ、ヒスイに用なの?じゃああいつに直接連絡すりゃいいじゃん……水谷さんは、あいつのなんなのよ?」
「なにって……ええと、なんでもないよ。いや友人と言うか……」
「友人ねえ……どうもよくわかんねえな。あんた、あいつつけまわしてんの?」
「つけまわ……してないよ!そんなこと!」
「そうかあ?前にヒスイ、ストーカーに襲われたことあんだよね。とりあえず俺が、もうそんな気おこさないようヤキ入れて警察突き出したけどさ」
ああ、喫茶店でもそんな話を聞いた。こいつも一応役に立つ事があったんだよな、と水谷は思った。でもまだ見直す気にはならない。
都筑が解せないと言う風に呟く。
「いや、でも、あんたもストーカーなんだったら……あいつがあんたの名刺大事にしてる理由がわかんねえよな。なんで?」
「なんでって……そんなの俺に訊かれたって……」
するとそこに、派手なデザインのスーツを着た女性がやってきた。
「あ!都筑さぁん、来てたのぉ。なんかそんな予感したのよねー」
が、声を聞いてわかった。女性ではなく男だ。
「おす」
都筑が短く答える。
「アヤちゃん、いらっしゃい」
「こんばんはあ、ママさん、ごぶさたしちゃった。最近忙しくて」
アヤは愛想良く水谷にも頭を下げ、カウンター席にいる都筑の隣に腰掛けると、彼にしなだれかかった。
「ねーえ、またさ、ブレスレット買ってくれない?なくなっちゃったの」
「なくなったあ?どうせ質草にしたんだろうが」
「ちっがうわよぉ、アヤ質屋なんか足踏み入れた事もないわぁ。ドロボウ入られちゃったのよー」
「お前んとこもか。かえでもなんか盗られたって言ってたぜ。最近空き巣多いよな。物騒んなったな、ここらも」
「ええー。都筑さん、かえでとまだ会ってるの?あんな子、性格悪いじゃなぁい」
「お前が他人のこと言えるのかよ……。会ってるよ。昨夜も泊まってやった。ドロボウ入られておっかないって言うからさ」
水谷は二人の会話を唖然と聞いていた。
こいつは翡翠に呑み屋のツケを払わせてるというのに、一方では女……じゃないけど、とにかくこのアヤって人に何か買ってやったりしてるらしい。しかも翡翠をほったらかして、違う所に請われて泊まりに行ってやってるんだ。ドロボウが怖いといったって、ここにいる人物と同じく男なんじゃないのか?ほんとにボディガードなんて必要なのか――?いやそんな事より……もっと、翡翠を――
「都筑さん!」
水谷は座っているスツールを回して都筑に向き直り、真剣な口調で切り出した。
「へ?」
「都筑さん、今日はお願いに来たんです。翡翠のことで。翡翠を――翡翠を大事にしてやってください!」
「はぁ?」
「あいつはいい子です。ほんとにいい子なんです。だから幸せにならなきゃならないんです。都筑さん頼みます。どうか翡翠を幸せにしてやって下さい!」
そうだ、あの子は――俺の大事な――。祈るような気持ちで都筑に向かって頭を下げる。
「幸せねえ……。まあ可愛がってやってはいるつもりだけど?」
顎を撫でながら都筑は答えた。
「そうですか。それなら――」
水谷がほっとしかかると、
「都筑さんが言う可愛がるって言うのも、やり方に問題あるんじゃなーい?」
と、都筑を挟んで向こう側に座るアヤが口を出した。
「ヒスイちゃんもよくまだこんなのと一緒にいるわよねえ、いくら恩人だってもさ。こないだだってひどかったじゃない。あの子が隣の部屋にいるのに、都筑さんアタシとやったりしてさあ……」
なんだって?水谷の顔が引き攣った。
「お前帰った後あいつともやったから平気だよ。平等だろ?」
「ナニが平等よ。スキモノなんだから……」
「スキモノはヒスイだよ、そうやって見せ付けた後の方が反応良いんだから。あいついじめられんの好きなんだよ。ね、水谷さん」
「え。えっ!?」
「またまたとぼけちゃって。知ってるくせに。付き合ってたことあるんでしょ?大方あんたの方があいつ捨てたんでしょう」
水谷はぎくりとした。
「だからあいつ、あんたの名刺、大事にとってるんだろうな。そいでなんかの拍子に再会したけど、あんたは過去の人だし、昔裏切られた傷も残ってるからヒスイは縒 り戻す気がないと。で、あんたは仕方なく、こうして俺に会いに来たと。どう?この推理」
都筑に指さされて水谷は渋々、しかめっ面で答えた。
「大……筋では合ってる」
「うぉ、やったね!」
都筑が喜んで手を叩く。
「あー、もー、なんでこのカンが商売の時働かないかなあ……」
ぶつぶつ言いながら都筑は水谷に向かって続けた。
「でもあれでしょ、どうせ始めはヒスイの方から誘ったんでしょ。あいつはどうも、相手に自分の存在を認めてもらうって事と、セックスする事っていうのが混じっちゃってんだよね。だから、寝てやらないと不安がるんだよ」
存在を認めてもらう――それを聞いて水谷は胸が締め付けられた。あの寂しい浜辺の家で、翡翠は自分が本当に存在しているのか……水谷に教えてもらいたがったのだ。
「べつに責任感じる必要ないんじゃないの?あんたも好奇心で寝ただけだったんでしょ?遊びに本気になったヒスイの方が、まあ要領が悪かったんだからさ」
「……遊び――?」
違う。あれは。遊びなんかじゃ。
「まあね、ノーマルな人とじゃね、あいつはうまくいかないでしょう。ああいう趣味だから」
「一体どういう趣味だって言うんだよ!?」
思わず頭に血が上って水谷は叫んだ。
「ノーマルじゃうまくいかないって……翡翠のどこが異常だって言うんだ!?」
「怒らなくてもいいでしょ……やったんならわかるでしょうよ。いじめてやらなきゃ本気で燃えられないんだから、あいつは」
都筑はからかうように言う。
「見たとこアンタ、まじめそうだしアッチの経験もごく普通ってとこでしょう。そんな程度じゃヒスイには物足りないんじゃないのかね?だからあいつは縒り戻したがらないのかも」
「ものた――なんだって!?」
「俺はあいつを引き止めてもいないし、閉じ込めてもいないよ。俺なんかやめとけ、いつだって出ていきなって言ってんだ。なのにあいつが出て行かないのは、あいつの意志だってことでしょう?だからまあ……こう言っちゃアレだけど、満足できないんじゃないの?水谷さんとじゃ。あいつさ、縛られんのとか、叩かれんの好きなんだよ。知ってた?」
水谷は内心ぎくりとし、苦しくなった。都筑はグラスを取り上げながら続ける。
「まあ俺ももともとそっちのプレイは好きな方なんだけどさ、どうもヒスイ相手だと……エスカレートしがちではあるかな、悦ぶから。普段はガキくさいんだけど、いじめられてる時の顔とか声がすげえ色っぽいんだよね……乱暴に扱えば扱うほど良い反応するんだから、嫌がってるように見えても遠慮しちゃ駄目なんだよ――」
そんなはずない。そうじゃないんだ。都筑の話を聞きながら、水谷は思った。
「――手足縛りあげて犯るとあいつ、よがるのなんのって。あ、道具使われんのも好きみたいだな。拘束して後ろにバイブ2本突っ込んでやったことあるけど……壊れちゃうから止めてくれとか泣き喚いたけどよ、無理やり捻じ込んで前扱いてやったら感じまくってすげえイキ方したぜ。最初は泣いても結局悦んじゃうんだから……自分じゃ自覚無いみたいだけど、相当なマゾだね、ありゃ」
そうじゃない。あの子が嬲られて感じるところを見せるのは、自分の身を守る為の術なんだ。抵抗できない状態で責め続けられたら、自分自身を殺して相手に身を委ね、望む反応をして見せる意外に助かる方法がないのだ。だから翡翠は――
抗うのをあきらめ、従順になった翡翠は美しくて哀れで――魅力的だ。それを垣間見た男は、自分でも知らなかった心の奥底の嗜虐性を目覚めさせられ、あの子を嬲るのに夢中になる。彼を追い詰め、応えさせた時得られる充足感――身体を捧げさせると、あの子の持つ魅力の全てが自分の支配下にあるような気分になれるからだ。あの家に出入りしていた連中はその虜になっていた。それは――翡翠を餌に、あの井衛と言う老人が仕掛けた罠だ。命じられて翡翠を無理矢理抱かされた時――俺自身も危うくそれに絡め取られる所だった。
でも俺は……井衛の思惑通りにはならない。俺は――本当の翡翠を知ってるからだ。
初めてのときに翡翠が俺に見せたあの反応。あの時は――翡翠はちゃんと悦んでいた。こいつや井衛のやり方のように無理やり悦ばされるんじゃない、悦んでたんだ、自分自身の感覚で。
間違ってるんだ、水谷は唐突にそう思った。
翡翠の周りにいる人間はみんな間違ってる。翡翠本人もそれに気付いていない。だからこんな奴とくっついてるんだ。自分にはそれがわかる。俺がわからせてやらなくちゃならない――それができるのは俺だけなんだから。
待ってろ翡翠。俺が――助けに行く。
あの井衛ってじいさんが、未だに翡翠を縛っている。俺が解放してやらなくちゃ。そうして、翡翠 が安心して、本当の自分を取り戻せるようにしてやるんだ。
「――ど?こんな露骨な話聞いても、まだヒスイに未練ある?無いだろ。言っとくけどな、俺、あんたを助けようとしてんだぜ。あいつにゃ関わんない方がいいよ――俺と違って今立派に勤め人してんだろ?あんまりヒスイに深入りすると、せっかくコツコツ築いた地位も名誉もなくしちまうぜ――」
そんな脅しが俺に効くかよ。奇妙な自信が水谷の胸に湧きあがる。
水谷は静かに椅子から立ち上がり、都筑に言った。
「突然――すまなかった。よく、わかったよ。ママさん、お勘定お願いします。アヤさんの分も入れてください」
都筑は一瞬ぽかんとした──きっと水谷が、もっと消沈した様子になると思っていたのだろう──が、気を取り直した風に答えた。
「わかったの?そうそう、後悔しないうちに手を引いた方が身のためだよ――」
水谷はそれを聞いて口の端で少し笑い、支払いを済ませて店を出た。
みてろよ都筑。お前の方こそ後悔すんな――
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