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第39話 名刺

翡翠が目を覚ました時、日はもう大分高かった。今日は喫茶店(バイト)が休みだから目覚ましをかけずに寝たのだ。ベッドの隣には誰もいない。昨夜も都筑は帰って来なかったようだ。 翡翠は一人きり残されたアパートの部屋でぼんやりと考えた。彼は今日も……帰って来ないんだろうか。ここ最近――外泊続きだ。都筑がうちにいないと空腹になってもなにも食べる気にならず、まともに食事もしていない。 寝床からは出たが、なんだかだるくて畳の上に仰向けに寝転がった――食事もだけど、なんにもやる気がしない――。 するとふいに鍵を外す音がし、都筑が姿を見せた。 「都筑さん!」 飛び起きた翡翠の声が思わず弾む。 「お帰り!」 都筑は玄関で靴を放り投げるように脱いでいる。嬉しくてその前に走り出て迎えた翡翠を、都筑はひょいと抱え上げ、寝室へ連れ込んだ。ベッドの脇で翡翠を降ろし、顎に手をかけて上を向かせ、軽く口付ける。翡翠が甘えてしがみつきもう少し唇を求めようとすると、都筑はその両肩を掴んで止め、体を離させた。 「ちょっとさ、俺ここで見てッから。お前自分でやってくんない?今」 翡翠は驚いて尋ねた。 「えっ!?……え?自分でって……なに?どういうこと?」 「だからオナってるとこだよ。このあとさ、こないだアヤの店で知り会ったやつ来るんだ。そいつどうしても俺とやりたいんだって。でもそいつ、若いのはいいけどチャラっぽすぎてイマイチ好みじゃないからさ……まずお前で気分盛り上げとこうかなって」 「なんで好みじゃないのにやるの……?」 翡翠は小さな声で訊いた。 「そいつの実家、土地成金ですげえ金持ってんだよ。だから寝とけば後からなにかと便利でしょ。そしたらお前もシゴト減らせるじゃん」 「そ……っか」 翡翠のためであるかのように都筑は言うが、実際は違うんだろう。もし収入が増えたとしたって、都筑が自分といる時間を増やしてくれるわけでは無いのは分かりきっている。 「ヤツとやってるとき、お前のエロい格好思い出して頑張るから。そいでさ、これ使ってくんない?良さそうなの買って来たんだ」 都筑は性具らしいものの箱をコートのポケットから取り出すと、ぼんやり突っ立っている翡翠に渡し、自分は傍らのベッドに横たわった。サイドテーブルの上の煙草の箱を手に取って、一本咥えながら翡翠に指示する。 「上はそのまんまがいいな。下だけ全部脱いで。そこに立ったままで、足開いてやって。お前もたまってんだろ?暫くしてやってねえもんな」 翡翠は、そんなのいやだ、と思ったのだが――都筑の要求は拒めない。都筑は……大事な人だから。仕方なくいったん箱を足元に置き、下半身裸になった。その後も命令されるまま立って足を開き、自身を撫で上げた。性具に潤滑剤を塗りつけてから、都筑の言うとおり後ろに埋め込む。 自分の手で前を刺激し、後ろに道具を出し入れする翡翠を、寝そべった都筑は頭の後ろに手を組み、タバコを咥えてのんびり眺めている。やっと帰ってきてくれたと思って嬉しかったのに……いきなりこんな事させられるなんて思わなかった。都筑は時々余所見をしたりして、本当に翡翠の痴態に興味があるのかわからない。以前もこうして……買われた相手に自慰行為を見せてやった事があるが、あの時の人は身を乗り出すようにし、夢中になっているのがわかったから、嫌ではあったけど、今ほどみじめな気分にはならなかった……。 寂しくて、都筑にねだってみる。 「……都筑さん……都筑さんのが欲しいよ……」 「ダメだよ。言ったろ?今お前でヌイちまったら、こんつぎ来るやつとじゃ勃たねえよ、俺」 「でも……欲しい。お願いだから……」 「だったらそれもっと奥まで突っ込みゃいいだろ。挿れ方が足りないんだよ」 あくまで都筑は手を出すつもりは無いようだ。仕方なく翡翠はあきらめて、道具で自身を刺激するのに集中した。立っていられなくなって横たわり、床の上で腰を動かして自分を追い詰めた。 「すげえな、翡翠……その腰つき……すげえ色っぽい。お前いいよ、やっぱり……」 自分の荒い息の合間に都筑の声が微かに聞こえる。それなら抱いてくれればいいのに。触るぐらいしてくれたっていいじゃんか。なんでこんな意地悪するんだろ ――でも都筑さんは、そういう人なんだから……わかってて付き合ってるんだから、仕方が無い……。そう思うと悲しくて涙がこぼれてきた。それからじき、翡翠は都筑が見物する前で、啜り泣きながら達した。 都筑には居て良いと言われたが、翡翠は部屋から出た。どこかで時間を潰そう、そう思って辺りをぶらぶら歩く。でももしかして、今日来る人は泊まっていくのかも。そしたら今晩どうしよう……。 とりあえずファーストフードの店に入り、座席でハンバーガーを齧りながらいつも持ち歩いている水谷の名刺を取り出した。大切に紙でくるんであるそれを開いて暫く見つめ、テーブルの上に置いた――水谷さん……一緒に食べよっか…… ……本物の……水谷さんが……喫茶店に現われた時――あんまりびっくりしたから、裏口にゴミを出しに行くふりをして暫く隠れてた。それから外で深呼吸して店に戻って、なんでもないみたいにしていらっしゃいませと声をかけた。水谷さんもびっくりしてたけど、俺のほうがもっと驚いてたと思う。だって……心臓が止まるかと思ったもの。 役者の仕事の話――どうなっただろう。やらせてもらえないかな。 名刺を眺めながら思った。都筑さんのためにお金も欲しいけど、ほんとは水谷さんの会社で仕事がしてみたかったんだ。そしたらもしかして少しの間だけ――本物の水谷さんの近くにいられるかもしれない、それだけでいいんだ、そう思ったんだけど。 でも水谷さん、俺にアダルト出るなって言ってた。どうしてだろう。前にも出たから、何をやるかは大体知ってる。身体売るようなことやっちゃいけないって言ってたっけ。なんで駄目なのかな――やっぱり俺なんかじゃ……気に入らないのかもしれない……。 ぼんやり考えているうちに寂しくなり、胸が詰まって泣きそうになった。 でも、大丈夫。 ハンバーガーを齧って、涙と一緒に飲み込む。 水谷さん、俺、平気だから。大丈夫――

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