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第6話 出会い
事務所の備品が揃ってきたころ、真知たちの事務所がある2階に荷物が届いた。先に気付いた大山が配達員のほうへ行くと、「真知様にお荷物です」と言う。
「マッチ棒、宅急便だよ」
「ああ、俺のです。大山さん、ありがとう」
真知はササッとサインして箱を受け取る。大きいが軽い。そこらへんの机で開封すると、中身は大量のポケットティッシュだった。真知はひとつ取って、裏側のチラシ部分を見る。真知の会社の名前と所在地や連絡先、宣伝文句、地図などが簡単に書いてある。
「初めて作ってみたけど、けっこういい感じですね」
「これを配ってみようってわけ?」
「そう。大山さんのもあるよ」
真知は色の違うティッシュを手渡す。真知なりのイメージで作った[アイリスと占いのお部屋]のチラシが入ったティッシュを見て、大山は感心したように呟いた。
「器用ね」
「なんでもやってみないとね。ググってわかったんだけど、ティッシュ配るのにも警察署に許可が必要で、料金もかかるんですって。お店が違えば別に申請が必要になるらしいから、大山さんのぶんは自分でやってくださいね……パソコンやプリンタは貸すから。申請書と、チラシの版下のコピーがいるんだったかな。それと、配布場所の地図……このふたつは俺が準備します」
メモを見ながらサクサクと説明する真知は、大山が見るに仕事ができそうなタイプだ。同じ貸事務所で仕事をすることになって少し経ったが、真知がなぜ自分で事業を興すことに決めたか、大山は知らない。必要性も、興味も感じない。でも、仕事仲間としては頼りになる人物だ。真知のおかげで、パソコンが苦手な大山も書類を揃えることができた。所轄の警察署へ行く。申請してすぐに配れるわけではなく、許可書が交付されるまでに2日ほどかかるそうで、配布決行は来週となった。事務所の最寄り駅の、北口と南口にひとりずつ立って配布する。何時に配れば効果的かはわからないので、通勤時間帯、昼間に少し、帰宅時間帯の3回に分けることにした。数日かかって用意したぶんはすべて配り終え、どことなくそわそわした気分で数日を過ごす。お客はパラパラとやってきたが、すべて[アイリスと占いのお部屋]目当てだった。真知は机に額をつけて落ち込む。
「そんなにすぐうまくいくもんじゃないって、わかってたけど……」
「マッチ棒、そんなに落ち込まないの。死相が顔に出るよ」
またひとり、占いに来たお客を見送った大山は、コーヒーを淹れて真知の机に置いた。
「業種とか、客単価からみても、そんなに1日にバンバン来るような商売じゃないでしょ」
「まあ、そうなんだけど……気は焦りますよね……」
机にへばりついたまま、行儀悪くコーヒーを啜る。
「……これは言わないでおこうか迷ったんだけど」
大山は、珍しくそんな言葉で回り道をして、
「ちょっと前、あんたのことを占ってみたの。同じ場所で商売する相手が、変な霊持ってたら困るからね。マッチ棒が望んだわけじゃないのに、自分のためにあんたのことを視たのは悪かったわ」
大山は、真知の目をまっすぐ見て、
「あんたの商売、悪いようには転がらない。あんたが自分の、いちばん大事な信念みたいなものを持ち続けていれば、必ず軌道に乗るわ」
「信念……」
大山がそう言ってくれたことは、素直にありがたい。でも、真知には、何が自分の信念といえるものなのかがわからなかった。果たして、自分は信念を持っているのか。前職を辞めたのは、逃げだと真知は思っている。嘘を重ね続けるのが嫌で逃げた。会社を興したのも逃げだ。自分の経歴のことを誰にも話したくなかった。なぜWebの仕事を選んだのかといえば、それしか自分にできることがないと思ったから。真知は、改めて会社を興したいきさつを振り返る。でも、すべて消去法で、そこに信念といえるものはない気がした。
「ありがとう、大山さん」真知は笑顔を見せた。「ちょっと元気が出たよ」
「そう。アタシは、今日はもう帰るわ。戸締りとか、よろしくね」
「はい。お疲れさまでした」
真知が言い終えるころ、コツ、コツ、コツ……と、階段のほうから迷いがちな靴音がした。音は入口で止まり、しばらく逡巡するような気配をみせる。やがて事務所の入り口のドアがゆっくりと開いた。
「すみません、システム……[システク・アイテム]という会社を探しているのですが……こちらで間違いないでしょうか」
「は……」
真知はぽかんとした。お客だ。手には、真知たちが数日前に配ったポケットティッシュが握られていた。お客が来たらどのように対応するか、頭の中で何度もシミュレーションしていたのに、その瞬間すべてがブッ飛んだ。
「はい、どど、どうぞこちらにおかけください……」
かろうじて、応接スペースに案内できた。
「真知さん、私、お茶淹れてきますね」
「すみません、大山さん……ありがとうございます」
大山が給湯スペースへ引っ込むと、真知とお客のふたりきりになった。お客は男性で、ちょっとした荷物を持っていた。真冬と言えるこの時期に、額にうっすら汗をかいている。真知は、来客があったら書いてもらうとあらかじめ決めていた用紙をかれに渡しながら、
「お越しいただき嬉しいです。ここの場所、すぐにわかりましたか? 駅からは近いけど、少し入り組んでますから……」
世間話のつもりで話を振った。かれは笑って、
「いえ、実は、すぐにはわかりませんでした。単に私に土地勘がないのです。F駅は、普段あまり利用しなくて……先日たまたま用事があって降りたんですが、そのときこのポケットティッシュを戴いたんです」
このポケットティッシュを戴いたんです……真知は、その言葉をいつまでも聞いていたかった。それなりに苦労して作ったものだったので、喜びもひとしおだ。
かれが書き終えた来客シートをくれる。真知はそれにざっと目を通した。名前は、土井中広志という。来社目的欄には、「ホームページの相談」とあった。ついに仕事がやってきたのだ。真知の手に汗が滲んできた。
「ご記入ありがとうございます。さっそくですが、ホームページのご相談でお越しいただいたとのことですが……新規にネットビジネスを始めたいとかそういったご用件ですか?」
「いえ……仕事といえば仕事の関係になるかもしれませんが、少し違うんです。実は、私は中学校の教諭をしているもので」
「学校の先生……ですか?」
大山が応接スペースの机にお茶を置く。すました顔をしているが、思いがけない業種からの来客に、少なからず興味があるようだ。
「ええ。勤め先の学校に、春から天文部というのが創部されることになったんです。私はその顧問を任されたんですが、天文に関しては門外漢でして……それで、学生時代の恩師や友人などを頼って資料を集めたり、自分なりに勉強したりしてまとめたものが……」
土井中は、自分が持ってきた荷物をチラッと見る。
「拝見しても?」
真知がそう訊くと、土井中は「ええ」と短く答え、ガサガサと袋を探る。中から、バインダーやクリアファイルが何冊も出てきた。広げてみると、論文のコピーやそれを噛み砕いた手書きのメモ、雑誌の切り抜き、星空や惑星、観測施設などの写真、手作りの星座早見表、プラネタリウムの作りかた、天体望遠鏡の開発史、1機いくら? の走り書き、宇宙を題材にした映画や小説などの感想シートまで、とにかく土井中がわからないなりに天文のことを猛勉強し、情報や資料をかき集めたひとつの成果があった。
「こういった資料を部員のみなさんに展開するのに、ホームページがいいのではないかと思ったんです。本人がスマホやパソコンを持っていなくても、ご家庭にある生徒は多いし、部室はパソコン室が割り当てられることが決まっています。好きなときに見られ、天文の世界に入ってもらう。そんなことができたらいいなと」
土井中は続けて、
「最初は自分で作ってみようと思って本を買って、レンタルサーバーというのを借りてあれこれやってみたんですが……1日かけて画面に表示できたのが『ようこそ』だけで、これはとてもじゃないが春までには間に合わないと」
「私にも経験があります。初めては、誰でもそうですよね」
真知は左手で眼鏡のテンプルを持ち、位置を整えた。さらに資料に目を通す。
・宇宙とはどんなものか? 創作物に見る「宇宙のとらえかた」
・惑星とはなにか? 惑星になれなかった星
・変な惑星を集めてみよう 住めそうな星はあるか?
・太陽を観察してみよう 手作りキットの作りかた
・惑星の大きさを比べてみよう 水に浮かべるとどうなるか?
・宇宙人は存在するか? 地球外生命体に見るテーマ「生命とはなにか」
・夏休み天体観測に向けて 夏の星座と神話 神話はなぜ生まれたか
・・・・・
さまざまなトピックごとに、土井中が調べてわかったことや感じたことが綴られている。
「……天文部といえば、夜に集まって天体観測っていうイメージがありますけど」
真知は、資料からいったん顔を上げて訊いた。
「もちろん、天体観測もします。学校が休みになる夏、冬、春……秋にも連休がありますので、可能なら。ほんとうはもっとたくさん行いたいとは思っていますが、夜間・早朝のことですから、ご家庭の協力も不可欠です。予算もどの程度おりるのか、決まっていません。そもそも、新学期が始まり、部員がどれほど集まるのか……未知数な部分も多いです。なるべく工夫して、退屈な部活にならないようにしたいところです」
「……」
真知が一度紙をはぐり、パラッと小さな音が立った。古いエアコンが必死に部屋を暖める、ゴーという音がする。
「……私の勤める中学校は」
土井中は、机の上に広げられた資料を見ているようで、見ていなかった。
「部活動に参加することが、強制なのです。入りたい部活がある生徒も、探している生徒も、入りたい部活がなかったり、部活には入りたくない生徒も必ずどこかに所属しなければならない。天文部は、アンケートで一定数の希望があったから創部となりましたが、そこに所属する生徒の中には、『必ずしも天文部でなくてもいい』子もいるはずなんです。活動予定も、部員のみなさんの希望で決めますが、はじめは週に1、2回程度でしょう」
顔を上げた土井中と、真知の目が合った。
「子どもも、大人も、温度差のある場にいた経験は誰しもある。それぞれの目標や目的はバラバラです。目的がなかなか見つからない子もいる。まして、天文部にはコンクールや大会のようなものはほとんどない。でも、できれば全員に、興味や知識を持って卒業してもらいたい。その、ひとつの手がかりをホームページに求めたんです」
真知はしばらく考え込んだ。また何枚か資料をめくって、
「お受けすることはできます」
土井中に笑顔を見せた。かれは、ホッとした表情になる。
「これは今日、結論を出さなくてもいいことなんですが」
と前置いて、
「着地点をもっと明確にしたいです。はじめにおっしゃっていた『効率的な資料の展開』を着地点にするなら、これらの資料を全部PDFにでもして、サーバに置いてリンクでも張っておけば解決します。でも、『自学の補助』を着地点にするなら、見やすさ・わかりやすさをどうするかを、かなり考えないといけないでしょう。関連しますが、『興味を持つきっかけ』とか楽しみの感情を持たせたいと思うなら、目を惹く書きかた、話題性みたいなものも重要になってきますよね」
改めて土井中を見る。
「着地点は、一度決めたら簡単には変えられないと思っていてください。少なくとも一定期間は。僕は、ここでいう一定期間とは天文部のホームページを作り、入部する生徒さんたちを迎え、1、2ヶ月活動してみるまでを想定しています。活動実績を重ねながら、生徒さんたちのリアクションや要望も踏まえ、次の着地点を設定する。軌道修正の要否と程度を検討する。そして、また数ヶ月観察する……それを繰り返していくつもりです」
少し、呼吸の間をとった。「部活、楽しいですよね」。真知は言う。
「僕は高校のとき弓道部だったんですよ。授業よりも部活の時間が好きでした。成人して、なんであのときあんなに楽しかったのか考えてみたんですが、『正解がない』のがひとつの魅力だったんじゃないかと思っています」
「正解がないから……ですか」
「はい。弓道だったら採点制っていうルールがあって、中心のあの赤いところに当てればいちばん点が高いから、みんなそれを狙うんだけど、どうやったら常に中心を射れるかなんて誰も知らない。顧問の先生も先輩も、みんなその方法を探してるっていう点では、学年も年齢も関係ないですよね。教則本にも、完璧な方法はない。みんなスタート地点は一緒なんです」
真知は、大山が淹れてくれたお茶に手をつけていなかったことを今更思い出し、一口戴く。土井中もつられたようにお茶を飲んだ。
「誰もわからない方法を探すのが、楽しかったんです。まあ、こんなことあんまり人に訊いたことないから、あくまで僕なりの……なんですけど」
「貴重なご意見です。これまで、部活動の魅力というのはあまり深く考えてきませんでしたから」
「でも、熱心な先生だと思いますわ」
それまで端っこの椅子でことのなりゆきを見守っていた大山が、土井中にそう言った。机の上に、カゴに載ったふたりぶんのお茶菓子をくれる。
「天文部に入りたい生徒さんを迎えるために、これだけいろいろやってくださるんですもの」
「自分のためです。いざ始まってみて慌てたくないとか、みっともないところを見せたくないとか、そういうしょうもないプライドのためです」
ふと、真知は思い出した。
「そういえば、このホームページができあがったら、学校の持ちものになるんですか?」
そう訊いた。土井中はお茶をまた一口飲んで、
「いえ、ホームページを作りたいことは、学校には話していません。自分の持ちものにしたいんです。可能な限り、いつでも新しい情報を取り入れたい。パソコンに詳しい先生がたに聞くと、学校の持っているホームページと一緒にすると、決まった人しか管理ができないそうで、面倒らしくて。それに、せっかく友人たちからいろいろな資料をいただいたので、ぜひ同じ興味を持つかたがたにも活用してもらえるようなものにしたい」
真知は、土井中が受け取ったポケットティッシュのチラシのことを思い出す。チラシには、初期費用と更新費用のことも書いていた。似たようなサービスを、もっと安く提供する会社はある。でも、土井中は縁あって真知の会社を選んでくれた。かれが自分でお金を出して作ることに決めた天文部のサイトを、真知は絶対に無駄にしたくないと思った。
「これから、長いお付き合いになるかと思います」
真知は、土井中に右手を差し出した。かれも、慌てて手を差し出す。
「はい……こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。あの……」
土井中は、言いにくそうに続けた。
「失礼ですが……お名前を伺っても?」
真知は、土井中に名刺を渡すのを忘れていた。
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