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第2話
「そういうわけだから、今は特にアルファと話したくない気持ちをわかってもらえると嬉しいんだけど」
やけ気味に氷が解けてすこし薄まってしまったアルコールを一気に流し込むと、ほんの少しだけ凝り固まった脳から力が抜ける気がする。
それこそオメガであることを変えられるのなら俺だって変えたい。でもいくら悩んだって無理なんだ。
だから悩む代わりに、並大抵のアルファじゃ敵わないくらいの演技で認めてもらうために頑張ると決めた。嫌なことがあっても落ち込むのは今日だけ。寝て起きたら切り替える。そうやって今までもやってきた。
そして悩みや愚痴を今日に置いていくための酒の量が普段よりも多いことで、ショックを受けている自分を自覚して、そこから立ち直る。大丈夫。明日になったらいつも通りちゃんと笑える。
そんな風に拒否の意を伝える俺に対し、優雅にグラスを傾けて唇を湿らせた後、真神薫は頬杖をついて俺を見つめた。やっぱり帰る気がない。
「『番』とかはどうですか?」
「はい?」
「誰かと番になれば無節操にはフェロモン撒かないんですよね」
自分のうなじを指し示して、試してみたらいいのにとばかりに軽く提案され、思わず苦く笑ってしまった。
「番」とは、アルファとオメガの間でのみ発生する特別な繋がりのことだ。結婚と同じようなものだという人もいるけれど、書類上で成立するものではない。性行為中に、オメガのうなじをアルファが噛むことによってフェロモンが変質して番になるのだとか。そうなると誰彼構わず誘うようなフェロモンを放つヒートが起こらなくなるから、「番」というものを持つこと自体には確かに憧れがある。
けれど問題は相手だ。一般的には運命の相手とも結婚より強い繋がりとも言われる「番」というものに、ロマンを求めているようなアルファじゃ俺が困る。
番になること自体が目的ではなく、ヒートをなくせることがなによりの目的だからそれ以上の関係は求めていない。それこそ条件が合えば通りすがりの誰かでもいいくらい。
「……面白いこと言うね」
とはいえ番が成立するためには性行為が必要で、この場合抱かれるのは俺で。それを乗り越えなければいけないとなるとハードルは当然高くなる。
ヒートをなくすために知らないアルファに抱かれるなんて、考えるだけで気持ちが落ち込む。だから今まで深く考えないようにしてきたんだ。
思わずもう一杯頼みかけた時、ボックス席の方から陽気な笑い声が響いてきて余計惨めになる。
……本当、なんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。ちょっと深酒して、寝て、今日を終わりにしたかっただけなのに。
本当に、彼の言うように簡単なことだったら良かった。後腐れのない、俺のスタンスに理解があって深い意味なく噛んでくれるちょうどいいアルファ。そんな都合のいい相手が突然現れるなんて、そんな偶然はないだろうと笑って、それから隣にいるのがそういえばアルファだったと思い出した。
しかもアルファ中のアルファ。とびきりの選ばれし、みんなが求めるアルファ。
「……」
その顔を見て、ふととんでもない考えが浮かんだ。
普段なら思いつかないような、酔っ払いゆえのぶっ飛んだ案。
むしろこの飄々とした余裕ある年下のアルファを困らせてやりたい。ただそれだけのいたずら心。
「そうだ真神くん。ちょうどいいから君が噛んでくれない?」
「俺が?」
「そ。メリットあると思うけどな。番になったって、アルファの方は印も残らないから誰にも気づかれないし、俺はうなじの噛み傷さえもらえれば他に欲しいものはないから君のことは誰にも言わないからさ」
「いいですよ」
「……なーんてね。ふふふ、さすがにそれは……ん?」
わかりやすいオメガの印である首輪をしていないおかげで、晒されているうなじを指して提案する。適当な思いつきだけど、酔いも相まって口が滑りだす。気分は詐欺師役だ。
けれど口にしてすぐ、なんとも自虐的な冗談だと笑ったのは、しかし俺だけだった。
ぎょっとして目を剥く俺に、真神薫……真神くんは平然とした顔を崩さないままにグラスを置いた。カラン、と氷が鳴って、それを合図にしたように真神くんが立ち上がる。
「じゃあ行きましょうか。ここって奥に個室ありましたよね。歩けますか?」
「いやちょっと待って」
まるでエスコートするかのように優雅に手を差し出されて、思わず声を張ってしまった。なんでこうも当たり前のように話が進んでいるんだ。酔っ払ってはいるけれど、今自分が話したことのおかしさくらいは自覚している。だからさっきまでの淡々としたテンションで軽くかわしてくれると思っていた。
それなのになんで簡単に話に乗ってくれちゃってるんだ? からかうにしても真顔すぎるし、ネタバレするなら今だろう。
だけど止める俺に不思議そうな視線を向けてくる真神くんから冗談の雰囲気は見えなくて、焦って差し出された手を逆に引っ張った。そして距離を詰めてから声を潜めて問う。
「噛むって、どういうことかわかってる?」
「……俺のことどれだけ子供だと思ってるんですか」
もしかしたらめちゃくちゃピュアな子なのかもしれないという確認。しかしその問いでバカにされたと思ったのか、真神くんは少々むっとしたように険しい顔をした。ということは俺の思い違いでもないらしい。
「『番』になったら楽になれるんでしょう? フェロモンに惑わされなくなって助かるのは俺も同じですし」
「あ、え、利害の一致?」
確かに番になれば、アルファにもオメガのヒートに惑わされなくなるという利点はある。
抑制剤でヒートを抑えられるオメガと違って、アルファにはほとんど回避手段がない。そこに発情したオメガがいたら強制的に発情状態になるわかりやすくも理不尽なシステムが搭載されている。
そして、特にアイドル的人気の俳優である真神くんならば普通のアルファよりもより多くそういう事態に遭遇する危険があるだろう。
つまり番になるのもあながち悪い話じゃないということ、か?
「まあそんなとこです。あ、それともここじゃない方がいいですか?」
世の中的にはそれなりに大事な問題だと思われることを「そんなとこ」なんて簡単な言葉で終わらせて、真神くんは平然と話を進める。5歳差の中にジェネレーションギャップは存在するのか。それとも真神くんが特殊なのか。
戸惑いはあるものの、俺に都合がいいのは変わりがない。
それに深く考えようとしてもどうせ今は頭が働かないし、こんな機会があるなら掴んでおこうじゃないか。チャンスやきっかけは、逃すとなかなか次が巡ってこないものだと知っている。
どうせ今考えてもまともな考えは出ないだろうし、だからまあいいや、なんて酔ってるときだからこそできる楽観的判断で奥へ進む道を選んだ。
本来ならタクシーを呼んでもらって大人しく家に帰るべきだったんだろう。そして多少の二日酔いとともに飲みすぎはいけない、なんて当たり前のことを反省して終わりにするべきだった。
だけどそうならなかったのは、たぶんお互いに酔っていたからだと思う。
そんなわけで俺たちは店内が薄暗いことをいいことに、堂々と二人で個室に向かったのだった。
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