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第4話

 それに気づいたのは、一度溜まった欲を吐き出して、酔いも若干醒めたおかげなのか。 「……そういえばヒート中じゃないと意味ないんだった」 「ですね」  俺たちがそんな今さらの事実に気が付いたのはすべてが終わってからのことだった。  正直なところあまりリアルに考えたことがなかったけど、そういえば「番」になるためにはヒート中にうなじを噛むことが必要だったはず。  つまり今のあれこれは無駄だったってこと。  勢いで色んなことを決めた結果、ただのセックスになってしまった上に、うなじにはっきりと、だけどそのうちあっさりと消えるだろう歯型がついただけに終わってしまった。  それを真神くんはどう思っているのか、エロいベッドシーンでカットがかかった後のように、平然とした相づちを打つ。まるで本当にドラマのワンシーンだったかのようなあっさりさだ。  ……それにしたって、偶然出会った人気絶頂のイケメン俳優と、成り行き任せの一夜限りのセックスとか、どれだけよくある設定なんだ。  それをまさか自分が当事者として体験するなんて、思ってもみなかった。 「ううう、これじゃあただエロいことしただけになっちゃった……。せっかく、ヒートがなくなると思ったのに」 「すいません」 「俺がやらかしたことだから謝られることじゃないよ」  そればっかりは本当にそう。  けど言い訳させてもらうと、最初からこんなことをするつもりじゃなくて、俺にとっても予想外の展開だらけだったってことを言わせてほしい。  まさかあんな適当な番の誘いに乗ってくる人間がいるとは思わないじゃないか。酔っ払っていたせいでそんなのもありかな、と思ってしまったんだ。  忘れたいことがあって酒を飲んだというのに、それでまた忘れたいことを増やしてどうするんだって話。  そうやって落ち込む俺を見て、真神くんはなぜか「いや」と割って入ってきた。 「ヒートの時じゃないとだめだろうなって思ってたんですけど、皐さん気づいてないみたいだったし」 「え?」 「言ってもよかったんですけど、せっかく好みの顔だったんで帰られたくないなって思って。黙ってました、のすいません」  自分が謝った理由をそう説明する真神くんの平然とした顔に思わず唖然としてしまった。 「……クールな顔して結構肉食系なんだね」  なにを大人しい顔でゲスい告白をしてくれてんだ。最初から気づいていて無意味だってわかっていたなら言ってくれればこんなことにならなかったのに。  ていうか、この人そういう感じなの?  大人しめでクールで草食系どころか絶食系の男の子ってイメージだったのに、やっぱりアルファはアルファなのか。 「あ、別に遊んでるわけじゃないですよ? 皐さんの顔がそれぐらい好みだっただけです。番になってもいいなって思ったのも本当です」  しらっとした表情のままで言うから本音がどこかまったく見えない。  油断してた。  いくら表面上がギラギラしていなくたって、中身は立派なアルファなんだ。欲がないわけがないのに、なにを人にわざわざ勃たせろとか……そこまで考えて、さっきまでの記憶が蘇って赤面する。  俺一人でなにを必死になってたんだろう。またオメガのせいでひどい目に遭った。 「大丈夫ですか? どこか痛いところとか」 「大丈夫だから気にしないで」  あれやこれやの感情に悶える俺に、さっさと身支度を終えた真神くんが問いかけてくる。  伸ばされた手を避けたつもりだったけど、真神くんの方が少し早く捉えられた。 「これ、痛そう」 「いやまあ、ちょっとヒリヒリするけど……ぅん?」  意味もないくせにしっかり噛みすぎたらしいうなじの噛み跡に触れた真神くんが、低く呟いた途端ぞくぞくした感覚が背筋を走り抜けた。  擦り傷を舐めるタイプの人間なのか、真神くんは自分でつけた歯型を癒すように舌を這わせてそこを舐めている。 「ひあっ!? あ、ちょっ、いいから、大丈夫だからっ」  思わずのけぞる俺をよそに、犬か猫のように丹念にうなじを舐める真神くん。 「皐さん、連絡先教えて。ヒートの時、もう一回しよう」 「いいっ、いいから! もうその話いいから! あっ、やだ、もういいってば……!」 「次はちゃんと、ヒートで乱れる皐さんのうなじをしっかり噛んであげるから」  そのまま体重をかけられて、ソファーの上に丸まるように倒れ込む。その上で何度も歯の跡に唇を落とした真神くんは、低い声で恐い囁きを吹き込んでくる。変にいやらしい声じゃなく、変わらず平坦なのが逆に恐い。 「ちょっ、待っ……と、とにかく!」  だからと言ってこのまま大人しくしていたらより一層恐い目に遭うかもしれないと真神くんを跳ねのける勢いで体を起こした。  それから這うようにしてソファーの上を移動して距離を取る。 「俺帰るから、この話はこれまで!」 「連絡先は?」 「この話はこれまで。これで終わり。ごめんなさい、酔っ払ってました。だからお互い全部忘れよう。そういうわけなんで連絡先も必要ないです」  口を拭う真神くんはマイペースに自分の要求を口にするけれど、だったら俺だって言いたい。  ちょうど現れたアルファに八つ当たりした上に酔っ払ってやらかしたのは認めるから、もうそれで話を終わりにしてほしい。 「……」  うわ、めちゃくちゃ不服そう。  基本的にあまり表情の変わらない真神くんだけど、今ものすごく不機嫌なのは微かにしかめた眉と尖らせた口と放たれるオーラからよくわかる。  そりゃアルファはアルファってだけでモテるだろうから、こんな風に断られた経験があまりないのかもしれない。だからといって連絡先の交換なんてとんでもない。俺はもう、二度と会いたくないのだから。  それに、しちゃったことはしちゃったことでもうどうしようもないけれど、しばらく噛み跡が消えるまで首筋を隠さないといけない。  意味のないうなじの噛み跡なんて見られたら困るし、シャツの襟で首筋が隠れるといいんだけど。 「わかりました。帰るならタクシー呼ぶからちょっと待ってください」 「いい、大丈夫。自分でなんとかするから」  入る時は気にしなかったけれど、一緒に個室から出てくるところを見られたらまずいかもしれない。  ともかくこれ以上真神くんと二人っきりでいるのは危険だと判断して、俺は逃げるようにその部屋を飛び出したのだった。  なんだかすごく疲れた。これを徒労というのか。  アルファに泣かされ、オメガであることに振り回され、本当にめちゃくちゃな日だ。  ただ、唯一の救いはなにで落ち込んでいたのかを少しでも忘れられたことだろうか。その代わり、新たに後悔の種は増えたけれど。  それでも短時間に色々ありすぎたせいか、さっきまでのくさくさとした気分が吹っ飛んだのは確かだ。さっきまでこの世のどん底みたいに落ち込んでいたのがバカみたいだ。 「ああもう本当どうしよう」  うなじに手をやって跡を隠して、やけ酒を飲みたい気持ちを抱えながらバーを飛び出したというのに。  家に着く頃には、このとんでもない体験と気持ちをいつかなんらかの形で演技に活かしてやると思っているんだから、我ながらだいぶタフなのかもしれない。

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