7 / 27
第7話
「八尋 さん……お久しぶりです」
「やあ、ウサちゃん。本当に久しぶりだね」
俺よりも背が高く、長めの髪は、けれど中を刈り上げている分軽やかでどこか色っぽい。
まだ私服で、その服のテイストは昔と変わらず落ち着いた大人っぽさで、その変わらなさに隠れて息を飲む。さっきとは別種の緊張を覚えて、思わず一歩後ろに下がった。
そんな俺をやっぱり昔と変わらない、面白がるような微笑みで見つめた八尋さんは、一つ頷いて「似合ってるよ」と俺の格好を褒めた。
「また共演できて嬉しいよ。ウサちゃんの演技、好きだからね」
「……知り合い、ですか?」
変な緊張感を出してしまっている俺の様子に気が付いたのか、真神くんが訝しげに眉をひそめる。知り合いかと言われれば、知り合いで、それ以上。
「……うん、まあ」
「あ、そうだ。真神くん、マネさんが探してたよ。早いとこ用意済ました方がいいんじゃないかな?」
一体どうやって答えたらいいのか判断が付きかねている俺をよそに、八尋さんがそうやって真神くんに用件を告げ、主役である真神くんは微妙に納得いかない顔をしつつも自分の控え室へ向かった。
そして取り残されたのは俺たち二人。
「真神くんと知り合いだったんだ。知らなかったな」
「いや、知り合いってほどでもないので。えっと、お久しぶりです」
「うん、二度言うくらいには久しぶりだね」
距離感を図りかねて言葉が探せない俺に余裕の微笑みで対応する八尋さん。
出演者として名前を見てから、会った時の会話をシミュレートしていたけれど、実際こうやって向かい合うとうまく言葉が出てきてくれない。切れ長の目を細められて見つめられ、俺はすっかり混乱してしまっていた。
八尋さんは、先輩であり俺の因縁の相手で……ぶっちゃけ初めての相手だ。
子役をしていたときに入っていた劇団の先輩で、色々良くしてもらって、本当の兄のように慕っていた。二つしか年が違わないとは思えないくらい大人っぽくて、実際の年より上の役がよく似合っていたし、それをとても器用にこなす人だった。
スタイルがよく意味深な微笑みが似合うことでモデルの仕事もよくしていた自慢の先輩。
けれど俺がまだオメガだと知らなかったとき、たまたま稽古で二人きりになったタイミングで運悪く初めてのヒートが来て、そして八尋さんはアルファだった。
訳もわからないまま抑えられない衝動に八尋さんを巻き込んで、そして呆気なく俺たちの関係は崩れた。
仲のいい先輩後輩が、あっという間にただのアルファとオメガに変わったんだ。
……たぶん、それでもまだマシなタイプだったんだと思う。もし帰りの電車だったり街中だったりしたら、もっとひどい目に遭っていただろうから。
八尋さんはその後も色々気にして気遣ってくれたし、変わらぬ関係を続けようとしてくれたけど、迷惑をかけてしまったことが申し訳なくて俺から距離を取ったんだ。
それに子供だった俺には衝動のまま抱かれた相手にどういう態度を取っていいかわからなかったから。
そして子役だった俺がオメガで、しかも売り出し中のアルファと問題を起こしたことでイメージが変わってしまったことにより、俺は一度演技の世界から去ることになった。
高校に入ったタイミングだったから学業優先という名目でやめることは容易かったし、子供同士の事故だったこともあって公にはそのことが広がることはなかった。
だから俺は高校と大学の時代をひっそりと過ごし、それでもやっぱり諦めきれなくて二十歳の時にもう一度演劇の世界に飛び込んだ。
あの時のことは一部にしか知られていないから、俺はずっとベータとして過ごしてきたし、この世界に戻ってきてからはアルファと仕事することもあった。最初は緊張したけれど、ヒートの時以外は恐れることはないと気づいて、だからもう平気だと思っていたのに。
醜態を晒してしまったという気まずさは今でも残っていて、こうやって改めて対面した今、どうやって話していいか真神くんの時以上に悩んでしまう。
……というかよく考えたら俺はアルファに醜態ばかり晒しているな。
「今日からまたしばらく戦友だから、よろしくね、オウジ」
「よろしく、お願いします」
黙り込んでしまった俺の役としての名を呼び、顔を上げさせた八尋さんはにっこりと微笑んで手を差し出してきた。だから俺もできるだけ笑顔を作ってその手を握った。
悩んでいたところで撮影は始まるし、考えるのは後でもできる。今は俺ができることをするしかない。
「じゃあ因幡くん、スタンバイして」
「はい」
俺はオウジ、俺はオウジ、と自己暗示をかけるように心の中で繰り返してセットに入る。
セリフは入っている。どういうシーンかも頭に入っている。だから後はそれを表に出すだけ。
そうやって一度強くつぶった目を開いた瞬間、驚くものを見た。
「シュウリ!?」
ライトの当たらない暗がりの中、目の端に映った姿があまりに思い描いていた姿そのままで、驚いてその名を呼んでしまった。
当然そこにいたのは衣装に着替え、メイクも終えた真神くんで、主役なのだからいて当然なのに。小説を読んだ時にこういう感じと自分で思った姿は、話して知った真神くんとは正直あまり合っていなかったというのに、今まとっている雰囲気はシュウリそのものだ。
もちろん衣装やヘアメイクの力もあるんだろうけど、表情が違う。ぶっきらぼうだけど心の中に熱いものを秘めている、熱血主人公タイプのシュウリ。それがそこにいる。
その姿にとにかく驚いてスタンバイを忘れている自分に気づいてまた驚いた。仕事中だというのになにを他に気を取られているんだ。
「あ、ご、ごめんなさい」
「謝んないでいいよ、オウジ。悪いのは俺。いると思わなかったんだろ? びっくりした?」
慌てて立ち位置につこうとする俺に真神くんの声が飛んできて、笑い声が起きて一気に張りつめていた空気が和む。
その声音が、言い方が、まるで本当に彼がそこにいるみたいだ。
驚いた。真神くんはこういうタイプなのか。
「今の顔、本当に驚いていて良かったなぁ」
「そういえば省いたシーンにそんなやりとりありましたね」
「お、じゃあ復活させるか?」
そんな監督さんたちの会話の後、実際オウジのシーンが少し増えたのはある意味ラッキーだったのかもしれない。
ただまたアルファにしてやられた感が残って、なんだか素直に喜べないでいる俺はたぶんとても心が狭い。
ともだちにシェアしよう!