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第15話
そうやって妙な満足感で撮影を終え、真神くんの家に帰ってからというもの、真神くんの様子がどうもおかしい。
「……なんか、機嫌悪そうだけどどうしたの」
なんか、というかあからさまに、というか。
こうやって知り合う前まで、クールで若干表情が乏しいイメージだった真神くんだけど、実は割と素直に気持ちが顔に出るということを今は知っている。
荷物を投げ出しむっつりとした顔でソファーに座っている真神くんをさすがに放っておけず、端に腰を下ろして聞いてみた。すると自分の膝の上で頬杖をついた真神くんが、胡乱げな視線を投げてくる。
「俺がちゃんと仕事してるときにどこかの誰かさんが誰かさんといちゃついてんのが見えたからですかね」
「は?」
いちゃつくって。
あまりに心当たりがなくて思いきり聞き返してしまったら、より一層不機嫌顔が歪んだ。
誰となにと勘違いをしているんだ。
「手に手を取ってスタジオ抜けていったのが見えちゃったんで。知ってます? ヒートの時じゃないとアルファとセックスしても番にはならないんですよ?」
「……やめてほしいな。八尋さんはそういうんじゃないから」
皮肉っぽい言い方でやっと真神くんがなにを言っているのかを理解して、こちらも機嫌が悪くなる。
真神くんは俺の失敗を揶揄しているんだろうけど、八尋さんとの関係は特殊だからそこに触れられると気持ちがピリピリするんだ。アルファとセックスなんて、そんなものしたくてしたわけじゃない。
「仲良しアルファがいるならさっさと噛んでもらったらいいんじゃないですか。それとも番の話を持ち掛けてあちこち渡り歩くのが趣味とか?」
「いたっ!」
猛獣が獲物を追いつめるみたいにじりじりとソファーの上を移動してきた真神くんが、睨む俺の手を取って強く引っ張ったものだから痛みが走って思わず声が出てしまった。
「あ、な、なんでもない」
「……あの時か」
慌てて隠したけれど、どうやら湿布を見られたようだ。さっきの八尋さんの時も思ったけど、俺の反射神経は悪くないはずなのにどうしてこうも簡単に気づかれるのか。相手が悪いのか。
「怪我してるならしてるって言ってくださいよ。なにちょっと隠す演技うまくなってるんですか。……ひどいんですかこれ?」
「大丈夫。ちょっとひねっただけだって……いたたたた!」
「ちょっとじゃなさそうですね。病院は?」
「本当に平気だから。幸い明日からしばらく大人しいシーンが多いし、折れてるわけでもなければ腫れてるわけでもないんだから」
八尋さんの言った通り、安静にしていれば数日でも普通に動かせるようになるだろう。派手なアクションシーンはしばらくないし、大袈裟に騒ぐものじゃない。
ただそれを正直に受け取れないのか、真神くんはじーっと俺を見たまま探るように目を細める。
「本当のこと言わないとキスしますよ」
「あのね、いい加減そういうのを脅しに使うのやめなさいって」
なんでこんなことでキスされなきゃいけないのか。そもそも真神薫のキスは俺には違っても一般的にはご褒美の類じゃないのかと色々つっこみどころしかないんだけど。
「……痛いですか?」
左手をそっと取られ、そこにちゅっと小さなキスを落とした上で窺うように聞かれれば、一気に毒気が抜かれてしまうからイケメンはお得だ。
「本当に大丈夫だから。しばらく動かさないし。ね。だから気にしないで」
「気にするでしょ、普通。ただでさえ無鉄砲な人なんだから、これ以上放っておくとなにしでかすかわかんないし」
「そこまで言われるほど無茶してるわけでは……って真神くん?」
やれやれとでも言いたげな口調で言われ、反論を聞き入れられないまま痛くない方の手を取られて連行されたのはなぜかバスルーム。
そこに押し込められて、ついでに真神くんも入ってきたから慌ててストップをかけるように右手を突き出す。
「な、なに?」
「そっちの手、あんまり動かさない方がいいし、のんびり風呂ってわけにもいかないだろうから頭洗いますよ」
「べ、別に片手が使えなくても……いやいいから! 自分で脱げます!」
「なにを今さら恥ずかしがってるんですか。もっと恥ずかしいことしたくせに」
突然の展開に当然戸惑う俺をよそに、真神くんはさっさと俺の服に手をかけて脱がそうとしてくる。ためらいがない分、止めている俺が変な人みたいだ。
「あ、明るいから……」
「酔っぱらってたらあんな大胆なくせにこういうのは恥ずかしいんですね」
ちくちくと痛いところを突かれて、完全にオモチャ気分で脱がされる。力で敵わないことは知っているし、あまり抵抗すると言葉でいじめられるのがわかっているから半ば諦め状態だ。
そりゃあ初対面で色々してしまったけれど、あれはむしろもう二度と会わない相手だと思っていたからであって、こんなもの恥ずかしがって当たり前だ。
「……真神くんは脱がないんだ」
「なんか期待してました?」
「一人で脱いでるのが恥ずかしいだけ」
結局全部脱がされて、俺一人だけ裸になって風呂場へ。バスチェアに座ってシャワーをかけられ、シャンプーをつけられ泡立てられた上で「かゆいところないですか」なんて美容師ごっこをされ。
って。
「……ちゃんとシャンプーしてもらえると思わなかった」
「ま、主役としては共演者に撮影が終わるまでは無事でいてもらわないと困るんで」
本当に普通に髪を洗ってくれた。もっとからかわれたり変なことをされると思っていたのに、どうやら本当にただお世話をしてくれているらしい。
気まぐれなのか作品に対する責任感なのかはよくわからないけれど、手つきは優しくシャワーをかけるときも丁寧でとてもありがたい。
「正直とても気持ちいいです」
「俺の手が?」
「……真神くんの手でシャンプーしてもらえるのが気持ちいいですけどなにか」
「いえ」
なんとなくその言い方に含みを感じて丁寧に言い返したら、ご機嫌で笑われた。鏡越しに顔を窺ってみれば、案の定楽しげな微笑みを浮かべている。
こんなところで、しかもこんな会話で浮かべているのがもったいないほどのいい笑顔。
……こんな風に普通に笑う人でも、やっぱりヒート状態のオメガと会ったら暴走してしまうんだろうか。辛くても抑制剤で抑えられるオメガと、その手段がないアルファ。わずらわしく思うことが一致しているのなら、やっぱりとりあえず番になるというのも悪い手じゃないのかもしれない。のかもしれない、けど。
柴さんが言っていたことを考えると、利害が一致したからという安易な理由で番になるのはどうにもためらわれる。
なによりそんな関係性でオメガであることをカミングアウトした後、自分がどういう扱いになるのかも想像できないし、歯型があるからにはその相手が存在するというところを無視してもらえるのだろうか。
相手が真神くんであるとバレたらどうやったって迷惑をかけてしまうし、その場限りの関係ですというのも印象が悪いし。
……難しくて頭まで痛くなってきた。
「さ、体はどうします? 俺に任せるなら隅から隅まで奥の奥まで洗いますけど」
俺が悩んでいる間にしっかりと洗い終えてくれた真神くんが、そんな気もないのに聞いてくる。
いや、冗談でしょ、たぶん。
「任せません。体くらい自分で洗えます。ありがとう。もういいです」
「そうですか。じゃあご褒美は?」
「へ?」
「頭を洗ったご褒美。まさかただで済ませるとでも?」
「ご褒美……」
どうも俺をからかうことに楽しみを見出しているらしい真神くんの悪徳業者みたいなセリフに少しだけ考える。
それから、ご褒美と言ったらこれだろうと真神くんの頭を「ありがとう」とぐりぐり撫でてみたら、見事にきょとんと目を丸められて。
「ぷっ……はは、あははは! あんたホント俺のこといくつだと思ってんすか!」
その後めちゃくちゃ笑われた。まるっきり子供の顔で笑い転げられて、やったこっちが気まずくなる。
「風邪引いたら困るんで、さっさとシャワー浴びて出てきてください。氷と湿布、用意しておくんで」
笑いが治まりきっていない涙で滲んだ目を拭って、真神くんはお返しのように俺の頭に手を置いてすんなり外に出ていった。その去り際は爽やかささえ感じる。
マジで、本当に、親切で頭を洗ってくれただけらしい。なんだかんだ言って、優しい男だ。
「……真神くんにはちゃんとした番が必要だよなぁ」
いくら真神くんがそれでいいと言ったって、俺の都合に巻き込むのはやっぱり良くない。
改めてそう思って、「ちゃんとした番」の難しさに大きくため息をついた。
本格的に、柴さんに相談してみようかな。
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