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第18話

「ウサちゃん、俺だけど入っていい?」  コンコンと軽いノックの音がして、覗き穴から覗くより先に八尋さんの声がした。少しだけ迷って、ドアを開く。  首元が大きく空いたロング丈のカットソーとカーキのラフなパンツ姿の八尋さんは、すっかりオフモードでにこにこと機嫌よさそうに笑っている。 「どうしたんですか?」 「悩み事があるかなと思って。優しいお兄さんが相談されにきたよ」  ドアの前でにっこりと優しいお兄さんアピールをされて、一つため息をついてドアを大きく開いて迎え入れた。一人でぐるぐるしていたのは本当だし、相談に乗ってもらえるのならそれはそれでありがたい。  だから素直に八尋さんを招き入れてからドアを閉めたら、そこで立ち止まった八尋さんが俺の手を取って怪しく笑う。 「いいのかい、アルファを簡単に中に入れて」 「八尋さん実は恐がられたいんですか?」 「いーや。追い出されなくて嬉しいよ。理性がある時なら信じてもらって大丈夫」 「とっても笑えます」  それは俺にも言えることだと自虐的に笑って、先に部屋に入っていく八尋さんを追う。  なんだかんだ言って鏡の前のイスに座った八尋さんは、距離を取るように俺にベッドの上に座ることを促し、両手を広げておどけて見せた。 「さて、それじゃあ悩み事を話してごらん」  そして足を組んで「ハカセのメガネをしてくればよかったかな」なんてうそぶく八尋さんに、ふぅと息をついて体から力を抜く。  こうやって人を頼ると、自分が弱くなる気がして苦手なんだけど、そんなこと言ってられないか。 「あの時のオウジの笑顔って、どういう感じだと思いますか」 「おや、てっきり悩み事は真神くんのことだと思ったのに」 「なんで真神くんなんですか」  オウジの気持ちになれなくて、子供らしさがわからなくて悩んでいるというのに、俺の言葉を聞いて八尋さんは意外そうな顔をする。なんでそんなびっくり顔なんだ。 「違いますよ。子供の笑顔ってどういうものかわかんなくなっちゃって」 「まあ確かにウサちゃんは昔からいい子ちゃんだったしなぁ。子役らしい演技をずっと頑張ってしてたでしょ? 子供らしい子供らしさ、あんまりなかったんじゃない?」 「子供らしい子供らしさ……」 「俺なんかいい子ちゃんじゃなかったから楽だったけど、ウサちゃん演技も優等生だったもんね。子役役って感じで」 「そんな感じでした……?」 「最初の頃の『しろ』くんはわりとそんな感じ。途中からは演技するのが楽しいって感じで変わったから良かったなーと思ってたけど。あ、これ全部傍で見てた俺個人の感想ね。他からはそんな風に見えてなかったと思うよ。普通に可愛い子供だったよウサちゃんは」  その時代から知っている八尋さんは、子役時代の名前で呼んで感慨深げに語ってみせる。  確かにできるだけ聞き分けよく、言われた通り演じようと意識していたけれど、外から見たらそんな風に見えていたとは知らなかった。 「だから最近のウサちゃんはわりと人間らしくていいと思うんだよね。特にこの現場は。真神くんのおかげかなぁ」 「だからなんでそこで真神くんなんですか」  さっきからやたらと名前を持ち出すそれはどんなからかい方なんだと眉根を寄せれば、八尋さんは腕を組んでにやぁと嫌な笑い方をした。 「だって最近ずっと一緒にいるし、ずいぶんと気を許してるみたいだしねぇ」 「……はい?」 「ウサちゃん今、真神くんの家にいるんでしょ? それって気を許してるって言わない?」  ぎょっとしてしまった時点で、白状しているのと同じ。とはいえなんで八尋さんがそれを知っているんだという疑問が表情に出ていたんだろう。八尋さんが軽い笑い声を立てる。 「なんでびっくりしてんの。ウサちゃんのマネさんの声が聞こえなかったとでも?」 「ああ、それは……そうですね」 「仲睦まじいのはいいけど、真神くんはウサちゃんがオメガだって知ってんの?」  隠していたはずの居候がバレていたことによるショックがまだ抜けていないのに、それがわかれば当然浮かぶ謎をそのまま突き付けられてどう誤魔化そうか数十秒だけ考えて観念した。嘘をついたところできっと八尋さんならあっさりと見破ってしまいそうだから。 「ちょっとした行き違いというか……端的に言いますと、酔っ払って俺がバラしました」 「それで一緒に暮らしてるってのは、そういうこと?」 「そういうことじゃないです」  複雑というほどわかりにくいものではないと思うけど、簡単にわかってもらえる気持ちかというと微妙なところで。  必要だから番になろうと思った、でも当然ながら相手はちゃんと選ぶべきだった、真神くんの家に住んでいたのは撮影のためです。ということを都合の悪いところは省いてかいつまんで話せば、八尋さんは腕を組んだまま黙ってそれを聞いていた。  そしてしばらく考え込むように目を閉じて、それから腕組みを解いてにっこりと微笑む。 「じゃあ俺から提案」  人差し指を立て、注目を促すように振ると、八尋さんはその笑顔のまま口を開いた。 「俺と番にならない?」 「え……?」 「ずっと考えてたんだよね。ウサちゃんのためになにができるか」 「なにがって、巻き込んだのは俺の方で」 「でも傷ついたろ? それで一度辞めまでした。せっかく演技が楽しくなってきた時だったのに、俺の理性が利かなかったばっかりに悪いことをしたと思ってるんだ。……だからまたこうやってウサちゃんと共演できるのが本当に嬉しいんだよ」  そうやって先輩の顔で笑って、予想外すぎる提案に目を白黒させている俺をなだめるようにことさら優しい声を出す八尋さん。  俺と八尋さんが番になる? 「俺と番になったらウサちゃんももう少し動きやすくなると思うし、オメガであることを隠さなくてもいいでしょ? いや、言いたくないのなら言わなくてもいいけど。俺はこの先しばらく独り身の予定だし、公表してもしなくてもそれはウサちゃんの好きにしていい」  あまりにも俺に都合が良すぎる条件を並べる八尋さんに、思わずベッドの上で座り直す。  あの時は急に変わった状況に誰よりも俺が受け止めきれなくて、だからアルファという性に反発はあっても八尋さん自身に責任があるなんて少しも思わない。  ただ、もしもあの時俺が逃げなかったら、最初からこうなっていたんだろうか。

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