「隆人、あんた…さすがに加減しないと、大事な人も逃げていくわよ」 はい、水、と言われタカは水を一気飲みしてダイニングテーブルに伏せた。麗子は朝ごはんを作りながらため息を吐いた。昨晩の事は丸聞こえだったようだ。 「なんか、夜中に目が覚めて、俺の部屋に優一がいると思ったら…いろいろやばかった。ごめんな。」 「本当に。久しぶりに帰ってきたと思ったらあんたは…。母さん恥ずかしいわ」 「…でも俺、帰ってこれてほっとしてる。」 味噌汁のいい匂いがして顔をあげると、麗子は嬉しそうに笑った。 「私も嬉しいわ！やっと顔見れたんだもの…。ねぇ隆人？今なら話せる？あなたが帰ってこなくなった理由」 火を消して、タカの向かいに腰掛けると頬杖をついて見つめた。 「いろんなことが…あったんだ。」 今なら話せる気がする、と少し頭で整理をすると、麗子は眉を下げて心配そうだ。 「事務所、うまくいってないの？」 「違うよ。有り難いことにずっと使ってもらってる」 「…じゃあ…美奈子ちゃん？」 「え？」 タカは目を見開いた。麗子からその名前を出すときは可愛がっている話題だけだった。 「この間の事務所移籍問題のことも、美奈子ちゃんが代表辞任したことも関係あるの？」 タカは迷っていた。麗子の今後を考えると喉がはりついたように動かなかった。 麗子は困ったように笑ってタカの手を握った。 「私のことはいいの。私は隆人の話が聞きたい。言いたいことだけ、言いなさい」 優しい微笑みにタカは涙を浮かべ、ゆっくりと話はじめた。 「美奈子さんは、俺がだれかと付き合ったことを知ると、必ず別れさせるんだ。何度も、何度も失ってきた。美奈子さんがうちの事務所を辞めた理由、聞いた？」 「新しい会社を創るためでしょ？」 きょとんとした麗子に、心が痛みながらゆっくりと、動揺しないように、何でもないようにと気をつけて話す。 「違う。本当は辞めさせられたんだ。美奈子さんが俺に手を出したから。俺、本当に嫌だった。はじめは尊敬してたのにって、何も信じられなくなった」 麗子は絶句していた。 「あの時の彼女とは、美奈子さんが俺との写真を彼女見せて、これが原因で別れてから、今までずっと誰だろうと別れさせられた。あなたは、天才だから凡人といるのは時間の無駄って。あなたは恋愛していたら本業が疎かになるからって。そして、俺にずっと引き抜きの話をしてくるし、尊敬しているメンバーを俺と比較して罵っては、メンバーも巻き込んで俺の居場所を崩していく。もう、正直関わりたくないんだ。母さんには、会いたい。でも、美奈子さんがいると思ったら…怖いんだ。俺が関わる人が傷ついて離れていくのが。」 パタパタとテーブルに涙が落ちる。麗子は目を見開いて次から次へと溢れていたのをタカに隠すようにハンカチで覆った。 「母さん俺、人を傷つけただろ？母さんが事務所や病院に呼ばれた時。あれだって、美奈子さんの差し入れにっ…薬が、混ざってて、それで、俺っ、その時の、好きな人にっ、乱暴してしまって」 声が小さくなり、手が震え、言葉が詰まってきたタカに、麗子は席を立って抱きしめた。 「ごめんなさい、隆人。辛かったね。母さん、気付いてあげられてなかった。助けてあげられなかった。ごめんなさい。」 「ちがうっ、俺、母さんに嫌な思いさせたくなくて、でも、怖くて、会いにいけなくなった」 麗子は涙を拭きながら、いいのよ、と笑った。 「母さん。そんな状態でも、どうしても母さんに優一を紹介したかったんだ」 「うん！うん！ありがとう！母さん嬉しい！ユウちゃんに会えて嬉しいわ！」 麗子の言葉にほっとして、出会った頃を思い出すと可笑しくなってきてクスクス笑う。 「最初はさ、俺、すっごい優一に嫌われてて…。ふふっ、優一、ああ見えて男気あるからさ、メンバーのために激怒してたんだ。キレたら別人。本当怖いよ」 タカは幸せそうに出会いや、優一の好きなところを話し、麗子も笑って聞いていた。 「優一だけは、美奈子さんに壊されたくない。だから、母さん、美奈子さんと今まで通りでいい。でも、美奈子さんは相手を追い込んで、俺から離れるようにしてしまうから…優一だけは守ってほしい。」 タカが頭を下げると、麗子は頭をあげなさいと笑った。 「昨日ユウちゃんと話して、真っ直ぐすぎるぐらい、真っ直ぐな子だって分かったわ。そして、あなたのことをすごく大切にしてるし、心配してる。本当にいい人に出会ったわね。大切にしなさい」 うんと頷いたあと、少し引っかかっていたものを吐き出した。 「ありがとう。…正直、女性と思った？」 「そりゃあそうでしょ？でも、あなたの話聞いたら女性不信にもなるわね。無理もないわ」 「美奈子さんには感謝する部分はもちろんあるよ。この業界に入れてもらったこと、いろんな人と別れさせられたから、優一に会えた。」 たくさん探しても感謝はこれだけかな、とタカは不貞腐れた顔をしてそっぽを向いた。麗子はそれにしても、とニヤニヤし始めた。 「隆人、ずっと好きなタイプ変わらないのね」 ふふっと麗子が笑うのをきょとんと見つめる。 「小さい頃から、ちっちゃくて、クリクリお目めの童顔が好きでしょう？男の子でも女の子でも変わらないなんて。」 クスクス笑われてタカは過去を思い出し赤面した。 「隆人、美奈子ちゃんのことは、私に任せて。あなたは、ユウちゃんのことだけ幸せにしなさい。」 「これからは親孝行もするよ」 「顔見せてくれるだけで嬉しいわ。またライブにも行きたいなぁ。母さん、グッズもちゃんと買ってるのよ。寝室に飾ってあるの」 得意げにウィンクする麗子に笑いながら、次は送るよ、と言った。 「ユウちゃんは、RINGだったわよね！ファンクラブにも入らなきゃだし、CDも買わなきゃ！息子のことをあまり知らないなんて母としてダメだわ！今日早速お店に行かなきゃ！…あ、そろそろユウちゃん起こしたら？」 「起きるかな…。母さん卵焼きも作っておいて。優一の大好物だから」 タカはそういうと、二階へ上がった。布団にくるまって疲れ切ったように寝ているのを見て心が痛くなる。抱き潰すとはこういうことか、とタカは1人納得した。 布団を剥がすと、タカでも驚くほど、首や鎖骨に付けられた数多のキスマーク。麗子に小言を言われるだろうと覚悟して優一を起こした。 「ん…たかさん、おはよう」 「おはよう。体調どうだ？」 「だるいし眠たいし腰が痛い」 タカは少し腰のマッサージをしてあげて、ゆっくり体を起こす。まだ色気を纏って気だるそうな雰囲気を出す優一に、ドキッとした。タカはこの色気にあてられないよう目を逸らし、朝ごはんあるぞと手を引いた。 「おはようございます」 「ユウちゃんおはよ…って、こら！隆人！どうするのユウちゃんをこんなにして！」 麗子は優一を見るとぎょっとしてタカに怒鳴り始めた。優一はきょとんと首を傾げる。 「あ〜たしかにやばいな。優一、近いうち撮影あるか？」 「明日だよ〜」 「もー！大事にしなさいって言ってるのに！」 「大事にしすぎた結果だから！」 「あの…どうかしましたか？」 「「キスマーク」」 「……え！！？」 洗面所どこですか？と慌て、洗面所に行くと大絶叫していた。なにかのアレルギーが出たかのようなキスマークの数に優一はどうしよう、と泣きそうになった。 麗子からコンシーラーとフェイスパウダーをお下がりで貰い、ひとまず安心した。 「ユウちゃんもおいで。朝ごはん食べましょう」 「うわぁあああー！朝ごはんだぁあ！卵焼きっ！」 幸せそうに笑う優一に、2人は微笑んだ。卵焼きを頬張ると美味しいと両頬に手を当て、とろけそうな笑みで言うと、麗子は嬉しそうにもっとお食べと食べさせた。 「ユウちゃん、作りがいがあるわ〜。餌付けしたくなっちゃう！」 「そうなんだよ。なんでも美味しいって喜んでくれる」 「だって美味しいもん！」 「でも作る方はダメ。理科の実験状態だよ」 「タカさんっ！しーっ、だよ」 2人のやりとりを見て麗子は心の底から安心した。タカがこうしてリラックスできる人はとても少ないのだ。 「ユウちゃんがいてくれて良かったわ。隆人も幸せそう…。いつでも遊びにいらっしゃい」 「…はい！ありがとうございます！」 お風呂を借りて、帰る準備を整える。ちょっと待って、と麗子は優一を呼び止め、ボルドーカラーのマフラーをキスマークだらけの首に巻いた。 「あ…これ…？」 「うん！似合うわ！ユウちゃんにあげる」 「母さんそのマフラー…。いいのか？」 「もちろんよ！よく似合っているわ〜！ユウちゃん可愛いから着せ替え人形にしたい。今度ショッピングにでも行きましょう？」 「はい！ぜひ！喜んで！」 頭を下げてタカの実家をあとにした。 「ふふっ、隆人ってばニヤニヤしちゃって…。ユウちゃん、隆人をよろしくね」 小さくなっていく背中にぽつりと呟いた。 早朝の繁華街は昨夜の煌びやかさが嘘のように静かだった。駐車場に着くと、見覚えのある女性が近づいてきて、優一はタカのコートを握った。 「やっとママに会いにきたのね？」 「美奈子さん。まさか待ち伏せでもしてたんですか」 「自意識過剰だわ。」 「そうですか、では」 「ママも可哀想。楽しみにしてたのよ？どんなお嬢さんかしらって。でも来たのはあなた。どんなにガッカリしたでしょう」 バカにしたように優一を見て笑うのを、優一はぐっと耐えてマフラーに顔を少し埋めた。 「あなたには関係ないことです。嫌味を言いに来たんですか？」 「ママのためよ」 「母に頼まれたんですか？」 優一はタカがだんだんイライラしてきたのが分かって、もう行こうと小さく呟いた。 「ママはこんなこと頼まない。我慢しちゃうから代理よ。…それに、あなた、前と随分様子が違うわね？タカやママの前ではしおらしくしているなんて…打算的というか、計算がみえみえよ。ウラオモテがあって怖いわ〜」 「美奈子さん、」 声が一段と低くなる様子に慌ててタカを止める。優一は自分がどうこう言われるのに気にしていないのを、美奈子は更に優一を怒らせて本性を出そうと嫌味を言い続けた。 「ママはね、優しくて誰でも受け入れてくれるから、それに勘違いしないでよね」 「分かりました。ご忠告ありがとうございます。タカさん、もう行こう」 「美奈子さん、その言葉、そのまま返します。」 「え？」 タカは優一を美奈子から隠すようにして前に立ち、美奈子を真っ直ぐに見つめた。 「今朝、今までのこと、全部母さんに話した。泣いていたよ、ごめんね気付かなくてって。」 「っ！！」 「あなたが俺の居場所を奪うなら、俺もあなたの居場所を奪う。別に構わないですよね、あなたが奪った数に比べたら微々たるものだ」 美奈子は目を見開いて立ちすくんでいる。一気にボルテージが下がったのが分かり、もうやめようと優一はタカのコートを強めに引っ張る。その拍子に緩んで解けたマフラーを巻き直すと、美奈子さんは更に驚いた顔をした。 「それ、ママのお気に入りのマフラー…」 「あ、先ほど頂いて…」 やっぱり大事なものだったんだ、と慌てて外そうとするのをタカが頭を撫でて、いい、母さんがわざわざ巻いたんだから、と止めた。 「美奈子さん。母さんは、優しくて誰でも受け入れるから、勘違いしないでくださいね」 行くぞ、と優一の手を引き、車に乗せ、タカは猛スピードでその場を去った。車内ではものすごいペースでタバコを吸っては灰を積もらせた。 「タカさん、落ち着いて。」 「なんでお前は自分の時には怒らないんだよ」 「え…？そういえばそうだね」 タカは呆れたようにため息を吐いたあと、ふっと笑ってお前らしいけどな、と呟いた。 「このマフラー大切なものだって…俺やっぱ受け取れないよ。洗濯したら届けに行こう？」 「いいから。母さんの気持ち台無しにするつもりか？これは、俺の…父親にあたる人から貰ったものだ」 「え！！？なおさら受け取れないよっ！」 「昔から言ってたのさ。隆人のお嫁さんにあげるんだって。」 優一は一瞬固まった後、外の景色を見る振りして窓に凭れ、鼻をすすった。タカはニコリと笑って頭を撫でた。 「あの男のせいで、何もかもが変わった…。許さない、取り返してみせる。タカもママも。」