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第54話 ただいま
「伊藤さん、昨日ありがとうな。本当に感謝しかない」
会議室でタカから深々と頭を下げられる。優一は寝込んで、部屋から出ず、今日の収録は全て大河に変更されているそうだ。
「マツリがヤバいやつって情報もらってたのに、事があると実際は動けなかった…ババアはマジでつかえねーし。あのババアがビジネスホテルまで送ってるのにヤバいと思わないのか不思議だ。優一はオーディションも降りたいと言ってるがあと2.3本で終わるから、と説得した…けど、マツリに会いたくないって酷く怯えてる。誰も信じられない、芸能界は怖いって思い出しては泣きっぱなしだ。 」
タカもお手上げ状態で、昨日も寝てないのかクマがすごかった。カナタやジンも隣で聞いていてありえない、と同調した。
「でもさー、優一くんのAVだったら見たいよね。需要はありそうだよね」
「お前殺されたいのか?」
「えー?だって可愛いからさぁ。見た目エロいのは大河くんだけど、どうせ見るなら優一くんかな」
「ふざけんな!こんな時に!表出ろコラっ!」
「もー、冗談だよ。そんな怒らないでよ。どうしてそんなに怒るの?」
「シュウ君、今タカも優一くんも大変なんだ。だからその冗談はだめだよ」
「そうなんだ。大変だったんだね」
「そうだよ。シュウトの言葉が冗談でも、今は言ってほしい言葉じゃないよ。ほら、タカにごめんなさい、して?」
「はぁい。タカ本当にごめんね。ちゃんと分からなかったから…怒らないで?機嫌なおして?」
不貞腐れたタカは、ポンポンとシュウトが隣の椅子を叩くと大人しく座った。
「ぷぷっ」
「「「「?」」」」
「ブルーウェーブっていつもこんな感じですか?」
「まぁ、こんな感じかな」
カナタがきょとんと答えると、伊藤は笑いが止まらなくなった。
「意外すぎて…ごめんなさい、あははは!家族のやりとりみたいで!」
「ん?」
「バランス最高ですね!だからあんな綺麗なハーモニーになるんですね、きっと。素晴らしいグループです!」
「え?今のやりとりで?」
「ブルーウェーブをもっと多くの人に知ってもらいましょう!よろしくお願いします!」
伊藤の言葉に全員がニコッと笑ってお願いします、と明るい返事が来た。新しい場所にもやる気が出て、今までのように仕事をして、一人一人を知るために今までの作品を全て聞いたり、見たりと研究した。
「カナタさん、あのアニメの日本版声優オーディションのお知らせが来ています。内容を読むとカナタさんが合うと思って!主題歌はデュエットになる予定です!この役取りにいきましょう!」
「シュウト、実はこのブランドからオファーがあってジュエリーの広告やってみないか?」
「ジンさん!ミュージカル決まりました!ジンさんのイメージにはあまりない悪役です!新しいジンさんが楽しみです!」
「タカ、ジャズピアニスト小崎正隆さんから、ツアーのゲストで一緒にどうかと話が来た。歌じゃなくピアニストとしてのオファーだ。」
伊藤に代わってからブルーウェーブはそれぞれの活動が増え、それも全員がやりたい、やってみたいと思うものだった。自分達で処理していた時は見逃していた情報も全て拾い上げ、向き不向きを考え話をしてくれる。タカは伊藤の仕事ぶりを心底尊敬した。マネージャー次第でここまで変わるのか、とやりやすさを感じていた。
「なんか、伊藤さんが来てから歌以外の仕事も楽しいって思うよ」
シュウトが伊藤に言うと、達成感で溢れた。もっと輝けるはず、とモチベーションがどんどん上がっていた時だった。社長に呼ばれブルーウェーブはどうかと聞かれ、順調で信頼関係もできてきて、仕事の幅が広がっていることを伝えた。ブルーウェーブのメンバーも社長にその評価を伝えてくれていたようで嬉しくなった。
「申し訳ないが、ブルーウェーブのマネージャーを降りてもらう」
「…へ?どうしてですか?やっと信頼関係もできて、評価もいただいています。これから動き出す仕事もたくさんあります。急な交代はタレントだって困ります。特にブルーウェーブはやっとマネージャーが落ち着いたと、そう言ってくれましたし…」
「RINGの状態が悪すぎる。戻って立て直しをお願いしたい。」
「え?」
「ユウから芸能活動休止したいと連絡があったんだ。」
「冗談、ですよね…?なんでユウが…」
仕事を頑張りたいと言っていた優一の発言とは思えなくて目を見開いた。
「この間の件以降、タカに聞くと外だけでなく、部屋からも出ていないようだ。RINGメンバーの連絡も返信がない。三輪の連絡は着信拒否してるみたいで三輪も頭を抱えている。心配だ。今休止すると戻るのは難しい。これから事務所の大きなプロジェクト、コンサートやサナの楽曲もある中だ、どうにかケアして復活させたい。ユウにベタ付きで構わない。まずは社会復帰を優先してくれ。」
それに、と社長が続けたのは大河の仕事の懸念だった。相変わらず大河のオファーには反応しない三輪。
「大河は三輪に、天才はちやほやされてて態度が悪い。態度を改めた後に頭を下げたら仕事をやる、と言われたそうだ。」
「何ですかそれ」
「大河は普通に挨拶をしたつもりだと言うが原因が分からず、具体的な指導もないという。そして大河が事務所に残る条件は1つだ。」
「仕事の安定ですか?」
「マネージャーを伊藤に戻すこと」
「っ!?」
思わず涙が溢れて、すみませんと涙を拭くが止まらない。あの日要らないと言われた自分をもう一度必要としてくれている。しかもそれが、タレント生命として重要な事務所残留をかけた条件。
「大河にはまだ様子を見ろと話していた。だが、他の社員から、大河が他事務所の人の名刺を貰っていたと聞いて、本気だと分かったんだ。すぐにでもマネージャーを変えなければならない。伊藤、たびたび申し訳ないがRINGに戻ってくれ。」
「っ、嬉しい、お言葉ですが…ブルーウェーブには?」
三輪が入るとまたバランスが崩れる。どうしたもんか、と悩む。
「Altairのサブマネージャーの岡田翔太についてもらう。Altairはしばらく長谷川だけでも大丈夫だろう。三輪は予定通りサナのマネージャーについてもらう。」
岡田は長谷川に鍛えられている人物だ。安心できる人材にホッとした。明日の人事発令で発表すると聞き、とりあえずブルーウェーブには声をかけ、たくさんのお礼とタカからは優一のケアをよろしく頼む、と託された。その日に飲み会を開いてくれて、全員で飲むのが久しぶりだと喜んでくれた。いいメンバーに囲まれて僅かだったがいい経験になった。
翌日、人事発令が出ると、長谷川や相川はニヤリとこちらを見て、三輪は納得いかないと騒いでいた。その日から仕事が動き、送迎に向かうときちんと道路に出て待っていた誠の目が落ちそうなほど見開き、ニカっと笑顔になった。
「伊藤さん!!おはようございます!!」
「おはよう、朝から元気だな」
「元気になったんです!たった今!!」
運転席のシートごと後ろからぎゅっとハグされる。
「伊藤さん、おかえりなさい」
「ただいま」
誠を局に降ろして、優一の様子を見に行く。タカから鍵を預かって、最上階に行くと静まりかえった室内。
「ユウ?」
「嫌だ!!仕事なんか行きたくない!!来ないで!!勝手に入ってこないで!!」
社員が呼びに行っている、と聞いていた伊藤は少しため息を吐いて声のする方へ向かう。
「行きたくない!行きたくないってば!来ないでよ!」
「ユウ、久しぶり」
「っ!?伊藤さん…?…伊藤さんっ!!」
いつも通りに声をかけると、一瞬はっと止まった後、大きな目が潤み、ガバッと抱きついてきた。きつくスーツを握られ、顔を見ようと、しがみつくようにする腕を外すと手首に真新しい傷。
「おい!!なんだこれ!!何したんだお前!」
「ーーっ、ぅぅ…っ、ぅぇぇっ、」
号泣する優一を無視して慌てて止血をしようとするも血は止まっていた。子どもみたいに泣く優一を抱きしめる。
「バカか!…良かった、血は止まってる。浅いから傷にはならないな…。ユウ、大丈夫だから、休んでいいから。俺は、お前に休めと言いに来たんだ。今はお前がしたいことだけをしな?」
目を合わせてゆっくり伝えると、涙を拭きながらきょとんとした。傷をつけたことを怒鳴られると思ってような優一だが、逆に休んでいいからと言われたのが予想外だったようだ。
「っぅ、ぐすっ、ぅ、っぅ、いいの?」
「もちろんさ。休みも必要だ。…あ!そうだ!お前とマコの2人の曲さ、あれアレンジバージョンとかあるの?」
「…ない。あれに、ドラムがいただけ。」
「そっか。今のユウならもっと広がりそうだよな。いくつかのパターン聞いてみたいなぁ」
大河の審査で披露していた誠と優一の曲。ふと思い出した曲をフックに話題を音楽に変えると、優一は以前のようにアレンジを考えはじめた。
「……本当?……うーん、どんな感じがいいの?」
「それはユウにお任せします!青木の手料理がアレンジのギャラな」
「なにそれぇ…ふふっ、伊藤さんからのギャラじゃないじゃん」
「だって俺も青木のご飯食べたいもん」
「俺も食べたーい。」
「今日は内金ということで俺が男の料理をします!食べてくれる?」
「伊藤さん、料理できるの?」
「舐めてもらっちゃ困る!味は濃いけどご飯は進むよ。どう?」
「味見する」
良かった、と笑う。何も食べないし飲まない、とタカから聞いていた。部屋から出すのも一苦労と言っていたが、キッチンどこ?と聞くとトコトコと先を歩いてくれた。使い方が分からないから見てて、というと素直に頷いてそばにいてくれた。料理をしながら痛々しい手首の傷をみて心が痛む。そこまで追い込まれた優一に心の中でたくさん謝った。
「できた!じゃーん!野菜炒め!」
「うわーい!早く食べよっ!」
ニコニコと笑って食器を準備する優一が可愛いくて思わずハグをする。
「わ!危ないな!落とすところだった!」
「んー!お前は本当に可愛いなあ!餌付けしたくなるよ」
「またペットみたいに!ほら、伊藤さん座って」
早く、と急かすのが嬉しくて優一の正面に座る。いただきます、と言ってモグモグと食べる姿をみて安心した。
「伊藤さん、大丈夫?どうしたの?」
「え?」
「泣かないで伊藤さん、俺も悲しくなるから」
無意識に安心して泣いていたようだ。優一は鏡みたいに泣き始めた。
「ユウ?俺、今日からRINGのマネージャーに戻ったよ。」
「っ!本当っ?本当なの?!…ぅ、ぅう!ぅー、っ、伊藤さん、良かった…おかえりなさい」
「うん、ただいま。嬉しくて、懐かしくて泣いちゃった…恥ずかしいな」
笑って涙を拭くと優一が回り込んで後ろから抱きしめてくれた。
「伊藤さんじゃなきゃ、俺は嫌だよ。あの時、あんなこと言って本当にごめんなさい!」
「いいよ、レイのためだろ?俺こそ、裏切ってごめんな。レイとも、仲直りできた。…お前達と離れたから、改めて大切さに気付いたから。俺にとってもRINGは必要で、RINGには、ユウが必要なんだ。だから、そんな傷はもう増やさないでくれ。頼む。」
真新しい傷を摩りながら言うと、優一は伊藤の手を握った。
「うんっ、うん、ごめんなさい!」
「ユウ、ゆっくり休んで。できる範囲でやって行こう。しばらく俺はユウにだけ付いていいと社長から許可をもらってる。仕事中はずっと俺が周りを監視して、ずっとそばにいる。」
そう言うとほっとしたように優一が笑った。
「本当に…?っありがとう…。今、大人が怖くて仕方ないんだ。全部嘘に聞こえて、人間だと思われてない気がして…。この傷は、自分が人間なのか確かめただけ。心配かけてごめんなさい。伊藤さんと一緒ならきっと大丈夫」
ご飯を食べたらドライブしようと誘い、優一は嬉しそうに頷いていたが、玄関から出ると足取りは重かった。久しぶりの外にビクビク怯え、車に乗るまで伊藤の背中に張り付いていた。ここまで恐怖に落とし込んだ大人達と自分を殴ってやりたかった。
「行きたい服屋とかない?」
「ない…かな。どこも行く予定ない…から。あ、そうだ、楽器屋さんに行きたい。」
「おいおい、ギター買いすぎだぞ!部屋に入るのか?」
「ち、ちがうよ、タカさんに!いつも俺の勝手に持って行くから」
リクエストに応えて楽器店に行くと目をキラキラさせて、これはまこちゃんに、これはジンさんに、と関係ないものまでカゴに入れて行く。だがそれさえも人間らしくて、以前の優一らしい。外に出たこと自体が嬉しかった。
はしゃぐ優一を微笑んで見ているとケータイが震え、タカからのメッセージだった。
タカ:伊藤さん、優一の様子はどう?
伊藤:いま楽器店で爆買い中 。タカさんのアコギを買うって張り切ってるよ。
タカ:外に出たのか?!ありがとう伊藤さん !よかった、本当に良かった!
「伊藤さーん!見てー!これ、大河さんにどうかな?!」
赤のギターストラップに目をキラキラさせ、大河さんに聞いてみる、とケータイを出すとピタリと止まった。
「ユウ、どうした?」
「伊藤さん見て?すごい量のメッセージ来てる。全然気付かなかった」
1000件を超えるメッセージに驚かされる。それほど心配され、必要とされているのだ。 大河に電話をし始めた優一は楽しそうに話し、ご機嫌に電話を切った。
「欲しいってー!」
さらにご機嫌になった優一はアコースティックギターのコーナーに行くと真剣になり、試奏を繰り返し、やっと満足のいく楽器を買って家路についた。ドアのところでタカが待っていて、久しぶりの優一の笑顔にきつく抱きしめていた。持たされていた荷物を玄関にそっと置いてドアを閉めた。
少しずつだがまた動き出せそうな気配だ。 メンバーに会うたびに言われるおかえりに、伊藤は笑顔で答えた。 そして、安心できる場所で迎えてくれる言葉にも。
「響、おかえり!」
「ただいま」
花が咲いたように笑顔で迎えてくれる恋人を思いっきり抱きしめた。
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