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第75話 ヒーロー
「響くん!」
はっ!と顔をあげると、複雑そうな顔の愁が背中を摩った。
「電話なってたよ…。」
「え?…あ、本当だ…折り返さなきゃ」
まだ震える手を愁がそっと握って、驚いて見上げると眉を下げて辛そうな顔をしていた。
「大丈夫だよ響くん。マコちゃんは大丈夫。」
言われた瞬間に、目の前が歪む。鼻がツンとして下を向いた。
周りも様子を見ていたのか、リクや雪乃も駆け寄ってきた。背中を摩ってくれたり、手を握ってくれたり、そっとハグしてくれた。
「っぅ、…っ、すみませ…ん、」
誠の連絡に血の気が引いた。ケガをしていたら、刺されてしまったら、とスピード違反で捕まりそうなぐらい飛ばした。到着するとパトカーが見えて、そのまま降りて走り出した。警察に事情を話している誠に思いっきり抱きついた。パトカーに乗ったアリスは下を向いて、女性警官が両脇を固めていた。
「マコ!大丈夫か!?」
「おおごとにしてごめんね。大丈夫だよ。心配かけてごめんなさい。」
苦笑いして言う誠に安心して言葉が出なかった。安心したと同時に、自分の管理の甘さを責めた。もし何が起こっていたら、と思うと足がすくんだ。誠を部屋まで送ったあと、ガクガクする足を無理矢理動かしてエレベーターに乗った。緊張して、1階です、というエレベーターのアナウンスにさえビクッと跳ねた。
(何が守るだ…全然…守れてないじゃないか)
自分の力不足に車の中で大声で泣いた。事務所の駐車場で、大河には連絡しなければと、緊張しながら電話をかけた。今の時間なら今日の最後の取材が終わっているはずだ。
『伊藤さん?今終わった。ロビーにいるけど…どこ?』
「…大河…」
『ん?』
「落ち着いてきいてくれ。…マコとお前のマンションにアリスがきた。」
『え!?』
「マコは、無事だ。大丈夫。…アリスがマコに刃物を向けて、恐喝してきたらしい…。」
『…うそだろ…?なぁ?うそだよな!?』
「ごめん、事務所が守るって言ったのに…。マコは俺にかける前に警察を呼んで、対応してくれてた。アリスは現行犯逮捕された。」
泣き声が聞こえて、張り裂けそうな気持ちに胸を抑えた。
『はやく、むかえにきて、マコに会いたい』
責めるでもなく、そう泣きながら言った大河を同じく猛スピードで迎え、マンションのエントランスにぴったり付けて降ろした。
ザワザワするのが落ち着かなくて、すべてに動揺して、社長にももう帰りなさいと言われてしまった。それでも、何かしていないと不安で、まだ管理できていないことがあるんじゃないか、青木は大丈夫だろうか、と全員に連絡を取り、青木には外に出るな、とまで指示した。
「響くん、響くんのせいじゃないから、そんなに自分を責めないで。」
「そうよ。無事でよかった!マコちゃんだって不安になるわよ?そんな響じゃ。」
「マコちゃん自分で対処できたんだろ?すげーじゃん!…あとは、こちら側の管理態勢を強化しよーぜ!な?」
優しい言葉に、頷きながら嗚咽が止まらなかった。
「伊藤さーん?」
しばらく泣いていたが、誰が呼んだのかレイが迎えにきた。ほっとしたような愁に、愁が呼んだことが分かった。
「レイ、お疲れさん。響くんお願いします。」
「???…はい。…え?どうした?」
「マコが大河のストーカーに恐喝されて、ストーカーが現行犯逮捕になった。」
「え!?マコは!?マコは無事ですか!?」
「あぁ。無事だ。自分で警察と響くんに連絡したそうだよ。…で、響くんは安心したのと、自分の管理態勢をずっと責めてる。…今回のは仕方ない、無事で良かった、それだけだ。」
顔を上げられない伊藤に、レイはニカっと笑ってデスクまでいく。
「おーーい!帰るぞ!いつまでメソメソしてんのー!?」
「っ、レイ」
「疲れたー!早く帰ろ」
甘えるレイに困って周りを見ると、優しい顔で頷きながら、鞄を押し付けられ、パソコンも閉じられた。
「「お疲れさま!」」
みんなから追い出され、レイが伊藤の手を引いた。
「響…?気持ちは分かるよ。動揺するし、不安になるし、何より怖い。マコが無事で良かった。でも、俺たちタレントは事務所を、響を責めたりしない。悪いのはストーカーだ。それぞれ意識を持つためにも、これは共有しよう。青木も心配だ。」
淡々と話すレイも、さすがに動揺しているようだ。
「響、大丈夫。俺たちは大丈夫だよ!」
笑顔を見てボロボロに泣いた。
この日はレイがずっとそばにいてくれて、眠れない伊藤の腕の中で頑張っていたが寝息が聞こえた。
次の日、テレビ局が一気にこの報道を伝え、社長からコメントを出してくれていた。その内容には、弊社タレントを守るため、追っかけ、出待ち、写真や映像の無断取得、転載などは被害届を出し、法廷で争うと強いメッセージを出した。その事から、Altairの翔のストーカーファンを取材陣が逆に追いかけるという一般人にも容赦ない対応が始まった。誠は取材が殺到するのにも、笑顔で対応すると、自ら希望した。
「正直、ストーカーファンには、これまで何度も苦悩しました。そのファンのせいで、僕らは皆さんの前に出ることを躊躇することもあります。僕らが皆さんに幸せを届けるためには、どうか、節度ある行動をお願いします。僕らも1人の人間です。こそこそと逃げて、ずっと監視されているような生活だと、この5人を一生見られなくなる可能性もあります。末長く頑張っていきたいので、距離を保って、お互いを尊重しながら応援していただければと思います。」
いつも、トンチンカンな返ししかできなかった誠の成長に、また涙腺が緩む。
「あと、大河さんに近づくな、とも言われました。メンバーなのに…。大河さんファンの皆さん、これからも大河さんにベタベタしますので!覚悟してくださいね!以上です!」
取材陣も最後は笑って、仲が良いですね、と言うとみんな仲良しなんです、と笑顔で答えていた。
取材が終わると、満足したように鼻歌を歌う誠に、伊藤は謝ると誠はきょとんとした。
「お前を守ってやれなかった…ごめん。」
「そんな!伊藤さん!責任感じないで?大丈夫だよー?」
誠が慌てて抱きしめてくれた。この温もりが生きてることを感じて嬉しかった。
「伊藤さん!煽ったのは俺なの。大河さんに恐怖を与えたアリスさんに腹が立って。アリスさんも興奮しただけだから…。戻ってきて欲しいよ、アリスさんは才能ある人だから。間違えは誰にだってあるから…ただ、表現を間違えただけ。間違いに気づいて、再出発を待とう?」
「お前…怖くないのか?」
「え?全然!!大河さんを取られる方が怖いよ」
えへへ、とヘラヘラする誠に力が抜けた。大河のことに関しては絶対に負けないと語り始め、伊藤はあの日以来、はじめて笑った。
「伊藤さん、大丈夫?まこちゃんが心配してた」
優一のカウンセリングの日、伊藤は優一に怒られるのを覚悟していたが、手を握って心配してくれた。
「レイさんも、伊藤さんが滅入ってるって。伊藤さんのせいじゃないよ。伊藤さんはいつも俺たちを守ってくれる存在なの。…まこちゃんが無事でよかった。駆けつけてくれてありがとう」
ふわりと笑う優一を強く抱きしめると、くるしいと暴れて、ケタケタ笑っていた。
(良かった…不安定になっていない…)
優一は状態が良くなり、カウンセリングが半年に一回のペースになると聞き、優一が喜んでいた。帰りにハンバーガーを奢ってやると嬉しそうに頬張った。
「んーー!幸せ!うまぁい!」
「ははっ!お前本当美味しそうに食べてくれるよなぁ!あげた甲斐があるよ」
「美味しいんだもん!…あのね、カウンセリングが半年に1回になるの、ちょっと寂しくなるなぁ。伊藤さんとのカウンセリングに行くの、楽しかったんだぁ。大河さんよりも、レイさんよりも独り占めして…ふふっありがとう、伊藤さん。俺を暗闇から出してくれた、大切な人だし、あの時助け出してくれた正義のヒーローだよ」
部屋から、そして外に出したのも、ギリギリのところで助け出したのも、たまたま伊藤だったのだ。
「カッコよかったなぁ…。安心したなぁ。三輪さんになって、どんなに伊藤さんが大事か分かったもん。…タカさんと付き合ってなかったら惚れてたと思う!」
悪戯っ子みたいに笑って、ポテトを詰め込んだ。
「伊藤さん、伊藤さんはヒーローなの!だから、自信持って?俺たちは伊藤さんだから安心してついて行くんだ。」
芯のある目で言われて、ありがとうと自然に笑顔が出た。
「伊藤さん!これからも頑張ろうね!」
そう言って元気よく手を振ってエレベーターに乗ったのを確認して自宅に戻った。胸がホカホカしていてくすぐったい。コンタクトをはずし、部屋着に着替えてベッドに飛び込んだ。
(良かった…本当に良かった)
疲れて気を張っていた分、すぐ睡魔に襲われ目を閉じた。
(ん…?なんだ…?)
部屋が騒がしく、レイがまた一人で歌っているのかと部屋を出た。
「っ?」
「あ、おはよう!」
ニカっと笑うレイと、RING全員が揃っていた。
「ど、どうした?みんな…」
「んー?響を元気付ける会!」
「響だってー!きゃー!ラブラブ!」
優一が嬉しそうに大河に抱きついた。大河もニヤニヤしながら座って伊藤さん、と床を叩いた。そして狭いキッチンでは大男三人がせっせと動いている。
「響、飲むだろ?」
「あ!俺も飲みたい、マコちゃん送って?」
「いいよー!あ、優くん、ダメよ?」
「ちぇー!」
タバコを手に取った瞬間、誠に叱られていた。全員が伊藤のために、と準備してくれて、全員にハグしてお礼を言った。
「伊藤さんがいて良かったよ!いつも感謝してる!」
大河はご機嫌で伊藤にもたれかかり、反対側を優一が抱きついていた。嬉しく思っていると、レイが羨ましそうに見ていてクスクスと笑った。
(後で、な?)
目で合図すると、真っ赤になってコクンと頷いた。青木の美味しい食事をみんなで食べて、青木が母親に会って、一緒に住んでいると聞き、嬉しくてまた泣いてしまったのを全員に揶揄われたが、全員泣いていた。
「ありがとう。俺、本当、お前たちが可愛くて仕方ないよ」
「でしょ?!うふふー!伊藤さんだからついて行くんだよ!」
「本当!俺の対応なんか伊藤さんしかできないよ」
「それはたしかに」
「はぁ!?否定しろよ!」
笑って泣いてのどんちゃん騒ぎで、酔い潰れている間に、レイ以外のメンバーは帰宅していた。
そして、この週も1位となり、3週間連続の1位を記録した。
「伊藤くん、RINGをよく立て直してくれたね」
社長室に呼ばれた伊藤は、社長の言葉にテンションが上がった。微笑んで褒めてくれたのが素直に嬉しかった。
「社長!ありがとうございます!」
「RINGでは過去最高のセールスになっている。大河の人気も一気に上がっている。素晴らしいよ。」
「もったいないお言葉です。これからも精進いたします。」
「あぁ!期待しているよ!…そこでだ、ユウはそろそろ戻れそうか?」
「やっと、カウンセリングも半年に1回のペースになりました。」
「良かった。今回のミュージックビデオで演技力が話題になっているんだ。本当に器用な子だよ。」
伊藤も思わず涙ぐんだあの演技。たった数秒しか使われなかったが、それが話題になったと知り、嬉しくなった。
「今は舞台で精一杯ですが、徐々にアプローチしていきます。」
「あぁ。頼むよ。そろそろアルバムとライブを検討している。ファンクラブ会員数も倍になった今、前よりは大きなハコで出来そうだ。ツアーになるから、それまでに個々のできることを増やして、楽しませる準備をしてほしい」
はい!と元気よく頭を下げて社長室を出た。予想だと夏の事務所コンサートの後に告知が入りそうだ、と準備にやる気が出た。明るい表情になっていたのか、デスクに戻るとみんなが声をかけてくれた。その中で愁は不機嫌にパソコンに向かっていた。
「愁くん、この間はありがとう」
「ん?あぁ。よかった、元気になったなら。」
「…うん」
素っ気なく感じて、忙しかったのか、とすぐに引き下がった。すると見ていた雪乃がコソコソと耳打ちしてきた。
「長谷川さん、先ほど社長からお叱りを受けてたの」
「え?」
「透くんの指導ができていないって。ランキングがRINGに負けるなんてどうしてだってさ。ひどいよね、いつもトップを走ってたのにさ、こんな時だけ。」
「そんなことが…?」
「長谷川さんには結構プレッシャーかけてるみたいよ。Altairはブルーウェーブと同等、この事務所の看板みたいなものだもの。全員を推そうとした長谷川さんに、翔くんだけでいいって。翔くんが目立つためのメンバーだ、なんて…社長にしては珍しいわ」
イライラした様子の愁は、グッと耐えて仕事の調整をしていた。リクも心配そうに後ろから見ていた。
バンッ!!!
「あー、やっぱ納得いかねぇな…」
机を思いっきり殴って氷のような顔で社長室に向かうのを、遠くのデスクのリクが走ってきて止めるのを突き飛ばす。それでもリクは必死に止めた。
「愁!落ち着けって!!俺が話を聞くから」
「お前じゃ話にならん」
伊藤と雪乃は初めて見る愁に固まった。今まで翔太を殴っていたことはあったが、今はそれとは違う雰囲気だ。リクが必死に止めるのに苛つきが爆発した愁はリクにぶつかりながらも事務所を出て行った。
「リク、大丈夫?」
「痛っ…相変わらず馬鹿力だよ…。…ふぅ、たしかに理不尽だな、とは聞いていて思ったけど、社長もどうしたのかな。」
「タレント第一な感じだけどね」
「業界未経験の愁には当たり強いんだよね…。愁は前の社長が入れたから。愁は期待に応えようと必死だし…。でも、他のメンバーは翔の飾りみたいに言われたのがカチンと来たんだろうな。RINGみたいな仲良しこよしはAltairには必要ない。何を真似してるんだって。言い方よ…」
伊藤は唖然としていた。
「対処能力の高い、響くんと比べてたから…」
「響は経験者だもの。この業界は経験がモノを言うわ。」
「そ。雪乃の言う通り。愁は特別音楽やアイドルや芸能が好きなわけじゃないのに…ここに来て…」
リクは急に泣きそうになって愁を追いかけた。伊藤も納得いかなくて、コンコンと社長室をノックした。
「どうした?」
「聞こえてましたよね?今の。」
「あぁ。長谷川?」
「どうしてそんなことを?」
「透も推していきたいと言ったからだ。もともと、透は退所の方向で決まってたが、前社長が同情してAltairに入れただけだ。たまたま翔が入って当たってるグループだ。翔がいなきゃ魅力はない。」
「そんな…」
「翔だけの出演と、グループでの出演、視聴率に大きな差がある。そして、スタッフから透の評判は最悪だ。そんなやつを推す?信じられない。もともと、透はリクのプロデュースの予定だったが、リクはすぐに透を外した。リクは見る目がある。」
「じゃあ、今後Altairは…?」
「翔のソロに移行する。それを伝えたら反論してきたから厳しく指導した。すぐではないのに熱くなっていたから、長谷川には現実を見せなきゃいけない。この業界は売れる人だけが残る。後々愁は、翔の専属マネージャーになる方針だ。」
厳しい現実に固まっていると、社長はふわりと笑った。
「安心しなさい。RINGは個々の才能が光ってるし、なにより、スタッフからの評判が最高だ。マコとレイは群を抜いて使いたいという声が多い。そして、大河の頑張りも伝わっているし、大地も愛嬌があるから可愛がられている。ユウは才能に溢れているから今後が楽しみだ。」
結局RINGが褒められて嬉しくもあり、複雑だった。
「長谷川は、メンバーに情が移っただけだ。前みたいに翔だけを全面に売るように戻ってくれればそれでいい。彼は頭のいい人だ。きっと冷静になれば分かるだろう」
社長室を出ると、デスクには誰もいなかった。話を聞いて、今まで以上に奮い立たせた。全員を売り出さなければ、簡単に干され、消される業界だと改めて意識した。
愁が心配で喫煙所に行くもいなくて、スタジオ周辺を歩くと、愁がAltairの翔以外のメンバーを集めて会議していた。
(彼は頭のいい人だ)
社長が言ったとおり、いつの間にか、いくつかの資料を作り、全員にやる気を出させるような提案をしていた。近くのベンチにはリクがいて苦笑いしていた。
「良かった、愁、いい方向に行ってる」
「そう」
「あの後、翔以外の全員呼んでさ、干されたくないなら言うこと聞けって全員脅してあの会議。聞いてたら的確。経験とかじゃないよ、愁は今までここのやり方に合わせていただけだ。」
リクは少し嬉しそうに下を向いた。
「愁が動くよ、響くん。愁は全体を動かすことができる。少し怖くもあるし、焦りもある、けど、楽しみでもある。」
「そんなチカラを秘めてたんだね」
「様子見してたのは分かるけど、スイッチ入ったならここの事務所、大きくなるよ。前職もめちゃくちゃ成果あげてたみたい。響くん、俺らも動こう!愁に差をつけられちゃうよ!」
ワクワクしているリクに頷いて、ハイタッチした後、それぞれの業務についた。
(よっし!頑張ろう!!)
張り切ってパソコンを開いた。
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