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第108話 心の距離

(はぁ…疲れた…)  篠原はスーツのままベッドに横になった。目を閉じると思い出すのは、サナの涙、楓の覚悟、リクの謝罪…。先輩にも頼れなくなった篠原は限界が来ていた。  (戻りたいな、やめようか。もう無理だよ)  失恋もして、賭けにも負けて、全てをぐちゃぐちゃにして、仲間もいない。担当を泣かせてしまったのも心が痛かった。  ピリリリリ ピリリリリ  リビングに置いたバッグの中にあるケータイが鳴り響いた。慌てて飛び起きて走ってケータイを掴んだ。 「はい!篠原です!」 「お疲れー!今大丈夫?」  電話の声は相川で、少し驚いた。  「はい、大丈夫です。」  「サナの件、フォロー頼むな?楓もああは言ったけど、本当は未練あるはずなんだ。でも、お互いが進むためには仕方ないことだからさ…。」  「ありがとうございます。」  「あと、今の電話は篠原のフォロー。」  「え?」  「毎日、お疲れさんっ」  「へ…?」  「いっぱいいっぱいだろ。吐き出してみ?」  「いえ、大丈夫ですよ」  「大丈夫じゃねーよ。どいつもこいつも過信しやがって!篠原は愁の後輩だから余計心配なんだよ!揃って倒れられちゃ困るんだよ」  ぶっきらぼうな優しさが、詰まる息を通した。  「相川さん、僕、もう辞めた方がいいかなって思ってます。」  「そうなんだ。副社長候補じゃねーの?」  「こんな僕に、誰も着いてきやしません。ここに来て、1度も来て良かったって思えないんです。毎日しんどくて、毎日できてないことに悔しくて、毎日予想つかなくて…疲れました。」  「そっか。楽になるならいいんじゃねーの?別に好きな仕事じゃないだろ。」  「止めてくれないんですか」  自分の言葉に、ハッとした。  (止めてほしかったのか。必要だよ、と言われたかった)  「あー…ごめんな。俺さ、人が決めたことに口出しできねーんだわ。…やめたいと言えば見送るしか出来ないし、頑張ると言うなら支えてやる。」  「本当は…必要とされたいです。」  「そっか」  「ありがとう、助かった、そう言って貰えるだけで、どんな高額な給料より嬉しいんです。…でも、今は何もできなくて」  話していく中で、自分で自分の気持ちを知ることになった。恥ずかしいことを恋敵に何をペラペラと話しているのだ、と思うのに止まらなかった。  「篠原?生まれた時に、初めから歩けたか?話せたか?」  「そんなっ…無理ですよ」  「そう。無理なんだよ。」  「え?」  「お前は今、生まれたてなの。愁だって3歳くらいだ。だからたくさん失敗して、それを活かして学んでいくんだ。誰もが初めからできるはずはない。」  「相川さんも?」  「そりゃそうさ。元は演者だぞ?裏方なんざ興味もねぇ。ただ、この業界にしがみついているだけさ。」  だせーだろ、と笑う相川に気持ちが少しずつ解れていく。愛した人が愛する人はやっぱりすごい人だった。  「愁も入りたては悩んでた。もともと優秀でプライド高いから俺にも言えなくて、何度も壊れそうなった。見てわかると思うけど、社長と愁は相性が悪い。愁は割と何でも出来たし、意見も言っていたから煙たがれていたから…。たぶん、俺と付き合ってる事実がなきゃ、もっと酷い扱いされてると思う。…ただ、篠原はその点有利なんだよ。社長を思いっきり使えばいい。社長が喜ぶから活かしたらどうだ?」  うーん、と唸った。言おうかどうか迷っていると、話してみ?と優しい声に甘えた。 「僕、社長に利用されている気がして…。や、いいんですけど…。業務以上のこと、頼まれたら…と最近考えていて。」  「ん?例えば?」  「取引先と…の、枕営業的な…」  「はぁ!!?」  リクの苛立ちが見えて慌てた。やっぱり言わなきゃ良かったと反省した。  「ふざけんな!そんなの仕事じゃねーよ!いいか、篠原。そんなんは業務じゃないから死んでもやるなよ!相変わらず汚ねー業界だな」  「こんなこと、あるんですか?」  「あるっちゃあるよ。しっかし…社員売るとかクソかよ!先代とは大違いだ!」  「先代?」  「あぁ。先代が俺をずっと使ってくれてた。ブルーウェーブを育てたのも先代だ。あの人はいい人だったよ。演者ファーストだから。」  思い出しているのか、楽しそうに話し始めた。やっぱりわかりやすい人だな、と思わず篠原も笑った。  「篠原、こうして篠原にウザ絡みしていくからよろしくなっ!じゃおやすみーっ!」  大きな欠伸をしたと思ったら急に話し方がとろんとして、一方的に電話を切られた。  (猫みたいな人だ…)  ふふっと自然に笑った自分に驚いた。窓ガラスに写る自分は少し楽しそうにも見えた。  (もう少し、頑張ってみようかな。)  そう思うとまたケータイが鳴った。  (先輩?)  長谷川:篠原、お前の頑張りはいつも見てるよ。そろそろ飲みにでも行くか。  篠原:はい!ありがとうございます!相川さんもぜひ!  長谷川:リク夜弱いから夕方からにしような。  夜が弱いと聞いて、先程のことを思い出してまた笑いが込み上げた。 (確かに可愛い人かもしれない)  きちんとスーツを脱いで、久しぶりに湯を張ってゆっくり浸かった。  誰かに聞いてもらえるだけで、こんなにも楽になるのかと、また一つ覚えることができ、明日に活かそうと思った。  ーー  「サナ、おはようございます。」  「おはようございます!よろしくお願いします!」  泣きはらした目が痛々しいが、本人は明るく見せているのでそれに合わせた。  「篠原さん、実は…曲を作ったんです。聞いてもらえますか?」  「僕でよければ」  サナの作った曲は心がぎゅっとするほど切なく、自分への後悔、周りが見えなくなるほどの愛を歌っていた。  「サナ、これはすごく響く曲です!音源にしませんか?」  「…これは、私はもう歌いたくないんです。自分で作りましたけど、心が抉られるみたいで…。でも、誰かに聞いてほしかったんです。心の叫びを。」  そう言って消そうとした手を止めた。  「僕にこの曲を預けてくれませんか?」  「え?」  「楽曲提供しましょう。同じ気持ちを抱えた人に響くと思います。…恥ずかしいですが、実は、僕も最近失恋したばかりです。…とても響いたんです。」  「篠原さんも…?」  「はい。すみません、プライベートなこと…。」  そう言うと、サナは嬉しそうに笑った。  「そんなことありません!やっと、篠原さんとの距離が縮まった気がして、私嬉しいです!」  些細なことで距離を詰められたことも、篠原にとっては大きな一歩だった。  サナをラジオ局に送った後、篠原は社長と、長谷川、岡田を集めた。  「いつき、どうしたんだ?」  社長はやはり、自分に甘いと思った。それを上手く使い、サナの音源を出した。  「いい曲じゃないか!是非音源にしよう!」  ノリノリの社長と、何故集められたか不思議そうな長谷川と岡田。篠原は意を決して提案した。 「この曲を、新しいAltairに提供します。」  「「「えっ?!」」」  「アコースティックギターだけなので、MIXをブルーウェーブのタカさんに依頼したいです。」  「ちょ、ちょっと待ていつき。サナとして出さないのか?」  「はい、社長。本人は、この曲を歌えないと言って消そうとしました。誰かに聞いてほしかっただけだと言って、僕に聞かせた後に…。でも、これはサナの気持ちが乗った歌です。誰かにバトンを渡したいんです。」  社長はぽかんとしていたが、岡田はニヤリと笑った。  「社長、タカには俺から話します。」  「篠原、本当にAltairでいいのか?」  「はい!Altairに歌ってほしいと思ったんです。歌詞にもリンクするところがあると思って…。岡田さん、ダンスナンバーへのアレンジはどうですか?」  「いいね!かっこよくなりそう!」  篠原は、岡田と少し距離を置いていたか、嬉しそうに賛同する姿にほっとした。長谷川は嬉しそうにして、ありがとうとお礼を言った。  「Altairの再出発、事務所総出で盛り上げていきましょう!」  篠原はこの提案に自信を取り戻した。振り付けは相川さんにお願いしましょうと言うと、長谷川がドキッとするほど綺麗に笑ってくれた。  (あぁ…これで良かったんだ)  社長からもOKを貰って、音源を岡田に渡した。  サナの曲も生きていく。これでいい。デスクに戻ろうとすると、社長に呼び止められた。  「いつき、どうしたんだ?あんな提案…」  「サナの歌が響いたんです。今の僕を救うような、寄り添ってくれるような、そんな歌でした。」  「……。そうか。いつき」  「はい?…っ!?んっ、んっ…」  キスされたまま社長室の広い机に寝かされ、近い距離で見つめ合う。  「しゃ…ちょう?」  「まだ、長谷川なのか?」  「え?」  「長谷川は、リクのものだ。」  「分かってます。何ですか…?離してください。」  「長谷川のためにAltairに?」  「…Altairを、先輩を壊したのは僕です。その責任は感じています。」  「それだけか?」  近い距離で見つめられ、嘘がつき通せずに目を逸らすと、また唇が重なった。  「先輩が好きでした。でも、相川さんに勝てないのが、分かりました。だから、あの曲が刺さったんです。だから、あの曲をAltairにって。僕の気持ちも乗せて…だから…んっ、んぅ」  聞いて欲しくて社長の胸を叩くも押さえつけられて、ひたすら唇を重ねた。苦しくて、訳が分からなくなって、涙が溢れた。  「ごめん、いつき。泣かないでくれ。」  「社長っ…なんの、つもりで、こんなこと…?」  泣いたのが恥ずかしくて、腕で目を隠した。  「そろそろ、俺も見てくれないか」  「へ…?」  「いつきが好きだ。」  「え?」  コンコン  「社長、お客様です。」  聞こえたのは相川の声で、慌てて部屋を出た。すぐに腕を掴まれ、喫煙所まで連行された。  「相川さん」  「大丈夫か?」  「え?」  ぎゅっとハグされて、安心する温かさに泣いた。  「何があった?」  「…社長に…キスされました。」  「マジかよ…」  「好きって言われました。」  「そっか。」  「もう…意味わからない…」  ぎゅっと相川の服を握ってポロポロと涙をこぼした。サナの歌が響いて、好きな人の笑顔を見て、尊敬する上司にキスされて、好きな人の最愛の人に支えられる。 「篠原が、嫌じゃないなら向き合ってみな?嫌なら、セクハラで訴えてやりゃあいい。」  背中を摩りながら、ゆっくりと教えてくれた。来客対応の終わった社長が喫煙所にいる二人を見たようだったが、相川が後で、と口パクをすると社長は頷いて去っていった。  「サナ!サナの曲をAltairに提供することになりました。」  「え!?本当ですか?嬉しいっ!」  サナは嬉しそうに胸の前で小さく拍手をした。その笑顔だけで今日の疲れが一瞬で吹き飛んだ。MIX後が楽しみですね、というとはい!とキラキラの笑顔が見られた。  (この仕事も、悪くない、かな)  ネクタイをキュッと締め直して気合いを入れた。  ーーーー  「しゃーちょー?順番があるだろ?びっくりさせたら可哀想だろー」  リクが社長室に行くと、案の定凹んでいる社長に苦笑いした。 プライベートな話をするときは、リクは年上の社長にもタメ口で許されている。 「リクありがとう。泣かせるつもりはなかったんだ。」  「いい年して抑え効かないとか言わないでよー?全く…。なに、大河はもういいの?」  「あぁ。RINGには入れん。若い子に勝てる訳ないだろ」  「まぁ…そっか。」  「フォローしなさい。」  「大河よりは可能性あるんじゃないの?篠原にも幸せになってほしいし。ああ見えて繊細なのな。…篠原にさ、枕営業とかさせんの?」  「は?させるわけないだろ!大事な人だ!」  「ふぅん?なんかそんな可能性あるとか言ってたけど…。勘違いを説いたほうがいいかもよ?」  「分かった。ありがとう。」  最後まで落ち込んでる社長にクスクス笑って社長室を出た。付き合いが長いリクは社長の悲恋をたくさん知っているのだ。  (タカに大河…こぞって天才ばかり。そして気付かれずに終わるっていうね)  事務所のトップだからこそ手が出せないのも分かるが、それにしても不器用すぎた。  (タカの時は妹に手を出されるわ、大河を気になり始めたらタカが手を出すわで…さすがにきついだろうな)  リクは喫煙所に行って大きく煙を吐き出した。  (そして、俺も気に入ってくれてるんだよなー。ありがたいけどな、嫌われるよりは。)  苦笑いして灰を押し付けた。

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