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第111話 見えない心

タカが最近よく聴く曲は、不思議と聞き入ってしまって、切ない気持ちになる。タカはハマるととことん聞き入る。隣にいれば自然と口ずさむことができるようになるほどだ。  レギュラーの音楽番組で、注目の新人アーティストを紹介するらしく、タカは自信を持って紹介できると嬉しそうだった。顔出しもしていないその人の歌声を聞くだけで、どんなに優しい人なのだろうと想像した。  切ない旋律と、優しい言葉たち。  音にあう言葉が寄り添って、それにあの優しい歌声が乗る。  優一も夢中になって曲を聴き、コピーするほど好きな曲になった。 タカ:打ち上げに行ってくる。驚くほどイケメンだぞ。  優一:そうなの!?俺も見たい!  タカ:いずれ会えるさ。大河がものすごく気に入ったみたいだ。  大河のリアクションを想像して、ふふっと笑った。この間楽屋で何気なく曲をかけていると、眠っていた大河が、いい曲、と笑ったのだった。  優一は会えるのを楽しみにして、タカがいない夜を早く終わらせた。  ーー  「おはようございます!ね、ね、大河さん!昨日どうだった?」  優一は送迎のバンに乗り込むと、疲れ切ったような大河に大声で話しかけると、眉を顰めて、うるさい、と一言呟いて眠ってしまった。  (あれ??)  首を傾げて伊藤をみると苦笑いしていた。 「新人アーティスト、ヤスさんの打ち上げで相当飲んだらしいよ。珍しいよな。二日酔いプラス、マコに怒られて拗ねてる。」  「へー…大河さん飲まないのに…」  「朝帰りらしいぞ。それも、記憶がないとか。ヤスさんの家で保護されてたのをマコが明け方回収したそうだ。」  ふーん、と返事した後に、そういえばタカはどうだろうと連絡してみた。  『優一?どうした?』  「昨日何時までだったのー?」  『昨日?俺は12時には帰ったよ。案件あるし。大河だろ?結構飲んでたぞ』  「何で止めてあげなかったの?」  『大河のペースなんか知らないよ。大人なんだから自分で管理できなきゃだろ?』  そうだね、と言うと仕事中だからと切られた。大河は死んだように眠り、終始ダルそうだった。この日の収録は大河と優一だけ、ゲストとして呼ばれたバラエティ番組。優一は久しぶりのバラエティ番組に緊張と気疲れ、調子の悪い大河を頼ることもできずに、精一杯頑張った。 「ユウ」  楽屋に戻ると、ソファーに横になった大河が急に話しかけてきた。疲れたような顔はそのままで、声が小さく、隣に座った。  「…あの曲の…ヤスさんな、めっちゃ優しそうに思うだろ?」  「うん。それでイケメンなんでしょ?」  「イケメンはイケメン。だけどさ、」  大河は天井を見たあと、ぎゅっと目を閉じた。  「やばい…俺、エッチしちゃったかも。」  「え!!?」  「や、わかんねぇの。マジで。起きたら…ヤスさんの…腕枕でさ…、覚えてないからなんとも言えないんだけど…」  「大河さん…」  「でもさ、そんなことより気になることがあるんだ」  「ん?」  閉じた目をゆっくり開いて、目が合う。大きな瞳はこちらから目を逸らすことはできない。  「ヤスさん、タカさんを追って芸能界きたらしいよ」  「へ…」  「憧れの人が、僕を見つけてくれた。これは運命なんだって語ってて…。なのに、そんな話してるときに、俺、ヤスさんにキスされてさ、マジ意味わかんねー…。ユウ、昨日どうだったかって聞いてたな?」  「う、うん…」  「ヤバかったよ。いろんな意味で。幻滅。あんな優しい声なのに、優しい歌なのに、タカさん帰った後のヤスさんはクソだったよ。」 大河だけでなく、リョウにもキスしたり際どいボディータッチ。リョウが気を利かせてあずきを先に帰したり、女性スタッフと距離をとらせたりしたようだ。  「俺さ、あの人の歌にめちゃくちゃ癒されてたのに…なんか、ショックが大きくて、やけ酒したら…ヤスさんの家にいた。全部脱いでてさ…マコに言うなよ?」  「ん、分かった。体調はどうなの?」  「今は良くなってきた。…ユウ、タカさんは知らないから…ちょっと警戒しといて。」  「ありがとう」  そう言って頭を撫でると、猫みたいにゴロゴロと甘えてきて思わず笑った。  ーー  「ただいまー。」  「おかえり優一。俺ちょっと出るよ。遅くならないようにするから」  「お仕事?」 「ううん。昨日ヤスさんと飲めてないからさ。飲みましょうってさ。」  「お、俺もいきたいな!」  優一は先ほどの大河の話を思い出して、とっさに言うと、驚いたように笑って快諾してくれた。正直疲れていたし、タカに甘えたい気分だったが我慢して外に出た。  「優一、大丈夫?疲れてない?」 「…んーん。平気」  楽しみにしているはずの初対面なのに静かな優一にタカは不思議そうに見ていた。飲むつもりでタクシーを選んだタカにもハラハラした。  (大河さんが嘘つくはずない…いったいどんな人なんだろう)  芸能人がよく使うバーの個室に通された。そこには爽やかなイケメンが先に座っていた。緩いパーマと、垂れ目。いかにもあの曲を歌いそうなその人。イメージ通りの姿に少しホッとした。  「タカさんっ、お疲れ様です!わぁ!RINGのユウさんですよね?!はじめまして!うわぁー素敵だな…顔も小さい…」  ニコリと笑うと目がくしゃりとなるのが可愛くて、思わずつられて笑った。  (なんだ…いい人だった…。酒癖が悪いのかな)  広い肩幅をそっと包むカーディガンがオシャレで柔らかな印象だ。優一は安心してその場を楽しんでいたが、収録の疲れもあってうとうとして話を聞いていた。だんだん目線がテーブルのグラスだけになった頃、耳に入ってきた言葉に、ハッと顔を上げた時、見えたものに目を見開いた。  「え?」  声が出て、タカも驚いたように体をヤスから離した。  「ヤスさん、酔いすぎ。お開きにしましょうか。」  目の前で恋人の唇が奪われ、唖然としている中、タカは何もなかったかのように平然としていた。  「ユウさんも眠そうですしね。タカさん、ユウさん送ったらこの後もう一軒どうですか?コラボの話、詰めちゃいましょう?」  「いや、それはまた今度にしましょう。優一、起きてるか?お会計するよ。」  タカが頭を撫でてくれて、顔を上げると、ゾクっとするほど鋭い視線を感じてヤスを見ると、やっぱりあの優しい笑顔のままだ。  (…今の、何だろ??)  タカがエスコートしてくれるまま、付いていく。お会計をタカがしている間にトイレに行くとついて来たヤスに壁に追いやられた。ドアップのその顔からは優しい笑顔が消えていた。 「へ?ヤスさん…?どうしましたか?」  「見せつけに、来てくれたんですか?呼んでないのにわざわざ…」  「え?」  「あなた本当に男?」  「は!?男ですけど!?」  「ふーん?」  苛立って睨みつけて大声を出すと、突然股間を握られて息を詰める。  「っ!!」 「あ、本当だ。」  「っ!?触んないでください!」  「ふーん。こんな人がいいのかぁ、タカさんは。大河さんと言い、ユウさんと言い…可愛い系ばっかりだな。」  「へ…?大河さん…?」  「そ、君のメンバーの。タカさんが惚れた子がどんな子かなぁ〜?って興味あったんだ。話してもいい子だし、なによりあの子、ものすっごいエロいよね!ビックリした!」  何かを思い出すようにニヤついた顔には、あの曲を歌う人という面影はなかった。タカがトイレに入ってきたと同時に、優一は怒りが収まらなかった。 パシンッ!!  「お、おい!優一!何やってんだ!」  「大河さんに何したんだよ!!」  「優一?」  「保護しただけで、叩かれるなんて…ふふっ、タカさん、ユウさんって意外と凶暴ですね!驚きました!」  「すみませんっ、優一、ほらもう帰ろ」  「保護しただけじゃないくせにっ!」  「そんなぁ、言いがかりですよ。…タカさん、ユウさん先に送っちゃいましょう?」  「いや、俺も今日は帰ります。今度ゆっくり話しましょう。」  その言葉を聞いて、ヤスは優しい顔から豹変して、優一をギロリと睨んだ。負けじと優一を睨むと、急にふわっと笑った。  「あぁ…。悪くないね。」  「「え?」」  タクシーを待つ間、今度は優一にベタベタと触りはじめ、嫌がる優一はタカに隠れた。タカは、酔いすぎですよ、と言いながらだんだん苛立ってきていた。  「お2人さん、この後、僕の家に来ませんか?」  「いやだ、行かない」  「えー…残念。3人でどうかな、って」  「優一飲めないんですよ、すみません」  タカは、大人の対応をしているが、ギリギリなのがわかって優一はハラハラした。  「お酒は飲まなくていいです。お話できればなぁって。」  タクシーが来て、タカは先に優一を乗せた。  「ヤスさん、今日はありがとうございました。またコラボの打ち合わせで。」  「あ、タカさん」  タカを呼び止め、振り返ったタカに濃厚なキスをしていて優一は反対側から降りて2人を引き離した。  「やめてっくださいっ!!」  引き離してタカを突き飛ばすようにタクシーに乗せて、睨みつける。  「…いいでしょ味見くらい」  「タカさんは俺のです。触んないでください。」  「へー?そうなんだ。君からなら奪えそう。大河さんじゃなくて良かった。あの子には勝てない」  「俺にだって勝てないですよ」  「いや?音楽でなら、余裕ですよ。僕の歌しか聞いていないみたいですし。大河さんはねらあの子はすごい才能だよ。僕でも勝てないかもしれない。けど、君は少し上手いくらい。天才には天才じゃなきゃ釣り合わないんですよ、残念ですけど。」  「優一、もう出るぞ」  「では、僕が奪うまではお幸せに」  タカに腕を引かれタクシーに乗り込む。いろんな感情が押し寄せて、処理できなくてひたすら下を向いた。  (「天才には天才じゃなきゃ釣り合わない」)  思いっきり刺された言葉が苦しくて拳を握る。  「優一、ごめんな。変なところ見せた」  「……。」  何も答えられなくて、顔もあげられなくて、ひたすら刺された言葉だけが残る。黙ったままマンションに着いて、部屋の前で立ち止まる。  (俺はタカさんのそばにいていい?)  怖くて聞けない言葉を飲み込んで、先に進めなくなった。タカは困ったように笑って、優一のところまで迎えに来た。  「優一。俺はお前が好きだよ。」  「タカ、さんっ、おれ、おれ…っ」  「よしよし。ほら中入ろう。」  ハグしてもらって涙が落ちた。タカの服を握り締めて、ゆっくり歩いた。  部屋に入るとタカからの息もできないほどの激しいキスを貰って、崩れ落ちる。それでもキスをやめなくて、気持ち良くてフワフワしていた。  「優一、気持ちいいよ。優一のキスたまらない」  「はっぅ、んぅ、んっ、ん」  「誰がなんと言おうと、何回でも俺はお前を選ぶよ」  「っ、っぅ、っ、っ」  「やっぱり何か言われた?…話して」  唇をはなして、前髪を優しく掻き上げられる。おでこ全開のまま、涙も溢したままタカを見つめ、刺された言葉を伝えた。  「天才…っ、には、天才じゃないと、釣り合わないって、言われたっ、俺は、釣り合わないって…、っ、大河さんなら、勝てないけど、俺には、余裕で勝てて、タカさん、を奪うって」  最後は声が小さくなった。タカは何も言わずに先を促す。  「音楽で、ヤスさんに、勝てないっ、あの曲は、俺には歌えないしっ、作れないっ。タカさんには、やっぱり、すごい人が、合うんじゃないかって、思ったんだ」  自分で言いながら、自分で傷付いて、涙が溢れる。  「俺さ、音楽できる人が好きって言った?」  「…え?」  タカの不思議そうな問いかけに、キョトンと優一もタカを見た。  「まず、俺天才じゃないし。それを言うならヤスさんは天才だから他をあたればいい。…あと、俺はお前に惚れたの一目惚れだし、優しいところも男らしいところも、可愛いところも、素直なところも好きなんだけど。何かできるから好き、とかじゃなくない?優一のそばにいたい、それだけだよ。優一は、俺が曲作ったりするから好きなの?」  タカの言葉に首を振る。  「タカさんの、優しくて世話焼きなところが好き。お仕事の姿ももちろんカッコイイし尊敬するけど、なにより一緒にいて落ち着く。弱い時の俺をいつも支えてくれて、ダメな時は叱ってくれるから…だから、そばにいてほしいの」  「そうだろ?技術とかだけじゃなくて、人を好きになるってのは理由は一つじゃない。世間や他人からみた、釣り合う、釣り合わないは余計なお世話ってな。どう足掻いたって、他人は俺たちの中には入れないし、入れてやんねー。」  外野は黙ってな、とニヤリ顔で言うのに安心して胸に飛び込んだ。香水とタバコの香りが混ざったタカの匂いを胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくり吐き出した。  「タカさん…、俺ヤスさんに負けない!」  「は?ダントツで勝ってるだろ。あの歌とのギャップはマイナスすぎるし。まずスタートもしてねーよ。」  「えへへっ。タカさん、俺のこと好き?」  「女子か!もー可愛いな!好きだよ、優一。抱いていい?」  「うん!お風呂行こっ」  「いやだ、このまま」  ソファーに押し倒されてすぐに唇が降ってくる。全身にキスされて、恥ずかしくて顔が真っ赤になる。  「ヤスさんのキス、気持ち良くなかった」  「あははっ!失礼だなぁ〜」  「優一のだと、ほら、すぐこんなになるのに」  手をとられ、固くて熱いものにドキドキする。  「キス、見るの嫌だった」  「ごめん。でも、止めれくれたのカッコよかったよ」  「だって、俺のタカさんだもん」  お互い服をとって、肌で熱を分け合う。いつも以上にタカが欲しくて、煽ってしまう。タカは嬉しそうに笑って、真っ白な身体に噛み付いた。たくさんのローションがソファーに垂れながら、狭い奥を目指して腰を進めると、優一の腰が大きく跳ねた。  「優一、イきそ?」  「ぁっ、ぁっ、ぁっ、あぁっ」  目をぎゅっと閉じて、真っ白な肌が赤く染まっていく。優一は体内の熱にたまらず首を振った。首筋を舐められ、耳たぶを噛まれ、口内を侵される。  (気持ちいいっ、気持ちいいよぉっ)  足が震えと、腰がググッと浮く。キスしたまま、絶頂を感じた。  「ーーーーッ!!!」  「ッ!!」  「っはぁ、はぁっ、はぁ」  ビクビクと跳ねて、必死に呼吸を整える。見上げると優しく笑う恋人。  「タカさん…大好き…」  「優一、愛してるよ」  腕を引かれて、体を起こすと目を見開いた。  「あっ、だめ、だめなのっ…」  「やーだ。お前のイく顔近くで見たい」  「っんぅっ!!っぁああ!深いよぉっ!だめなの、奥はっ、おくっ!っぁああ!」  この体制はいつまでも慣れなくて、意識が飛びそうなほど気持ちがいい。タカは、優一が対面座位が好きだと分かっていて、こうして激しくしてもらいたい日には必ずシてくれる。  涙を流しながら、タカにしがみ付いて、必死に刺激に耐える。何度も何度も絶頂を迎えて、頭がおかしくなりそうだ。  「っぁあああー!っぁああ!!!」  「くっ…イくか?」  「やっやっぁ!ダメダメっ!!ーーッ!っぁああーー!!」  ガクンガクンと震えて、タカの腹筋に吐き出した。中に温かいものを感じて幸せな気分に浸る。  「はぁ…気持ちいい」  「最高だな…。…誰がお前のこんな姿見せるかよ」  「え?」  「ヤスさん。3人でどうですか、なんてふざけてる。」  「??」  「あ、やっぱり分かってなかったな?あれは、3人でエッチしませんか、っつーこと!ありえねぇし。優一のエロいところは俺だけ!あー…あと、マコちゃんだけ…」  「もう!ごめんなさいってばー!反省してるよ」  あからさまに落ち込むと、タカはケタケタ笑って抱きしめてきた。  「優一、ヤスさんに誘われてもついていくなよ?」  「タカさんだよ!!警戒してね!?取られたくないよ?」  「あっはは!可愛いー!!」  ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、思わず笑ってしまう。2人で笑い合って、お風呂でも体を重ねて、久しぶりに裸で眠った。  次の日からタカはなぜかRINGの曲を聴くようになった。優一が不思議に思っていると、お前らも凄いんだから、と解説し始めた。  「新曲が1番いいんだよ。レイがボーカルに入ったのもいいし、青木のラップも心地いい。マコちゃんも決め所分かってるし、ハモリも安定だ。大河の歌唱力もものすごく上がっている。」  「うはは!嬉しい!みんなに伝えなきゃ!」  「あと、優一がいなきゃバランスが悪い。レイと大河の歌唱力の差を埋める存在。そしてハイトーンはお前しかできない。ハイハモがアクセントになるから、メインもサブも出来る。こんな忙しい役割はいないよ」  優一はキョトンとしたあと、だんだん顔が熱くなるのが分かった。  「あ、ありがとう」  「RINGの武器はバランスだ。1人が飛び抜けていたってダメだ。Altairが崩壊したのもそれだ。今新しい曲の準備中だが、サナが提供したんだ」  「そうなの!?」  「あぁ。いい曲だよ。楓は泣くんじゃないか?新生Altairの出発曲が失恋ソングだとは違和感だったけど、あの曲はいい。目標はRINGを越えることだから覚悟しろよ」  楽しそうなタカにワクワクして、負けないもん!と答えた。タカはスタジオに篭ってしまった。  (次会うのは早くて明日かな?)  ふふっと笑って、プレイヤーから外されたヤスのCDを再度セットして再生をした。  (ん…やっぱりいい曲)  この曲に浸って、優一はもう一度目を閉じた。  ーーーー  「うあああああーーっ!!」  「ヤスさん、落ち着いてください!」  部屋にあるものを全て投げてマネージャーが慌てて取り押さえようとする。  「僕なんかっ!僕なんかっ!!」  「大丈夫です!!あなたは認められていますから!!」  曲と詞がケンカしているように感じて、上手くいかずにマネージャーにヘルプを出した。来る間に、ダメな奴だと思い込み、昔の記憶が蘇り、耐えられない衝動を物に当たる。  「変わったのに!変われない!結局僕はっ、要らない人間なんだ!」  「そんなことありません!!!あなたに救われている人沢山います!」  「……本当ですか?」  「はい!事務所に寄せられたファンレターです。」  マネージャーが持ってきたファンレターをゆっくりと開く。  『ありがとう』 『救われた』 そんな言葉が多くあって、ヤスは涙を流してファンレターを胸に抱いた。  「あなたの存在で、救われる命もあります。あなたが必要なんです。音楽で人を癒したい、それがあなたの歌う理由ですよね。」  「…ありがとうございます。取り乱してすみませんでした。…こんな優しい言葉を僕なんかに…。この言葉で僕は生まれ変われる。」  「お互い助け合っているんですね。あなたの優しさは伝わっています。」  「もう、僕みたいな人間を作りたくないんです。幸せになって欲しい。」  過去の自分がチラついて首を振る。  歌うために事務所に名付けてもらった『ヤス』の名前。安らげるように、そう社長が付けてくれたのだ。  新しく生まれ変わり、新しい名前を貰うことで驚くほどの自信がついた。事務所にも守られ、殆どの情報を開示しないでいてくれた。 荒れた理由の1つに、昨日の出来事があった。歌い手になりたいと思わせた存在と近づけたのに、その憧れの人が愛しそうに見つめる人物。苦しかった、僕を見てと叫びたかった。なぜこの子が選ばれたのか分からなくて、意地悪を言ってしまった。  (あの傷付いた顔が忘れられない。僕はなんてことを言ってしまったんだ)  傷つけられてきた分、言葉には気をつけないとと思っているのに、こうして制御できない言葉が勝手に出ていく。昔からそれで嫌われてきた。  (タカさんがフォローしてくれてるといいな)  1人になると、振り返っては押し潰されそうになる。酒が入るとどうも別人のように傲慢になるのも怖かった。  ファンレターを綺麗にしまって、また作業部屋に戻った。マネージャーのため息を聞きながらも、僕にできることは曲を作って歌うことだと、使命があることに生きている価値がある気がした。 

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