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第112話 音楽と猫

(最近、大河さんが変だ。)  あの酔い潰れた日から、必死に求めてくる。保護されたことを感謝しながらも、何もなかったよね、と誠は聞くに聞けないでいた。注意すると拗ねていたが、仕事から戻ると今のような姿になった。  「マコっ、触って」  求められて嬉しくないはずはない。もちろん期待に応えて優しく抱くが、意識が飛ぶまでシたがるのだ。 朝になればずっとそばにいて、くっついて離れない。気まぐれな猫だから様子を見ていたが、それは変わらない。  「マコっ、マコ。抱いて。シたい」  この日もまた求められる。今日はすぐに頷かないで様子を見ると、一瞬で目が潤んで慌てた。  「た、大河さん!どうしたの?!…ほら、こっちおいで」  「マコ…っ」  ぎゅっと胸に収めると、服が涙で濡れた。  (これは…もしかして、あの日ヤっちゃった?)  緊張しながらも、大河の目を見つめる。  「大河さん、そろそろ話してくれる?」  そう言うと、コクンと頷いた。もしかしたら不安を吐き出したかったみたいだ。  「俺っ、あの日、起きたら、裸で、腕枕されてたっ…」  「へ?」  「でも、全く覚えてないんだ。記憶がなくて…」  「え、それヤってるでしょ。絶対。」  思わずそう言うと、大河の目から涙がボロボロ流れてきて慌ててハグをした。  「そうだとしたら…気持ち悪いんだ…。嫌だった。ヤスさん、変な人だった…凄い人だと思ったのに…最低に見えた…なのに、俺、記憶ないから…もしかしたらって…。嫌だったんだ、マコ以外が俺に触るのっ」  上塗りしようと必死だったのか、連日のセックスは激しいものだった。真相はヤスしか知らないが、本人は深く傷付いていた。 「ヤスさんは、タカさんを追いかけて芸能界にきたんだ。なのに、タカさんが帰ったら誰にでもキスして、誰でも誘って…」  大河だけが狙われたわけではなく、本命がタカだと聞いて少しホッとした。  「意外だね。すごく優しい歌を書くのに。」  「ん…あれを見たら聞く気なくなった。」  「そっか。…少し楽になった?」  「うん、マコごめん…。許して」  うるうるした目が見つめてくる。可愛いなぁと笑ってそっとキスをした。  「不安だったでしょ。気付いてあげられなくてごめんね。大河さんは誰にも渡さないよ。あと、お酒はもう禁止!分かった?」  「うん、分かった」  一応ちゃんと叱ると、ほっとしたように頷いた。  (叱ってほしかったんだね)  クスクス笑うと、拗ねてしまった。つむじにキスをして、今日も激しく抱いた。  ーーーー  「大河さん!ヤスさんに会ったんだけど、大河さんの言う通りだった!」  全員の収録日。  最後に乗った優一は、挨拶よりも先に大河に話しかけた。大河はそうだよな、と前のめりになって、優一を隣に座ってとシートを叩いた。  「タカさんにキスしてさ!俺の目の前で!ムカついたー!しかもさ、俺は気付かなかったけど、3人でヤらないかって聞いてきたみたい!最低!」  「うわぁ…ギャップがヤバいよな…。歌だけ聞いてりゃ良かった。」  大河は本当に残念そうに言った。会うまではこの歌に物凄く癒されると話していた分、誠も残念に思った。  (酒癖が悪い人、なのかな?)  隣の青木は、イヤホンでその曲を聞いていて、口ずさんでいた。2人が恐ろしい顔で振り返って、話を聞いていなかった青木は、驚いて目をパチクリとさせていた。青木の鼻歌に、助手席で座るレイもつられて歌い、伊藤がクスクス笑っていた。  「きょ、曲には罪はないからな!イイ曲なのは認める」  気まずそうに大河が言って、優一も大人しく、そうだね、イイ曲だよねと下を向いた。  「優くん?どうしたの?」  「え?あ…ううん。こんな曲かけたらなって思っただけ。」  何か引っかかっているような優一だったが、誠は聞き出すことはできなかった。しばらくすると全員が歌い始めて、伊藤は笑いを堪えきれずに肩が震えていた。  楽屋でも、この歌を合唱していると、コンコンとドアが叩かれた。誠がドアをあけると、初めて会う人にキョトンとする。  「お疲れ様です。ヤスのマネージャーの柴田と申します。同じ局内にいると伺いまして、ヤスの方からご挨拶をと…」  マネージャーである柴田の後ろには、長身で爽やかな笑顔を見せる人。  「あ!あなたがヤスさんですか?」  「はい!RINGのマコさん、はじめまして!あのブランドの雑誌買いました!実物もすごくカッコイイ!お会いできて嬉しいです!」  笑うと、垂れ目がふにゃりとなくなって、素敵な印象だった。笑顔で褒められて、大河や優一が言うような人には見えないし、何より悪い気はしない。嬉しくなって、大河と優一を呼ぶと、2人は、え、と固まったが渋々ドアまできた。  「大河さん、ユウさん、この間は失礼ばかり申し訳ございません。酒癖が悪くて毎回謝罪して回っているのに…どうもお酒がやめられなくて…本当に申し訳ありませんでした。」  「ヤスがご無礼を…申し訳ありません。」 ヤスの謝罪と同時に、マネージャーも頭を下げた。大河と優一は、頭を上げてくださいと慌てていた。  「僕、本当にRINGさんを尊敬しています。CDも買って…あの新曲、とても大好きなんです。会えて嬉しかったんです!…なのに、僕、あんな失礼を…。」  「も、もう大丈夫です!お気になさらないでください!な、ユウ?」  「う、うん!気にしてないですよ!俺こそ失礼な事言ったかもしれません。本当にごめんなさい!」  優一はやりあったのか、勢いよく頭を下げた。すると、ヤスは安心したのかふわりと笑った。  「良かった…。仲直りできました。」  マネージャーに嬉しそうにいうのか子供みたいで誠も微笑んだ。大河と優一はその顔を唖然と見ていた。  「まだヤスは新人で、育成途中のため、ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。」  マネージャーは改めて頭を下げた。それを見てヤスも慌てて頭を下げた。マネージャーは先にヤスを戻したあと、大河と優一に改めて謝罪をした。  「ヤスは社会人としてもかなりの新人です。年は皆さんと変わりませんが、繊細で、大きなものを抱えております。ご理解いただけると幸いです。この度は申し訳ありませんでした。」  「あの!…俺、知らなくてヤスさんを傷つけたかもしれません!本当にすみません!…フォローをお願いできますか?」  優一がマネージャーに言うと、無表情だったマネージャーがフワリと笑った。  「えぇ。もちろんです。お気遣い感謝致します。今回は…正直、RINGさんで良かったです。もうすでに共演NGが多数出て困っておりました。今後もメディア出演は控えますが、彼の社会復帰のためにも少しではありますが、お会いする機会があるかと思います。その時はどうぞ宜しくお願いします。」 その言葉に、優一も大河も誠もハッとした。社会復帰…それは優一と同じ経験の可能性があると思ったのだ。  「俺、ヤスさんと話したいです!」  「え?」  「たぶん…きっと、分かり合えるかもしれないんです!」  優一がマネージャーに言うと、キョトンとしていた。  「俺も…ついこの間まで、入院していました。」  「え?!ユウさんが?こんな明るくて、しっかりしているのに…」  「俺は今、お仕事をセーブしてもらっています。だから…俺ならきっと…」  「嬉しいお言葉ですが、尚更ヤスとは距離をおいた方がいいと思います。やっと落ち着いたのだとしたら、ユウさんのためにも刺激は避けた方がいいと思われます。気にかけてくれただけでヤスは幸せです。」  やんわりと断られ、ドアが閉められた。優一はもどかしい様子だったが、大河がマネージャーの言う通りだ、と座らせた。  「やっぱり根っこは優しい人なんだろうな、ヤスさんって。」  「酒でああも変わるかね。まるで別人だったよな。酒飲むと、自信満々の傲慢さが出てたよな。」  2人はマネージャーの言葉を飲み込むことに必死だった。  久しぶりの5人での収録は大成功だった。優一も少しずつバラエティ番組に復帰して、今日はみんなでフォローした。  「レイさん!俺ばっかりいじりすぎ!」  「あっははは!だって、お前、やっぱり想像超えてくるから!」  ほとんどレイと誠と青木が話し、うるさいとMCに怒られた。笑いを誘って良かったが、優一の緊張を隣で感じ、心の中で応援していた。  「う…疲れた…」  気疲れした優一は、殆ど話さなかったが、汗だくでソファーに倒れ込んだ。レギュラーの女性芸人さんが、優一の大ファンだと言って、優一がカメラに抜かれたことに驚いてワタワタしたのが、周りには照れているように見えて、会場からは可愛いと歓声を浴びたが、自分と闘っていた優一には思わぬパスにかなりパニックだったようだ。  「ユウ、頑張ったな」  「んー。伊藤さん、緊張したぁ」  伊藤にしがみつくようにくっつき、ゆっくり呼吸していた。レイも心配そうに見つめ、優一のお腹を摩っていた。そんな中、大河が戻って来ず、誠は時計を見つめた。  「15分も…どこにいったんだろ」  誠の呟きに青木もそうだね、と同意して2人で探しに向かった。 しばらく歩いていると、楽屋からあの曲が聞こえたが、もう1人一緒に歌う声。ハモリもあって気持ちいい。  (あれ、この声…)  楽屋の名前を見ると、ヤスの名前。誠はノックすると、歌が止んだ。  「お、マコ!青木も…。よく俺がここにいるって分かったな。」  大河はご機嫌で2人を中に案内した。奥には幸せそうなヤスと、微笑むマネージャー。  「大河さんが一緒に歌ってくれました!僕とっても幸せです!」  「いやぁ、圧巻でした!ヤスさんも嬉しそう…大河さん、ありがとうございます!」  「いえいえ。一度一緒に歌いたかったんです。すごくイイ曲ですよね。あ、マコ?お前は下ハモやって。」  青木はケータイのカメラを向けて、ワクワクしていた。大河とヤスが目を合わせて、息を吸った。  (わぁ…っ、すごい…)  2人のメロディーが綺麗すぎて、入るのを忘れて聞き入ってしまった。優しい歌に、目の前が潤む。  (歌が2人を繋いだんだ…)  あの日以来聞いていなかった曲を、大河は見事に歌い上げた。ヤスも気持ち良さそうに歌って、優しい笑顔でこちらを見た。  「次は、マコさんも一緒に。」  「そうだぞ、マコ〜お前も入れよ〜」  「無理だよ。こんな綺麗なメロディー邪魔できない。」  首を振ると、ヤスは悲しそうな顔になった。  「誰かと歌う楽しさを知りました。マコさんも歌っていただけないですか?」  見つめられて、うっ、と固まる。大河もニヤニヤして見ていて、意を決して頷いた。  緊張しながらも寄り添うように歌うと、2人が嬉しそうに笑うから恥ずかしくなった。青木を見ると、涙を流していて驚いた。  「あ、青木大丈夫?」  「やばー!超いい曲ー!感動したー!」  「あっははは!ヤスさん見て?響いたね!」  「嬉しい…」  ヤスも嬉しそうに笑った。  3人で楽屋を出ると、大河が前を歩きながら言った。  「ユウも、音楽で少し前に進んだから、ヤスさんにもどうかなって思ったんだ。ヤスさんな、ファンレターがお守りなんだって。やっぱり優しい人だった。だってあの曲を作った人なんだから。」  振り返った大河はキラキラしていて、思わず抱きしめると、胸の中でケラケラ笑っている。  「もー、ラブラブしないでよー。ユウのとこ行こうーっと!」 3人で騒ぎながら楽屋に戻ると、レイが優一を背負っていた。  「え、レイ、ユウどうした?」  「あぁ。疲れたんだと思う。伊藤さんは車取りに行った。入り口で待っていよう」  「レイさん、荷物持つよ!」  「ありがとう青木。よいっしょ…っ、行くか!」  優一はレイの背中で疲れ切ったように眠っていた。  「ふふっ、可愛い」  思わず笑うと、大河がギロッと睨んできて驚いて固まった。  「マコちゃん、また、浮気ー?」  青木が苦笑いしながら大河を見ると、大河は激しく頷き、青木が代弁してくれたようだ。  「違うよっ!頑張ったんだなぁって。」  優一の頭を撫でると、更に不機嫌になる恋人に誠は苦笑いした。  「俺も頑張った!」  「「ぶはっ!」」  大河の声に、前を歩いていたレイと青木が大きく吹き出して爆笑していた。大河は自分の言葉にハッとして顔を真っ赤にした。  「はいはい、大河さん、よく頑張ったね」  「うるせぇ!触んなっ!」  頭を撫でると嫌がって振り払われた。照れ隠しなのは分かるが、わざと引いてみた。  「分かった。触らないよ。ごめんね?」  「〜〜〜!!もういい!!マコのバカ!」  「あっははははは!マコちゃんもう虐めないであげて!!」  「大河ほらおいでー。よしよし頑張ったな」  レイが優一を背負いながらも大河を引き取った。レイに甘えながら振り返り、誠を見て威嚇した大河に、青木と2人で可愛くて悶えた。  ーーーー  「大河さーん。怒んないでよー。」  「やだ。お前触らないって言っただろ!」  「触りたいなぁ。頑張った大河さんに、お疲れーって抱きしめてあげたいなー。」  「う…」  「収録もだけど、ヤスさんのことも気にかけてたんでしょ?やっぱ大河さんは自慢の恋人だなぁって思ったんだよ。」  「マコ…」  「お仕事も、ヤスさんのことも、頑張ったね?ほら、おいで」  そう言って両手を広げると、ぎゅっと胸に飛び込んできた。誠は心の中で激しく悶えながら、機嫌を損ねないように余裕のあるフリをした。  「俺、あの曲を歌う人を守りたいなって思ったんだ」  「うん、そっか」 「信じたくなかったんだ。幻滅して、あの曲を聞くのが嫌になってた。でも、マネージャーさんの話聞いて、何かと闘ってるんだって感じた。ユウみたいに、自分との闘いなんだ。」  「そうだね」  「あんな人を潰しちゃいけない。あの人は、ヤスさんは音楽で人を救う人なんだ」 見上げてきた大河の顔には自信が溢れていて、頬にキスをして答えた。 「俺達も頑張らなきゃな。」  「うん!頑張ろう!」  満足したのか、離れていく大河の腕を引いてまた胸に閉じ込める。嫌がる大河を押さえつけてゆっくり深呼吸する。  (はぁ〜…落ち着く)  「マコっ、離して。もう、いいって」  「俺も癒してよー。頑張ったよ?」  「うはは!そうだな!マコーお疲れー!」  甘えると、甘やかしてくれる。可愛い恋人からお兄ちゃんに変わる。ぎゅっと腕を回してくれて目を閉じた。  「なー?もういい?俺ギター触りたいー」  「だめー。俺は大河さん触りたいもん」  「ぶりっ子すんな!はい、もう終わりっ!なぁ!マコ!邪魔すんなよっ!」  苛つき始めた大河に苦笑いする。音楽モードに入ると止められない。パッと腕を離すと、ギターのある部屋に行ってしまった。  (うーん。やっぱり音楽には勝てないなぁ)  本当に猫みたいな恋人にクスクス笑う。部屋からはギターの音と歌声が聞こえた。  この日の夜は、大河から求められることなく、隣で気持ち良さそうに眠る恋人を見ながら一人で熱を発散させた。

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