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疲れた夜にはホストごっこを
とある日、壱成はやさぐれていた。
ここのところ、仕事での人間関係に悩まされることが増えているためだ。
まずは同僚・小田のことである。
後輩・郷田菜々子にほのかな恋心を抱き続けていたらしい小田だが、先日とうとう菜々子を食事に誘ったというのだ。(ちなみにこの事実を、壱成は菜々子から聞いた)
菜々子は困惑したものの、職場の先輩だし、先日完了したばかりの企画の打ち上げという名目だし……ということで、小田といい感じのイタリアンレストランに入った。
だが小田は終始緊張していたようで会話は続かず、互いに酒のピッチばかり上がってしまったらしい。
小田は酔うと、ひたすら自分の関心ごとについてマシンガントークを始めてしまう癖がある。ちなみに小田は寺社仏閣マニアだ。休みの日は必ず、どこぞの寺社仏閣を巡り歩いているらしい。そういうアクティブな面もあり、壱成的には小田の話はなかなか新鮮で面白いので付き合うが、女性陣にはとかく評判が悪い。
加えて、菜々子は酒に酔うと遠慮がなくなるタイプだ。イタリアンレストランで懇々と『都心から一時間半くらいのところに白水神社っていう神社がありましてね、そこの若い宮司さんがすごい霊媒師だって噂があるんですよ。なんでもまだ大学生らしいんですけどお守りとかも効果があるって評判らしいのでよかったら今度一緒に……』と早口に語りまくる小田の話に船を漕ぎそうなったようだ。
そして菜々子は最終的に、小田のそういう周りの話を聞かない性格について『そんなんじゃモテませんよ!』とダメ出しをし、『わたしが通ってるホストクラブのホストさんたちなんてねぇ、すっごい聞き上手なんですよ!! 女の子はねぇ、いっぱい話したい生き物なんですよぉ!?』と管を巻き、『それにほら、霜山さんとかも聞き上手じゃないですかぁ!? やっぱほら、モテる男は聞き上手なんですよぉ!!』と、壱成の名前まで引き合いに出してしまった――
その日以来、つららのような小田の目線が痛くて痛くてたまらないのである。だが、同僚として同じ部署で働く以上、コミュニケーションは重要だ。あの手この手を使って小田の機嫌を取ろうとしてみたが梨の礫で、壱成はすっかり疲れてしまった。
そのタイミングで、『デザイン部門のミス』『教育機関が夏休みに入るにあたり〈お疲れ様接待〉の連続』『新規企画のチームリーダにならないかという打診』『会議に次ぐ会議』――と、とにかく壱成は疲れていた。
そこへ育児と家事が重なってさらにストレス……とはならなかったのが、唯一の救いだ。
ここのところ忙しくはあるけれど、空を迎えに行く時間のことを考えることによって段取り力がアップし、遅くとも午後七時には会社を出るようになった。
それでも通常の迎え時間には間に合わないのだが、今月いっぱいは夜間保育を依頼しているため、空は保育園で食事を済ませてもらえることになっている。なんと素晴らしいシステムだろう、と壱成は改めて『ほしぞら』のありがたみを実感していた。
『いっせー、おかえりぃ〜!』と言って飛びついてきてくれる空はかわいいし、『おしごとつかれたねぇ』といたわってくれる空はかわいいし、一緒に入るお風呂は楽しいし、壱成の傍で寝かしつけられてくれる空はかわいいしで――とにかく、癒されるのだ。
そうしてバタバタと空を寝かせたあと、壱成は彩人の作った夕飯を食べる。それも、壱成にとっては日々の癒しだ。ちなみに、徐々に料理のレベルが上がっていく様子がありありと分かるので、毎回感心してしまう。
さて寝るか……と壁掛け時計に目をやると、大体いつも二十三時半前後だ。彩人は接客真っ只中の時間帯だろう。毎朝顔を合わせているというのに、ついつい客をうらやましく思ってしまう。
早く彩人に会いたかった。
+
そして金曜の晩がやってきた。ようやく週末だ。
今日は少し早く帰れたので、空を寝かしつけてもまだ二十一時である。
ぐでぇ、と大股を開いてソファに座り、壱成は虚無顔だ。今週は、とにかくもろもろ疲れてしまったため、思考も表情筋も死んでいる。
とそこへ、がちゃりと玄関が開く音がするではないか。
こんな時間に一体どうしたことだろう――と、首だけで後ろを振り返ると……キラッキラのイケメンホストが、壱成を見つめて微笑んでいる。まぶしい。
「え、彩人? おかえり……ってか早くない?」
「ただいま。昨日二部出勤してたから、今日はちょっと店に顔出して終わりだぜー」
「あ、あ〜……そういやメールもらってたっけ。忙しくて抜けてたわ……」
「そーだろうと思ってさ」
彩人は、手にしていた黒い紙袋をちょっと持ち上げて、意味ありげな笑みを浮かべた。そして、ソファから立ち上がることもままならない壱成のそばにやってきて、中を見せる。
「うわぁ、なにこれ」
艶のある素材のショッピングバッグの中には、ワインのボトルと重箱が収まっていた。彩人はそれをてきぱきとローテーブルに並べて、食器棚の高いところから、ワイングラスを二つ取り出してきた。
重箱の中には、いかにも高級そうなオードブルやフルーツが詰め合わされている。蓋を開けた瞬間に漂う香りは、一般家庭では作ることができないであろう凝った料理の匂いだ。
すでに満たされているはずの胃袋でさえもぐううと鳴いて、その料理のためのスペースを空けようとしている。
「え、なになに?」
「今週もがんばった壱成に、俺からのお土産」
「えっ? うそ」
「これ、店で出してる料理なんだけど、かなり美味いから」
「まじかよ、うわぁ、すげぇ〜!」
いつもならすぐに脱いでしまうスーツを着たまま、彩人は部屋の照明を落とした。がやがやとバラエティ番組が点いていたテレビを消し、リビングの隅に置いてある縦長のおしゃれフロアライトの明かりを灯すと……リビングから生活感が消え、妙にムーディな雰囲気になった。
あっという間に空気感づくりを済ませた彩人は、壱成の隣に座って脚を組んだ。そして、うっとりするほど妖艶な笑みを浮かべてこう言うのだ。
「今夜の俺は、壱成だけの高級ホストってことで」
「へっ……何それ。俺だけの?」
「そ。最近ゆっくり二人の時間過ごせてなかっただろ? 俺も寂しかったんだ」
「あ、彩人……」
ただのTシャツに彩人の短パンというダルダルの格好をした壱成の手を、彩人が恭しくそっと握った。
そして持ち上げられた壱成の手に、彩人の唇がそっと触れる。少なからずドキドキしてしまい、壱成は「あっ……どうも」と謎の返事をしてしまった。
目線を上げた彩人は、どぎまぎしている壱成を見つめて薄く微笑む。ほのかな明かりでさえもキラキラと繊細なきらめきを見せる金色のピアスは、彩人にとてもよく似合っていた。
壱成の手を握り、慈しむように指を絡める。彩人の体温でぬくもった指輪が肌に触れ、なぜだかぞくりと興奮してしまった。
「なに、緊張してる?」
「す、するわけねーだろ」
「ほんとかよー? ……ほら、おいで?」
「ふえっ」
すっと肩を抱き寄せられると、光沢のあるなめらかなスーツが腕や頬に触れる。その感触に、彩人と再会したあの日のことを思い出し、なんだか急に懐かしくなった。そして同時に、少し複雑な感情も――
「……彩人、お客さんともこんな距離近いわけ?」
「んー? 手は繋がねーけど、肩抱くくらいはね。妬ける?」
「べっ、別に妬いてねーし」
「でも、俺がこんなことしたいのは、壱成だけだよ」
「んっ……」
ゆっくりと近く彩人の唇が、壱成の耳をかぷりと甘噛みし、耳孔のそばで低く囁く。そして壱成の黒髪に鼻先をすり寄せる彩人の仕草は、どこか甘えているようでもありながらも、ひどく色っぽく感じてしまう。
「だっ、だからっ、妬いてないから……」
「へへ、ほんとかよー? ああそうだ、ワイン飲む? 壱成の好きそうなやつにしたんだ。クセのない白で、ちょっと甘めで」
「あ……うん。いただきます……」
耳に残る彩人の声が、じんじんと熱をこもらせる。彩人は慣れた手つきでコルクを抜き、二つ並んだ丸っこいグラスに白ワインを注いだ。あたたかみのあるライトの色をそのまま映し、磨かれたグラスの中でゆらゆらと揺れる液体もまた美しく、壱成はだんだん夢の中にいるような気分になってきた。
「お疲れ、壱成」
「あ、お、お疲れ様です……」
「あはっ、もー、なんで敬語?」
「いや……なんか変な気分。いくら取られんのかなっていう」
「いやいや、金とるわけないじゃん! あははっ」
両手でワイングラスを持ってそわそわしていた壱成だが、彩人につられてワインを一口。舌の上に広がるすっきりとした味わいも、鼻から抜けてゆくフルーティな香りも、まさに壱成好みの味だった。(この手の飲みやすいものしか飲めないのだが)
「……美味しい」
「だろ〜。仕事、なんかいろいろ大変なんだって? こないだ菜々ちゃんに聞いた」
「え!? 郷田のやつ、また『sanctuary』に……!?」
「うん、佐古田先生と一緒にね。まぁ、菜々ちゃん最近レイヤと仲良いから、俺は雑談程度だけど」
「レイヤ……? ああ、前、ヘルプに入ってた若い子?」
「そうそう、最近あいつ頑張ってんだよ」
「へぇ……」
ウルフカットの若ホストの顔を思い浮かべつつ、壱成はまたひとくちワインを飲んだ。澄み渡るような豊潤な香りのおかげで、アルコール度数のわりに飲めてしまう。疲れている身体に染み渡るワインは、少しずつ、壱成をほぐしてゆくようだ。
傍らに座る彩人の声は程よい低音で耳触りが良く、スーツからはいい香りがする。ゆったりとした時間が流れ、うららかな眠気さえ心地良い。壱成を見つめる瞳は静かでありながらもどこか甘く、そばにいるだけで癒された。
「まぁ、大変っちゃ大変だけど、仕事だしな……。俺、いろいろ押しつけられやすいタイプだろ? つい引き受けちゃうのも悪いクセっつうか……まぁ、中学んときからそーだったけど」
「ははっ、だよなー。中学んときもクラス委員とかやらされてたもんね」
「そーそー」
気づけば、ぽつぽつと仕事の話をし始めていた。ここ最近の激務に加え、小田のことや菜々子のことについても。
小田の件に関しては完全なるとばっちりなので、壱成の口調もついつい愚痴っぽくなってしまう。
だが、彩人は適度な相槌を打ち、親身になって話を聞いてくれた。時折料理をつまむようさりげなく勧めてくれるし、壱成がワインを飲んでしまうとすぐに、また程々の量を注ぐのだ。舌も腹も、上質で美味なものに満たされてゆく。
「うん……壱成は優しくてノリもいいから、周りが仕事頼みたくなる気持ちは分かるなぁ」
「ん……まぁ、頼られるの嫌いじゃないからなぁ、俺……。必要とされてる〜みたいな感じがしてさ」
「でも、今は後輩だっているんだし、これからはうまく他へ仕事を振れたらいいよな。菜々ちゃん言ってたよ、霜山さん、もっと厳しくてもいいのに〜って」
「えぇ? あいつ、そんなこと言ってたの?」
「うん。佐古田先生も褒めてたよ? 壱成は、先生の研究内容についてすごく勉強して理解してくれてるって。だから佐古田先生も、壱成となら仕事がしやすいし、ずっと協力してあげたくなるって」
「へっ……まじで?」
「うん、そーだよ」
思いがけない台詞に、がば、と身体を起こして彩人の顔を見る。彩人はゆったりとソファに腰掛けたまま腕を伸ばして、フルーツの盛り合わせの中からマスカットを摘んだ。
彩人は壱成を見つめていた目を軽く伏せ、まるで宝石のような艶やかな果実にキスをした。そしてそれを、壱成の唇に触れさせる。果物ごしの間接キスを経て、舌の上で弾ける甘み。壱成は照れるを通り越してうっとりしてしまった。
「ん……甘」
「壱成がみんなに褒められてんの聞いて、俺、嬉しかったな。いや、誇らしい……っていうか」
「誇らしい?」
「俺の壱成、すげーだろって。カッコいいだろって」
「へぇぇっ……? な、な、なんてっ……?」
『俺の壱成』と言われた瞬間、バクバクと心臓が騒がしい音を立て始めた。歓喜と羞恥で打ち震えていると、彩人の顔がすいと近づき、唇をはむっと甘く食まれる。
「んっ」
「……甘い。おいしい、壱成」
「おっ……おまえ、み、み、みせでもまさかそんなエロい接客して」
「ははっ、エロい接客? そんなのしてねーよ。フルーツにチューすんのは、リクエストされたらたまにやるけど」
「そうなんだ……あ、いや、それはいーんだけど。ん、っ……」
膝の上で震えていた拳を手のひらで包み込まれながら、もう一度キスが降ってくる。する……と忍び込んでくる彩人の舌も、吐息も、ワインの芳醇な香りと相まって、いつも以上にひどく甘い。
壱成は目を閉じて、彩人の舌に自らのそれを絡ませる。次第にキスが熱を帯びてゆくにつれ、淫らなリップ音がリビングに響き始めた。
「は……ぁ……あやと」
「俺……壱成とチューすんの、好き」
「へっ……」
「すげぇかわいいし、キスだけでめちゃくちゃ気持ちいいから」
「ん……」
ハーフパンツの裾から、彩人の指が壱成の太腿を撫で始める。ぞくぞく……とそこから駆け上る快感と興奮に、壱成は肌を震わせた。そこへさらに追い討ちをかけるように、彩人は壱成の下唇を軽く吸い、ゆっくり味わうように唇を淡く食みながら、小さな声で囁いた。
「壱成とするセックスも、最高に好き」
「へ……」
「かっこよくてデキる男の壱成が、俺に抱かれて乱れて、かわいく喘いでんだよ? ……すげぇ興奮する」
「あ、っ……あ」
ハーフパンツの中、さらに上へ上へと登ってくる彩人の指先が、とうとう壱成のペニスに触れた。彩人の言葉だけですでに芯を持ち始めていた壱成のそれは、下着の上から思わせぶりに撫で上げられるだけで、あっさりと勃ち上がってしまう。
「あやとっ……」
「ほら、こんなにココ、硬くして。俺にこういうことされるの、喜んでくれてさ」
「あ、はっ……」
かくんと身体から力抜け、彩人に背中を預ける壱成を、彩人が蕩然とした眼差しで見つめている。
一旦抜かれた彩人の指が、ハーフパンツのウエスト部分からするりと入り込んできた。リングが嵌ったままの指で、ペニスを柔らかく扱かれるたび、これまでに感じたことのない刺激に襲われて、高い声をあげそうになってしまう。
とっさに口を押さえて声を殺すが、ホスト姿の彩人に追い詰められるという興奮には抗えない。そうこうしている間にも、彩人は壱成を仰かせ、ゆったりとしたペースで舌を絡める。彩人の巧みなキスに酔い痴れながら、壱成はされるがままに快楽の海を揺蕩っていた。
「ん……はぁ……っ」
「キスしながらこうされんの、好き?」
「ん……すき……」
「壱成の気持ちよさそうな顔、ほんとエロい。すげーかわいい……」
「ぁ、あっ……イキそ……はぁっ……ぁ、あっ」
いよいよ射精感が高まって、びく、びくと腰を震わせていると、彩人から殊更深いキスを与えられた。下では彩人の手の動きが激しくなり、そして……。
「ん! ァっ……い、イクっ……ん、ンン……っ!!」
壱成は彩人の腕をギュッと掴みながら、ひときわ大きく腰を震わせた。ハーフパンツの中で熱いものが弾け、しびれるような快楽の波に全身を支配される。
つと、彩人が手を持ち上げた。
高価な指輪の似合う長い指に、壱成の放ったものがとろりと絡みついているではないか。
彩人はそれをゆっくりと指先で遊ばせた後、舌を伸ばしてぺろりと白濁を舐め取った。形のいい唇から覗く赤い舌に、とろりと精液が掬われてゆく。
あまりにもエロスな絵面に、壱成はくらりとめまいを覚えた。だが、このままでは彩人の高級スーツまで汚れてしまう――と危惧した壱成は、慌てて彩人の手首に触れた。
「こ、こらっ……やめろって」
「いっぱい出たじゃん。今週、全然エッチしてないから溜まってる?」
「っ……そ、そういうこと言うなよっ」
「まぁそう照れんなって。俺だって、全っ然足りねーよ」
濡れていない方の手で腕を引かれて、やや強引にキスをされ、性懲りもなく胸がきゅんと高鳴ってしまう。だがここでセックスするわけにはいかない。だってすぐそこで、襖を隔ただけの部屋で、空が眠っているのだから……!
「と……とりあえず、シャワーしたい。彩人も、手、洗わねーと」
「あ、うん。そーだな」
「指輪も念入りに洗ってくれよ頼むから」
「へへっ、はいはい。俺も一緒に入っていい?」
「えっ……まぁ、いいけど」
「やったね」
に、と嬉しそうに笑う彩人の表情からは、いつしかホストみが消えている。束の間のホストごっこは楽しかったけれど、こうして素顔で笑う彩人がやっぱりかわいくて、壱成は気の抜けた笑みを浮かべた。
「ちなみにそのスーツ……いくらすんの?」
「これ? えーと……エルメスかなんかだったかな。八十万くらいじゃね?」
「はちっ…………? はち、じゅうまん、えん……?」
「うん」
「ば、ばかっ! 今すぐ脱げぇ!! もしくは早く手を洗うか拭くかなんとかしろ!」
「? どうしたんだよ急に慌てて」
壱成は力の入らない腰に鞭打って、きょとんとしている彩人に箱ティッシュを押し付ける。
そしてバスルームでもしっかりと甘やかされ、気持ちの良い夜を過ごすのだった。
『疲れた夜にはホストごっこを』 おしまい
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