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第2話

 ここは売り専の店。『MILK arch(ミルクアーチ)』ゲイ向けの風俗店として、ボーイと呼ばれる十八歳以上の年若い男性が男性客を相手に体を売る仕事をしている。  最近では首都圏を中心に関東関西に手広く展開しており、業界内では新進気鋭の店として名を馳せていた。  また、ビルのフロアを店舗とするところが多いのに対し、MILK archでは小洒落た戸建ての店舗形式をとっている。  店内では充分な数のシャワールーム完備の防音プレイルームを用意している。また完全予約制のシステムで、店舗だけではなく、自宅やホテルにボーイであるキャストの男の子を呼ぶことも出来る。その出張サービスを利用する客もかなり多い。  そのため、マネージャーは車での送迎係も兼ねていた。  常に人手不足は否めない。  たとえば現在フロントにいる(りょう)などは受付のスタッフとしてだけではなく、メインメンバーのキャストとしても兼務している。   「童貞じゃないんだろ?」 「はい。言い難いんスけど、……ゲイ、なんです」 「あー、なるほど。気にすることないぜ。ここで働いているのは大抵そんな奴らさ」  葵がけらりと笑ってみせると、ヨシは安堵したように静かに息を吐いた。  それでも多少は経験がなければいきなり本番は難しい。また、とても身がもたないだろう。       葵はさらりとした生地のカーディガンのポケットからスマートフォンを取り出した。その端末へ指を滑らせ店舗ホームページの出勤予定を見れば、やはり今日も何人かのキャストは店舗に顔を出すようだ。これならばきっと、ヨシも誰かと接客の予行練習が出来るだろう。 「まずは仕事の流れを覚えて店舗内で練習に付き合って欲しいタイプが見付かったら相談。新人はみんなで育てるから話しかけやすいし、タチネコは各自のプロフィール欄にも書いてあるから参考にな」 「葵さんも、いいんですか?」 「俺でよければ喜んで。それから、名前を呼ぶ時は――」 「今日は予約が入ってるだろ、お前。時間に余裕がある時にしろ」不意に新しい声がした。低いが聞き取りやすい、よく通る声だ。  出勤時には年中センスの良いスーツを身に纏い、いつでも爽やかな顔を崩さない守代が休憩室に入って来ていた。     彼の少しだけ長い前髪は、後ろに軽く流してある。そして全体を毛先だけワックスで動きを出したスタイルの黒髪。それは凛とした佇まいの長身と美形の顔立ちにとても馴染んでいた。  ヨシと挨拶の言葉を交わす、守代の落ち着いた大人の声。そしてそろそろ暑くなる初夏だというのにきっちりとネクタイを締めた堅苦しさは相変わらずだ。革靴まできれいに磨いてある。その服装を見ると、ここはまるで規則の厳しい一般企業のオフィスのようだと錯覚してしまう。もちろん、そんなことはない。  テーブルの上に置いてある物を一瞥した守代は、あえて何かコメントを残すことはしなかった。  彼は部屋に入ったときに、二人の会話の言葉尻だけを捉えたのだろう。仕事についての話を進めていたことは判断しているようだ。  葵にとっては店舗内で一番付き合いが長いため、守代の切れ長の瞳が何を言いたいのか何となく理解っている。  何となく理解った気にはなる。  人の考えることが全部把握できれば、生き易いだろうに。  未だに憶測で捉えることで精一杯だ。  葵が昼からの営業開始時間より少し前に出勤したのは、プレゼントされた沢山の林檎をスタッフにさしいれるためだけではなく、仕事の予約が入っていたからだった。

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