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第17話
終わらせた恋愛を持っていた。
好きになってはいけない相手にどうしようもなく恋焦がれ、振り向いて欲しかった青い季節が眠っている。葵が男女関係なく、きれいなものに惹かれるのは今も昔もたいして変わっていない。自ずと仕事かプライベートかで分別をつけられるようになっただけの価値観だ。
高校に入りたての頃に付き合っていた一学年年上の彼女が校内で常に話題になっている彼について葵に熱弁してきたのが始まりだった。彼女もまた、きれいなものに価値があるという、葵と同じ価値観を持っていた。
”葵くんと並んだらすっごくお似合いだと思うの”
それはたいした意味を含んでいない、ただの好奇心による言葉だった。パールとダイヤモンドを並べたらきれいだろうな、という考えにすぎないものだ。
彼女が言う、その一つ年上の彼はすぐに目についた。ブラックダイヤモンドの煌めきを放つ彼の存在感は確かに強く、その左目横のほくろが色気さえ伴っていたことがとても印象的だったのだ。
桐宮寿人(きりみやしゅうと)。容姿端麗文武両道を完璧に具えたその存在は強烈に輝き、惹かれないはずがない。先輩ではあったが、少しずつ言葉を交わして互いのクラスを行き来もしたり、連絡先を交換して一緒に下校したりもした。まるで歳の差などないかのように接しては、桐宮も葵のことを構ってくれた。その幸せな記憶。
また、彼の家柄が政治関係だと知ったのは、知り合って少し経った後だった。
その頃には徐々にモデルの撮影へ声がかかるようになっていた。しかし、桐宮と会うためだけに学校へ通うことは止めなかった。自然と、一緒に過ごす時間が減った彼女からは紙面のファンでいる。というありきたりな言葉を別れ際にもらった。
どんなに葵の私生活が忙しくとも、桐宮は常に穏やかな佇まいを崩さず、葵の全てを受け入れていた。他の学生と違う生活を送る葵にとっては、彼の寛容さに甘えていたのかもしれない。
そんな彼から、とてもきれいな存在の彼から「好きだ」と言われた。好いた相手に好かれる幸福。葵はその場で自分の想いも伝えた。
触れた指先は爪先まで手入れの行き届いた美しさで、彼の全ては完成された存在だった。
まるで夢のような橙色に染まる幻想的な放課の教室で初めて彼に触れて、握られた掌と交わした口付けに高鳴った感情は、確かに恋だった。
それから拙いセックスをたくさんした。性別を抜きにしても、葵だから好きになったと言う桐宮のことがただ愛しく、会える日には急くように求め合い、ひたすら彼の全てを欲した。何も生み出せない後孔や喉に注がれる体液すらも。
業界内の性的な枕営業を強いられるようになった頃、このまま彼の傍で純情を装う関係はやめなければならないと葵は思った。彼は家業を継ぐ血筋なのだからと。そして大学進学を機に自ら関係を終わらせた。
自分の価値観を押しつけてしまったエゴイズム。その自覚はある。
「酷い記憶力だ」
もう一度呟いた彼の方を見る。
反論するべきか、笑って躱すか考える。この時間も金で買われていることに違いなく、私情を挟むことはしたくなかったし、するつもりもない。
過去に折り合いをつけられるくらいに理性はとっくに成長している。ただ、その過去と向き合う強さは喪失したままのように思う。
ひた隠しにして気丈に振る舞う様は、あたかもブザービーターの鳴らない競技を続けているに等しかった。しかし、一度知ってしまえば、知らないことにはならない。
そんなことは解っていた――
一度覚えたことは留まってくれるが、済んだことはあっさりと消してしまう。人間の記憶力など、所詮そんなものだ。謂れのない誹謗中傷の記憶だとか、終わらせた恋愛などを覚えていても辛いだけなのだから。
意図してきれいな思い出のカテゴリに分類し、鍵をかけて滅多に見ることはなかった。
それを開いたのは、彼だ。
覚えているさ。
警告の点滅は、シグナルイエロー。
「そうかも。でも、折角指名してくれたんですから、楽しい時間にしましょう?」
眉根を寄せた微笑を浮かべて、小首をちょこんと傾げてみせる。すると、平静を保っている桐宮の瞳が揺らいだ。伸ばされた桐宮の手が葵の髪を梳いていく。
「敬語じゃなくていい」
「そ?」
「見た目に反するざっくりとした話し方も好きだったんだが」
「……今でも口説いてくれるのはありがたいね」
それくらいの要望を飲むのはとても簡単なことだった。
肩肘の張る上着を脱いで、ソファの空いたスペースに置く。改めて室内を眺めると、座するソファを始めとする調度品は全て贅沢なものだ。落ち着いたデザインとシックな色調をベースにされている。
かと思えば、オフホワイトに金の組み合わせの優美な浴室。その無駄に広い空間と明るすぎる照明で思わず目が眩みそうになった。
桐宮のスーツに手をかけ、丁寧に脱がせていく。すると、同じように脱がされる。こんなにも明るい場所で少しずつ露わになる素肌を見られていると、気恥ずかしさがムズムズと這い上がった。裸を恥ずかしがる清らかさなど、とっくに失ったはずなのに。
そう言えば、桐宮の身体を洗ったことは今まで一度もなかった。
大人になりかけていた学生時代とは違う、成長した均整の取れた体に触れることが戸惑われる。葵から離したこの手を、今、直に触れることに対して。
これはいつも通りの仕事だ、何も違いはない。そう自分に言い聞かせる。
「……妙な気持ちになるな」
「良い意味で?」
「良い意味で」
引き締まる筋肉に沿い泡立てたボディソープを掌にたっぷりとつけ、桐宮の体を洗っていく。とても不思議なくらいにその和やかな雰囲気を崩さないので、自然と普段の仕事と同じ気持ちに移り変わる。葵の緊張も次第にほぐれ、軽口めいた軽快なリズムで言葉を紡ぐことも出来ていた。
向かい合った彼が同じように葵の体を洗っていく。ぬるぬるとした掌が体をなぞっていくだけで気持ちが昂って仕方ない。簡単に熱を孕んでしまう躰は緩く中心に芯を持たせ、それは桐宮も同じで、泡まみれの手で掴んでは丁寧に洗った。先端の鈴口、竿、睾丸と一つずつ大切なものを扱う手付きできれいにしていく。段々と雄々しくなる性器を焦らすようにシャワーで全身の泡を流す。葵自身も手早く洗い終え、先に彼を脱衣場へと退出させた。流れでプレイに興じるかどうかは分からなくとも、準備だけはしておかなくてはいけない。
掌にローションを垂らして、後手に弄る孔へじわじわと指先を埋めては数本飲み込ませる。少し苛めてやるだけで、この慣れた躰はすぐに葵の細長い指を受け入れた。
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