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第18話
不必要な言葉を省き、抱き合いながら倒れ込む。そのベッドは室内に相応しい十分な広さとスプリングで二人の体を簡単に支えた。吐息と口付けの合間に生じる唾液の混じる音を立てながら、裸に羽織っていたバスローブを中途半端に剥がされる。彼の手の感触が、記憶の中の桐宮と重なっていく。
落とされた照明が淡く桐宮の襟足までの黒髪を照らしていた。あの幻想的な橙色は見当たらない。爪先から唇や舌、掌で触れ舐められながら、透き通りそうに白い葵の両脚が持ち上げられていく。抱え上げられ、全て見られている状態で取り繕う気などない。
柔らかな入り口付近をくるくるとなぞる桐宮の指がもどかしく、思わず腰が揺れた。
伸ばした手で桐宮の纏う浅ましい純白のバスローブを引っ張り、肩からずり落とさせる。何を清廉ぶっているのだ。薄く笑う表情が雄の獰猛さを垣間見せる、その瞬間を。
欲しいと願う。
「……ッ、ん」
ぐっと押し込まれる指をほぐれた内部が容易に食す。隙間を埋めてくれる存在がたまらなく愛おしい。増えた指が掻き回す動きに合わせてくちゅぐちゅと奏でられる音が、酷く淫らにベッドルームに充満していく。
急に指を引き抜かれた喪失感に葵が桐宮を見ると、両目を塞がれた。それに触れてみると、ふわふわとしたタオル生地だった。そんなオプションがつけられていたことを思い出す。いや、桐宮のことだ。渡瀬がつけたオプションや店の規定など最初から意にも介していないだろう。
それでも、彼の思うままにさせてやる。
離れたくないと願いながら別れた決断が今になって後悔となるなんて思わなかった。もう二度と会うこともないと自ら仕舞い込んだ想いが、苦しみに変わってしまう。
「葵」
「あ……っ、ンんっ」
呼びかける声に応えようとする前に、それは甘い声に変わった。彼の名前すら呼べない。数年の歳月を経ているというのに、突き入れられた性器の生々しさが躰に馴染む。浮かんだ涙がタオル生地に吸い込まれ、揺さぶられるたびに上擦った声が漏れた。
擦られる気持ち良さを追いかけることで頭がいっぱいになる。
おぼつかない、浮遊感。
だらしなく開いた葵の口元からは涎が垂れている。しかし、とてもそんなものを気にかける余裕はなく、熱くなった目頭からじわりと涙が溢れた。その途端に密着する布地に吸収される。
不意に早まるストロークに無意識に掴んだシーツはどこまでも柔らかい。それはなんだか掴んだ気になれず、頼りなかった。頂点へ向けて駆け上がる感覚。まるで女みたいな甘い声が絶えず口から漏れて弾けた視界の白さ。
腹に吐精した脱力感と、熱い精液がどぷりと奥へ出される感覚がした。責める気力もない。
急にするりと目隠しがほどかれた。
「まぶしい……」
「葵」
にわかに両眼へ飛び込む明るさに順応するために、葵は数度ぱちぱちと瞬きを繰り返す。明るいと言っても、洒落た間接照明がぼんやりと室内を照らす程度のものだ。
葵の名前を呼ぶその声は、呼びかけや促しではなく、改めて抱いている相手を認識し安堵する色を含んでいた。
「逢いたかった」
「っ、俺は……ァ」
あまり質量の変わらない性器が再度奥まで突き入れられた。相手の、男にしてはほんの少しだけ長い襟足までの黒髪が首あたりに触れる。くすぐったい。不意に首筋を強く噛まれた。びくりと肩を揺らすが、それよりも緩く擦られる内壁の方がどうしたって気持ちが良くて、思わず涙が溢れた。
しかし吸収してくれる隔たりは何もないので、潤む瞳から零れる水滴を乱雑に手の甲で拭うしかない。
今まで少しずつ築いてきた仕事の顔と声が、簡単に剥がされていく。
そんな言葉を、軽々しく口にして欲しくなかった。既に過去へ置いてきた感情がたとえ優しい顔をしたとしても、折角塞がった瘡蓋を剥がすようで、心が痛い。
また涙が浮かび、視界が揺らめいた。
「俺は……、会いたくなかった」
気持ちと反対の言葉を紡ぐことなんて今までたくさんあった。たとえどんな相手に対しても、会えて嬉しいと、好まれる笑顔を向けてきた。その六乃瀬葵の外面は、桐宮を前にするとろくに通用しない。あのよそよそしい再会の第一声が、白々しい演技の一環だと葵自身分かっていた。そしておそらく、彼も。
「悪い。久し振りに会って、動揺しただけ」
うっかり拒絶の言葉を放ってしまった後悔と、躰に植えつけられていた充足感が満ちている感覚は同程度のものだった。
彼の放つものを直接享受することで満足できるようになったこの身は、今も求めていたのだ。
彼によって依存症になるまで作り替えられたというのに。
「それでも、逢いたかった」
焦がれた存在から再び求められる声。
「店に電話してくれたら会えるから」
「電話番号なら変わっていない」
「……ただでヤれる安い男じゃないんでな」
「確かに」
微睡みながら交わす言葉は、様々な贈り物をしてくれる男性客を相手にしているよりも更に厄介だった。
店側に名乗っていない以上、仮にもし外で個人的に会ったとしても知られるリスクは少ないだろう。だが、それでは別れの言葉を向けた意味がなくなる。
「なぁ、男買う趣味あるのか?」
「ないよ、これが初めてだ。もっとも、渡瀬さんから聞くまで店のことも知らなかった。ビデオも」
「ああそう」
政治家の親と、政界のコンサルティング。そういう繋がりか。全身が心地良く、彼の腕の中で今にも眠りについてしまいそうになる。
葵の内側から徐々に訴え始めていたあの喉の渇きも、今では精神的に満たされていた。
穏やかな落ち着いた声が葵に降り注ぎ、ここ数年間が夢であったかと思う。半分夢うつつな状態で、甘い糖度の波に溺れる。
「今、恋人は?」
その問いにドクン、と胸が高鳴った。
そっと指先が絡められる。
敏感になった体には些細な触れ合いさえも微弱な刺激となった。更に、今こうして触れることの出来る現実に泣きそうになる。
逢いたくなかった。
切ない気持ちばかりが押し寄せる。
「――いない」つい、嘘を吐いてしまった。
「じゃあ」
「じゃあ?」
「もう一度、付き合いたい」
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