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第19話
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すっかり後部座席に慣れてしまったが、自分の車は所有している。
簡単な食事を摂って、必要最低限の財布だとかスマートフォンを鞄に入れた。いつものサングラスをかける。そして車のキーを片手に地下駐車場へと足を運んだ。
一目見た時から気に入った白のジャガーが葵を迎えてくれた。
平日の五日間をオフにした、実に大層な休日。最初の一日目は睡眠で潰れたが、そのお陰で体調は万全だ。
何者にも侵害されない車内でエンジンと弱めのクーラーをかける。メーターのガソリン量が心許なかったため、まずハイオクを入れにガソリンスタンドへ行くことから始めた。
目的地だけはあらかじめ決めている。
壮絶な通勤時間を避けてもそれなりに混み合う道路は、そこへ向かうまでの道すがら、しだいに軽快さへ移り変わっていった。
こんなにもあるのかと驚く程の公園が、都内にはたくさんある。みどりの日は少し前に過ぎていたが、色鮮やかな季節に違いはない。
その自然で溢れる公園に着くと、近くの地下パーキングエリアに車を停めた。事前に日焼け止めクリームだけは肌にしっかりと塗っている。助手席に放っていたダークブラウンのストローハットを手に、ドアを開けた。
遠目からも分かる色彩溢れる自然へ足を踏み入れ、ゆっくりと園内を巡る。今が盛りと咲き誇る薔薇だとか淑やかに背を伸ばす菖蒲、流れのない穏やかな池に浮かぶ水蓮。それから、小さな渓谷が涼しい流水音を奏でている。あちらこちらに点在する東屋では、薄紫色の藤棚が優しい木陰を作っていた。
のんびりと歩くだけでもそれらの自然と、鮮やかな緑葉が落とす木漏れ日に癒される。
葵にとって、癒しの場所は森林公園だ。
平日のこの昼間、公園ですごす人も少なく、あまり人目を気にする必要もない。
轟々と響く滝を視界に捉えたところにある木陰のベンチに座り、サングラスを外した。指を組んだ両腕を、ぐ、と上へ伸ばす。そして一呼吸分止めて力を抜いた。
緑のグラデーションを織り成す木々の合間を見上げる。
この休日を取る前から二つの悩みが葵の中に沈み、わだかまっていた。
これで良かったのかと、これからどうするのか。あの日、桐宮に逢ったことで葵は確かに浮かれていた。
もう二度と会うことはないと自分の中で区切りをつけていた。だから余計に予想しないサプライズとなって、ホテルでの記憶は鮮明だ。彼の未来と、堕ちた自分とを天秤にかけて離れることを決めた過去がある。
恋人がいないと言った手前、次に紡がれる言葉は復縁を望むもの。当然分かりきったことだ。それに対して、はっきりとした返事を出せなかった。
それから、居心地の良いMILK archに勧誘してくれた守代のことを考える。
葵の体質を受け止めた上で、欲しいと乞えば与えてくれた。更に、普通の食事も摂るように再三言ってくれた思い出さえもある。もし彼がいなければ、人間らしさを保ってこれたかも不確かだ。
何だかゆらゆらと思考が定まらない。
どちらかを選ぶべきだと頭で考えても、決め手となる判断はなかなか浮かんでこない。
ぼんやりとすぎていく時間が、花と水と太陽の匂いを纏う風と共に流れていった。
冷蔵庫の中や備品のストックが切れかけていたことを思い出し、帰りにマンション近くのスーパーマーケットへ寄った。ここしばらくホテルや料亭での三ツ星料理ばかり口にする機会が増えていたので、舌が肥えすぎている。
羽織っていたカーディガンは量販店内の効きすぎた空調で体を冷やさないための防寒具になった。メニューは決めていないが、適当に数日分は使えそうな食材や日用品をつめ込んでいくと、籠の中はすぐに嵩張った。
「あー! 葵さん?」突如店内に響く声に、一瞬体が固まった。
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