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第23話

 目が覚めた時に真っ先にヨシの寝顔が視界に入る。またやってしまったのかと覚醒したばかりの眼を動かすと、きちんと寝間着を着て、男二人が眠るのにも十分な広さのベッドで着衣も乱さずに横になっているだけだった。頭が少し痛む。  カーテンから差し込む光は淡く煌めいているが、薄雲に透過されているところを見ると、昼前と言ったところだろうか。  寝不足気味に見えたヨシを起こさないように、ゆっくりとベッドから降りる。冷蔵庫を開くと、ビールの缶だけがきれいに姿を失っていた。葵は先程から続く、小さな頭痛の原因にようやく思い至り、清涼飲料水のペットボトルと頭痛薬を取り出して飲んだ。  店舗のホームページを確認すると、ヨシのシフトは午後三時から出勤となっている。  時間があるとは言っても、寝ぼけ眼ではいけないだろうと彼を叩き起こし、一晩泊めたことを決して他言しないように釘を刺した。それに対するヨシの返答はいつも通りだ。  表面的には支障はないし、葵だって連休に入る前の仕事は普通にこなすことが出来た。  だから、何もなかったように守代と過ごすことも可能かもしれないとさえ思っていたのだ。しかし、今まで散々抱かれ抱いたたくさんの男性へ対して「好きだ」と言えたことが不思議なほど、守代との関係に嘘を吐いて誤魔化すことはどうしてもしたくなかった。     ヨシを送り出した後の部屋は、ストックが充実していることを覗けば普段通りで、頭痛もだいぶマシになっていた。  弾力だけは強いソファに寝そべり、端末を操作するとメールが入っていた。  現在直属の契約を結んでいる唯一のビデオレーベルは、葵が電話では連絡を取ることが難しいと知っている。それゆえ、もし仕事の話がある時にはメールで内容を報せるようにと、事前に監督やディレクターへ伝えていた。  画面に触れると、やはり仕事の話だった。  売れ行きが好評だったため、前作の続編をシリーズ化にしたいという制作側の話と、受けるならばなるべく早めに連絡が欲しいとのことだ。その前作の内容が頭に浮かんだ。どんな続編になるのか興味がないわけではない。  次のメールを見ると桐宮からで『元気?』とだけ書かれていた。学生時代から必要なことだけを書くところがあった。酷い時には待ち合わせの時間と場所だけしか書かれておらず、葵自身もそんな文面を送りつけることが度々あった。  手慣れで『元気』とだけ記し、そのまま送ろうとしてやめた。  自分から断ち切ったくせに何年も電話帳から消せずにいた名前を探して、通話ボタンを押した。平日の昼間だから出ないかもしれないし、それならそれで構わない。  呼び出し音のコールが続く。  プツ、という接続音と共に聞こえたのは桐宮の声で、滅多に乱れることのない平素通りの声だった。そして少しも変わらない会話。 「相変わらずだな」  「なにが」 「電話かけてくるところ」 「……今忙しい?」 「電話で会話が出来るくらいになら手は空いてる」  「じゃあ、少しだけ話そうぜ」  人間関係だとか金回りの良さを考えても、現在桐宮がどんな仕事をしているのか、いくらでも想像することは出来た。いつどこで何をしているのかまでは推し量れない。しかし、電波を通して繋がっていることだけでも葵の気持ちは少しずつ落ち着いてきた。  二度、付き合おうと言われた。  穏やかなあの微笑を思い浮かべるだけでささくれていた感情が凪ぐ。  端末からはパソコンのキーボードを叩く音と、やや遠くの方で複数の話し声がしている。 「今日仕事休みなのか?」不意に穏やかな声が聞こえた。 「ホームページ見たら俺のスケジュール載ってるんだけど?」 「ああ、渡瀬さんがそんなこと言ってたような」 「人任せにすんなよ」 「んー、でも葵がいればいいし、現にこうして喋れるなら見なくても」 「なんだそれ。とにかく、あと二日間は丸々休み」  ごく普通の会話が成立していた。  この数年間連絡を全く取らずに距離を置いていたにも関わらず、更には、共に下手な出会いの挨拶を交わしたというのに。  久し振りに触れた彼の記憶は体に残っていて、耳から優しく伝わる桐宮の存在に今触れてほしくなる。そんなことは叶わないし言いたくもない。  まるで何事もなかったかのように、ふんわりとした雰囲気の笑い声を残した桐宮との通話を切る。   

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