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第29話
撮影現場では、順番通りに撮影することが滅多にない。監督にもよるが、先に日常シーンだけを撮ってからセックスシーンに入ることが定番スタイルだ。
ただのプレイ動画ならば一日の拘束で済むのだが、ストーリー性のものは諸々の演出を重ねるため、日数がかかる。
本日はPV用の撮影だった。どこか物語を匂わせる触れ合いのものを、その場で指示された通りに動き表情を作っていく。作品の導入部分ということで、より一層細かな注文が出された。
午後二時に待ち合わせたカラオケボックスは煙草の匂いが染みつき過ぎて、もはや何の臭いだかよく分からない。そんな曲の入っていない個室で、先に来ていたナツが飲み物に手をつけずに座っていた。
コマーシャルだけが淡々と、テンションを保って流れている。
ノックの後すぐに入って来たスタッフが冷たいおしぼりを葵に手渡し、頼んだ烏龍茶のジョッキを置いて行った。
「梁木くんから何か聞きました?」
「聞いたけど、説教するつもりはねェよ。俺も似たような経験はあるし」
「ふふ、共犯者みたい」
「涼にも他の人にも言わないから、何を抱えているのか教えてくれないか?」
無理をして微笑んでいるのが分かる。平静を装った声を出すナツが視線をずらしながら下を向いた。艶のあるきれいな髪がさらりと流れ、薄暗い照明の中で可憐な顔を隠してしまう。
そんな彼の頭を優しく撫でてやれば、ゆるりと顔が上がった。大きな瞳には今にも零れ落ちそうな涙がいっぱいに広がり、瞬きと共に一筋静かに頬を伝う。
小さく開いたナツの口からたどたどしく発された言葉に、葵の表情も変わった。
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