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第31話

 仕事があるから朝にはいないと言葉を残され、二人で潜り込んだベッドで次に目が覚めれば、やはり一人だった。レベルの高いホテルの一室で一人きり。  今月末まで借りている部屋だから好きな時に来ていいが、返事も今月中にと、眠る前に桐宮が言っていたのを思い出す。  聞き齧りの知識だが、確かベンチャーキャピタルは将来性やリターンが見込める未上場の会社に巨額の出資をする仕事だったはずだ。それでも、大学卒業後に入社したてでこの一室を月単位で借りる額があるとは思えなかった。おそらく、政治家の親という後ろ盾があるのだろう。それが至極妥当だ。 後処理はしてくれたらしい。あまり情事の名残りを残していない体を動かすと、鈍い怠さがが腰に残っていた。それから、ベッドサイドに置かれた紙幣数枚。  シャワーを浴びる。すっきりとした気分で窓ガラスの向こうを見ると午前十時の曇天が広がっていた。もしかするとそろそろ雨模様になるのかもしれない。  バターとメープルシロップだけがついたシンプルなパンケーキ。それから、コーヒーをルームサービスで頼んだ。充電の切れていた端末のコードを繋ぐ。  特に急ぎの連絡は入っていなかった。   どんよりと重たい雲が停滞していた。蛍光灯が照らす薄暗い廊下を肩からスクールバッグをかけた葵が歩く。数人の、同じ学生服姿の男子生徒が突き当たりの角を曲がり、葵の存在に気付いた。その生徒の中には三白眼の彼の姿もある。それに対し目を見開いた表情の葵が鞄を落とし一歩二歩と後退る。  逃げようと踵を返した際に少しだけ長いホワイティアッシュの髪がふわりとなびく。その一コマ分の場面がしっかりと切り取られた。  次の瞬間には葵の腕が複数人の内の一人である加藤に掴まれた。振り返る間もなくその腕の内に抱き締められる。 「黙っているんだから約束守ってよ、葵ちゃん」 「……ッ」  葵の耳元で告げる低い声と、周りを取り囲む者が伸ばした手は頬やネクタイに触れる。  カチンッと打ち鳴らされた音と、はいオッケーの声。  今にも雨が降り出しそうな薄暗さは、どうやら撮影のイメージにぴったりだったようだ。監督が嬉々として始めた撮影は、葵の髪がうまくなびいていないということで数度テイク数を重ねたこと以外は順調だった。  ディレクターが次の流れを口頭で説明している。その間も背後の加藤がくっついたままなので、いい加減に暑苦しかった。 「ほら、移動するぞ」 「葵さんって髪もだけど、首も良い匂いするんですねー」 「ほんっと変態だな」 「えー、いまさらー」加藤がけらけらと笑う。  その彼の腕を振りほどき、ネクタイを引っ張り次の場所まで移動する。後ろから締まる締まってると、間延びした口調も出せない焦る声がかかった。  次のシーンで使う体育館倉庫を模したセッティングはすぐ近くに作られていて、さしたる距離はない。暗過ぎるのか、レフ板が彩度を上げた状態で倉庫内を照らしていた。  今回のメインは葵と加藤だが、複数人の学生役もサブメインになっている。  先程のシーンも最初の設定では複数人が同時に囲むものだったが、しかしそれでは加藤の役が薄れるということで変更の指示が飛んだのだ。  妙な感じに歪んだネクタイを直してやると、なんだか嬉しそうな顔をしている。  カウントとキューが振られシーンが始まった。  少しの距離を、加藤が乱暴に見える素振りで葵の腕を引いて歩く。  その勢いのまま、扉が半分くらい開いている倉庫内へ投げ飛ばされる。おざなりな硬いマットレスの上に体勢を崩した葵が倒れた。それを見下ろしながらネクタイを緩める加藤が身動きの取れないように葵の上へ跨った。 「や、やだっ」 「先生とは寝たくせに」  葵の眼鏡やネクタイ、シャツのボタンを外していく加藤の手を途中から拒否るように掴む。動きを妨げない程度の力でしか掴んでいないため、さして動きがぶれることはない。  すぐに空気に触れる胸や腹が照明で際立たされていた。そこへ加藤の手が触れて皮膚の感触を辿っていく。焦れったいほど、じわじわと。片手で乳輪をなぞり、薄紅に色付く乳首が摘ままれると、嫌でも感じる葵が情欲の滲む顔をした。すると加藤が葵の頬を掴み、顔を近付ける。落ちかける口付けに横を向いて逃げる。唇が触れては逃げ、そして吐息から深く食された。 「は……ぁ、んんっ、ふ」  咥内の中では加藤の舌が絡みつき、ざらりとした表面を擦りつけてくるのでたまらない。段々と刺激される性感帯に薄っすらと葵の瞳に涙が浮かんだ。鼻から抜ける息に艶が含まれていく。一旦離れた舌を繋ぐ銀糸が垂れる前にもう一度口付けられる。  なぞる手は下降してゆき、ズボンのバックルを外しにかかる。それを拒む手の動きはあくまでも緩く、短く繰り返す口付けで発される小さな水音を奏でる音ばかりが煩い。  飾りだけの抵抗は始めから意味がなく、簡単に衣服を全て剥ぎ取られる。その動きは要領を得ていて、的確で少しの無駄もない。  片手だけで局部を隠す葵の裸体を近付いたカメラがじっとりと撮っていく。恥じらうように視線を落とす。擦り合わせる葵の膝を加藤が体で割り開いては、両手を纏めて頭上で固定した。  一度手コキで射精されたあとにスタッフが置くローションを手に後孔をほぐす場面はあとで何とでも編集するつもりなのだろう。ほとんどセックスシーンではカットが入れられずに済むから楽だった。  数度体位を変えて腹に精液を出され、はあはあと荒い息を吐く葵の蕩けた顔を近いカメラが捉えた後にカットが出され終了となった。スタッフが駆け寄って手渡すティッシュで腹の精液やアナル周りのぬめりを拭き取ってから、渡されたバスローブを羽織る。少し離れた所にいた加藤はまた近くに来ていた。  監督やディレクターが撮ったばかりの映像をパソコンでチェックをしている。その横を通る際に加藤と共に退出の挨拶をすると、監督に「葵くん」と呼び止められた。 「プロだからかな、毎回表情が良くなっているよ。次もよろしく」 「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」きゅっと口角を上げて微笑みを向けた。  撮影場から簡単なシャワールームへ向かう。どうやら加藤は先に向かったようだ。  シャワールームは個室で数個連なっており、外側から頭と足の部分が見えるものだった。  おそらく一つだけドアが閉まっている場所は加藤が使っているのだろう。葵はその反対側の個室に入り、ドアの鍵を閉めた。  体を動かした後の気怠さを、シャワーの強い水圧が細かな粒に変える。ついでに頭から湯を流して汗ばむ髪も洗った。  替えのバスローブで身を包んで髪を乾かしにドライヤーの数個設置してある洗面化粧台へ向かえば、端末をいじる加藤が座っていた。 「これ、良かったらどうぞ」 「サンキュ」   すぐ横の自販機で購入したばかりなのだろう。冷たいスポーツ飲料のペットボトルを渡されて礼を言う。キツそうに見える彼の三白眼は、笑うとその印象が和らいだ。元々口調が軽いので親しみ易さはあった。やはり演技の時と平素では、雰囲気がまるで異なる。 「今度、葵さん目当てに店の予約入れてもいいですかー?」 「俺に言うんじゃなくて、店に電話かけたほうが確実だぜ?」 「でも、いきなり知ってる奴の名前あったら怖くないですかー?」  蓋を開けて会話の合間に数口飲んだところで聞こえた言葉に、口付けていたボトルからおもむろに唇を離す。  梅天の重たい雲が窓越しに見えた。  カラオケボックスでナツの口から発された言葉と重なる部分に、葵の記憶が反応した。 “よく知っている人で、……前の彼氏なんです”  送りますよ。と申し出る加藤の好意は丁寧に断りを入れ、少し歩いた駅の周辺に停車するタクシーを拾った。どうせまた、中一日の休みが入っている。  ふと、先日の涼とジュンの心配を思い出した。そして念のために六乃瀬葵の名義で借りているもう一つの警備員常駐のマンションへと帰宅した。そこには眠るためのベッドだとか電気が通った家電製品くらいしか置いていない。生活をするためには明日の買い出しが必須だ。そのことに思い至ったのは、眠りにつく数秒前だった。  

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