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第33話
ひたすら怖いという感情ばかりを表に出していると、それが監督の意向通りだったようだ。サブメインの学生に襲い方の指示が飛ぶ以外はカメラが止まることはなかった。
閉塞的な教室の中、数個の机が雑に並んだ上に後ろから乱暴に押しつけられ、いやいやと首を振る葵の顎が掴まれる。その間に、別の手が元々緩く締められていたボタンを弾き飛ばすようにシャツを引き剥がした。胸や腹、腰から徐々に脱がされるズボンに隠された脚が複数の手によって触られていく。
それに身を捩り、僅かな抵抗を繰り返す。
前方から葵の顔を掴む学生を見上げると、先日のPV撮影でやたら謝ってきた青年で、困惑気味の表情をしていた。どうやら慣れていないようだ。モザイクがなされると言っても、それだとカットが入るぞと内心思い、先を促すように鼻先で彼の中心を軽く押した。
ずりずりと机の上に葵の上体が上がり、下肢も持ち上げられていく。
手際だけは早く寛げた眼前で押しつけられた性器が唇に触れ、無理矢理咥えさせようとする。動きは慣れていないが、画面映えする逸物だけで起用されたのだろう。凶暴に反る性器が一度口に入ってしまえば抜き差しが繰り返され、その合間に舌と咥内で出来るだけ奉仕した。
「んっ、ンんー……ッ」
数人分の指がアナルへ挿入る、圧迫感。
入り口ばかりを拡げる動きは、もっと奥を擦って欲しくて自然に腰が揺らめく。その場に生まれた熱気は多人数の温度の高い呼吸が一因だった。
ぱんぱんッ、と葵の尻たぶを打つ高い音が数度鳴り響く。
台本通りだが、強い痛みを残さずに巧いこと音だけを鳴らす技術に、ぞくぞくと気分が高められた。
両手に握らされる勃起した性器をゆるりと扱き、後孔にあてがわれる熱。それら全てにもうまともな思考力などなく、いつも通りの快楽に溺れた。後ろから散々突かれ、ひっくり返されもう一度。背後から葵を抱きかかえる生徒の性器をナカに挿入れられた状態で正面からも捩じ込まれてもう一度。
続けざまに抜き差しされて拡がったまま閉じきらないアナルだとか、腹や胸元、顔に出された精液まみれの姿で恍惚とした艶めく葵の表情をカメラが写し撮っていく。
それから高らかにカットの声がかかり、終了となった。
駆け寄って来たスタッフが、体液で汚れた葵の躰を拭き取っていく。バスローブも渡されたが、どうにもまだ身を起こせずに躰の上にかけた。それでも、なんとか涙やよだれ、汗で汚れた顔を近くに置いてあるタオルで拭う。
「大丈夫ですかー?」
「……ああ」
「向こうも確認作業でここにいるみたいだしまだ休んでていいみたいですよー」
裸体の上に同じバスローブを羽織った加藤が声をかけてきた。なんとか短い返答だけ声に出す葵の寝転がる机の端に腰かけた加藤が、葵の腰をゆるゆるとさすった。冗談を言い合い、たまに横暴な態度を向けてしまうことなど、さほど気にしていないのだろう。
オフと役柄のギャップが生じるのはいつものことだ。
いつの間にか意識が途切れてしまっていた。あまり時間は経っていないのだろうか。まだ現場も、加藤も傍に座っている。
身動いで机に手をつき、力なくゆっくりと体を起こしかける葵に気付いた加藤が、バスローブを着せた。さり気なく肌をなぞる加藤の手に、敏感なままの葵の体がびく、と跳ねた。
「シャワー、一緒に浴びましょうかー?」
「は、その手には、乗らねェよ」
「ざーんねん。じゃあ、先に失礼しまーす。お疲れさまでしたー」
「お疲れ」
現場に残っているスタッフに挨拶をして、葵もその場を後にした。
鈍い疼きが続いている身で運転など出来ないので、今日もタクシーを拾わなければならない。モデル時代に散々送り狼を体験してしまったため、現場の人間に送ってもらうことは嫌だったのだ。普段よりもゆっくりと、体に負担をかけないようにシャワーと着替えを済ませる。そして契約をしている者だけが所有するカードキーを翳し、警備員室とあちらこちらにある防犯カメラを通り、裏口から外に出た。
駅まではほんの数分の距離しかないが、なるべく人目のつかない場所を選んで歩いた。駅構内だけではなく、この辺りにもタクシーが停まっていていいようなものだが、いつも見当たらない。雑居ビルばかりが乱立するため、さして駅から離れていないというのに閑静な通りだ。
ただ早く帰って眠りたいとだけ考える。
店で出勤時間に予約を詰め込まれることはよくあるが、数人を一度に相手する輪姦だとか二輪挿しはさすがに負担が大きい。
緊張感だとか気迫からかけ離れていたのは確かだった。
今の葵は、完全に油断していた。
急に背後から口を覆われ、掴まれた腕に引き摺られる形でビルとビルの間に連れ込まれる。振りほどこうとする腕にたいした抵抗力をこめることもままならない。
薄汚いコンクリートの壁に遠慮なく押しつけられ、顔をしかめる。すぐに背後を振り返ると、先日涼から送ってもらった例の画像の人物だった。
ナツの、元カレだ。
葵と背丈はそう変わらない彼は、見た目こそごく普通の青年のように見えた。しかし、シャツから覗く引き締まった筋肉質な腕が体格のわりに頑健そうだ。
ただでさえ力が入らないというのにと、内心舌打ちをする。
「MILK archの葵って、あんただよな?」どうでもよさそうな音質の問いだった。
「……そうだけど」
「数日間あんたを尾行てたけど、警備が厳しいとこばっか行くんだな」
「俺に、何か用?」
短い返答をする葵の言葉に続けて喋る彼は、あまり人の話を聞くタイプには見えない。それでも、変に焦燥や激情を伴っていないことだけは救いだった。
葵のカットソーの上にかかる、洗い立ての髪が一房手に取られる感覚に、相手を半眼で見据える。さして意味を持って触れているわけではないようだ。その表情から特に目立つ感情は読み取れない。
「あんたの店にナツっているだろ?」
「いるな」隠す意味がないので、答える。
「今付き合っている奴がいるはずなんだが、どんな奴か知らないか?」
「さあ。個人的な話はあまりしないから知らねェよ」
聞いた話だとこの一連のやり取りはかわいい雰囲気の子をターゲットにしていたはずだ。かわいいと称されることはあれど、葵の見た目はきれいめに属する。他に考えられるならば、ナツのツーショット写真か。一番顔が割れているという涼の忠告が読み通りとなったのかもしれない。
掴まれたままの後ろ髪が遠慮なく引っ張られた。
「仲が良さそうだから、てっきりあんたかと思ってた」
「そう見えるか?」
「いや、違ったみたいだ」
言葉とは裏腹に苛ついた所作が目立つ。
身動きが取れない状態でも、最初から言葉のやり取りだけだと高を括っていた。
ぐい、と引き寄せられた腕に嫌悪ばかりが先行する。
振り払い、距離を取ろうと試みた結果、逆に押し倒されてしまう体力にも辟易する。気丈な態度を取ることは簡単だが、体力をギリギリまで削った仕事後では抵抗の一つすら意味をなさない。
助けを呼ぼうにも、この時刻に裏道を通る人が少ないことは知っている。ましてや、悠長に端末を操作するなど、さらに難しい。
「実物がこんなに色気があるとは思わなかった」
「そりゃあ、どうも」
伸ばされる手が頬に触れそうになるのを躱す。その手で何をしたのかと問い質したい気持ちを寸でのところで思い留まる。それでも到底不利な体勢であることに変わりはない。
「あいつも前より可愛くなってた」
「……」
「またよりを戻したいって言ったら店ごと拒否だ。なぁ、あんた店の№1なんだろ。何か知ってるはずだよな?」
よりを戻したいという、その言葉が、棘となって胸に突き刺さった。自分の行ったことを丸ごと否定されている気分になる。完全ではなくとも、振った相手と再び手を繋いでしまった自分は、見下ろしてくるナツの元カレを責める資格があるのだろうか。
小さな痛みと切なさと苦しさが混ざり合う。
月明かりやビルの明かりだけが照らす空間で、金属質な冷たい音がした。ギラリと不釣り合いに光る物に葵は目をみはる。
まぁ、いいさと呟き、彼が懐から取り出していたのは折り畳み式のナイフで、刃渡り十㎝はあるものだった。
「おい、罪を重ねない方がいいぜ」
「問い詰めて殴っても何も言わないあいつが悪いんだ。仲が良いあんたが傷付いたら絶対に俺のところに戻ってくる」
「ッ」
精神状態は時に、ある一点のゲージを通過してしまうと逆に冷静になるという精神論が浮かぶ。これではどんな言葉も無意味に近い。
なんとか相手の下から這い逃げようとするも、上手く体が動いてくれない。
顔に向かう刃が視界に入る。
ギラリと、凶暴的に月明かりが照らす鋭い金属。顔に向けるナイフを持った無表情。目的のためならば致し方ないという諦念めいた、感情すら喪失した表情。
暴力に依った手段が常習化している、その手。恐怖だけが葵の脳裏を支配する。
振り上げる刃と同じようにギラリと冷たい笑みが見える。
思考能力など働かず、ただ本能で腕が動いた。
「――ッ、ぐ」
顔を庇う腕に走る痛みに、歯を食いしばり耐えた。
ぼたぼたと冗談みたいに零れる血液が腕を伝う感覚。
一気に体温が冷える。
その瞬間、空気が高速で流動する音がしたかと思えば、残像を残し眼前のカレが視界から消えた。
葵を押さえつけていた圧迫感が急になくなり、慌てて身を起こす。コンクリートについた手が触れるのが水溜りなのか腕から流れる血液かの判断もつかない。
その場にいたのは、梁木涼だった。
殴られてもナイフを握る手を離さなかったナツの元カレの顔をしっかりと見据えている。
一秒、一呼吸分が空いた後、コンクリートを蹴り、カレが動いたと気付いたのはナイフの煌めきが反射した時だった。真っ直ぐに涼を目がけるそのカレの腕を涼ががしりと掴み、腹へ強い蹴りが入るまでの一連の流れが目の前で繰り広げられる。
それは、まばたきも、呼吸すらも忘れる流麗な流れだった。
折れ曲がる体とコンクリートにナイフが落ちる金属音。
崩れそうな体勢を無理矢理に保たせるように下から突き上げる涼の拳がカレの顎に入った。それでも沸点の振り切れている状態が続いているのか、カレは涼を捉えようと腕を振り回している。 だが、茫然と眺めているだけでも、そのスピードが素人と玄人並にかけ離れていた。
容赦なく叩き込み続ける音に、ようやく涼を止めなければと、止まっていた葵の思考が動き始める。ふらふらとした足取りで涼に近付く。もう、相手のカレは原形を崩しかけている。
「涼」
カレの吐血が、涼の白いシャツにまで飛び散っていた。そんなことなど構わずに、葵は涼の身体を制止の意味を込めて出来るだけ強く引っ張る。
「僕のせいだ、僕がもっと早く、動いていたら」
「涼、止めろ」
「よくも、よくもあの子を……ッ」
「梁木!」鋭い、よく通る声がした。
涼の腕を掴み、動きを止めさせたのは守代だった。
店舗のスタッフも数人来ており、現場に落ちている遺留物を含めカレを回収して店の車に乗せている。
「ッた」
急に守代によって掴み上げられた腕に、葵は顔をしかめた。
自分の怪我など見れないとなんとか我慢して放置していたが、どうやら未だに出血は止まっていないようだ。心臓より高く上げられた腕から流れる血液が伝い、気持ち悪い。
「梁木、何の為に駆けつけたんだお前は」
「……すみません」
「さっきの奴の処分はいつも通りこっちでしておく」
「……はい」
「こいつの手当を」
路地の端に停まっている店舗の車は守代が乗り込んだ後に走り出した。その近くにはミント色のラパンが停まっていた。数度見たことのある涼の車だ。
ずきずきとした痛みは続いているが、腕を上げたままにして軽く振っていてください、と言う言葉と共に半ば強制的に後部座席に乗せられた。
「本当に、すみません」座った直後に頭を下げられる。
「いや、来てくれただけで助かった」
「とりあえずうちで手当させてください」
そう言って駅を通り過ぎた先にある涼のマンションに着く頃には出血が止まっていた。
部屋に入っても驚かないでくださいという言葉を述べながら三階角部屋のドアが開けられる。
先に部屋へ入った涼に続いて葵が足を踏み入れ靴を脱ぐ。基本的に使った物はすぐに仕舞い込む性質なのか、涼が自分の靴をシューズボックスへ入れている。
「出血、止まりました?」
「ああ、たぶん止まってる」
「見た限り傷は浅いですが、しっかり水で洗い流して来てください」
玄関から廊下を少し歩くと洗面化粧台のスペースがある、一般的なマンションの間取りだ。
シャワーホース付きの洗面台で腕に水を少しずつかけていく。傷が浅いという言葉だけで多少の気休めにはなるが、それでも沁みる痛みはある。皮膚に付着したまま乾き始めていた赤色が水に混じって流れた。
いくら流しても、心に刺さった棘は抜けてくれない。
「あの」急に声がかかった。
一シャープ分高いはずの声が沈んでいる。
声の方へ視線を向き、葵は言葉をなくした。
昨日ちらりと見た頬も赤く腫れていたが、さらに酷く青紫色へと悪化してしまっているナツが呆然と立っている。声をかけた後に血の色が流れる洗面台と葵の腕に目線が止まっていた。見開かれたナツの眼にみるみるうちに涙が浮かんでいる。
「ぁ、あ……、っ」
驚かないでと言う涼の言葉など無意味だった。気の利いた言葉の一つも彼にかけることが出来ずに、現実のものか疑いたくなる色をした痣を眺めていることしか出来ない。彼の嗚咽が泣き声に変わり、流水の音と混じる。
顔を覗かせた涼がそんなナツの肩に触れては彼の持っていたタオルと着替えを葵に手渡した。目的を果たせていないが、ナツはそれらを渡しに来てくれたのだった。
葵の腕を見た涼がリビングの方を指し示した。後で来るようにという合図らしい。そしてナツを連れ立って先に行ってしまった。
葵は腕の水分を拭き取り、持って来てくれた着替えを見た。サイズからして、どうやら涼のもののようだ。汚れている自分の服を脱ぎ、特徴的なロゴが入った服に身を包んだ。
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