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最終話 壮途 /1

 兄が退院してから匠は週に一度、兄のMR2を運転して通院に付き添った。兄は今だに胸の痛みを訴えていて一人で通院させるのは不安であったし、これまで散々自分の通院に付き添わせたのだ、同行せずにはいられなかった。 『絶対に必要だから』と兄に言われて無理矢理運転免許を取らされたのだが、本当に使う時が来たことに、兄に再度感謝した。  診察後には二人で賢一の見舞いに行った。症状は安定していて、点滴もしばらくしていない。間もなく退院らしい。  賢一は毎回匠の就職活動の進捗を尋ねてきた。研修のあるような会社はもう求人していない。実務経験無しで入れる会社を手当たり次第に受けるしかないが、なかなかないと報告すると、賢一は仕方ないなと言って兄と一緒に笑った。二人とも急かすようなことはしなかった。  精神科の受診は一人で行った。自律神経が整ってきていることを褒められ食欲も出たので、藤花の残していった調味料を使って自分で料理を始めた。時折藤花の手伝いをした甲斐もあり、意外と上手く作ることができた。  二、三日に一度作るだけで精一杯だが、体調を崩すことがなくなった。  二月二日。初めて会社の面接を受けた。明るいベージュに染めていた髪を、前日に暗いブラウンに染め直した。成人式のために買って結局使わなかったスーツに袖を通した。  今まで何もしてこなかったので売り込むものがなかったが、とりあえず誠実に対応してきた。千坂と会話するようになったことで、苦手だった会話が以前より苦にならなかったような気がする。  その足で、今日退院した賢一のアパートに向かった。兄の病院へ行く際に使っていた鉄道の路線で、病院より数駅先の駅前だった。  匠の住むアパートよりやや大きく、新しいアパートだった。チャイムを鳴らす。ドアを半分押し開けた賢一は、久しぶりに私服を着ていた。そのまま、しばらく無言だった。匠から、先に口を開く。 「退院おめでとう」 「出張ホストなんて頼んでないんですけど!」  怒り気味でおかしなことを言う。そういえば、スーツを着ていた。髪を染め直したことも言っていない。 「早く上がれ」  急かされて部屋に上がる。入ってすぐのキッチンは、匠のアパートの三倍はありそうな広さだった。部屋も一つではないようだ。使っているのかいないのか、意外と片付いたキッチンだった。  コートを脱ぎながら賢一に続いて洋室のドアをくぐると、腕を引かれて早速(さっそく)ベッドに押し倒された。 「ふっざけんなよ。ムカつく。髪黒いの、すげーそそる」  賢一は馬乗りになって匠のネクタイを外し始める。まだ冗談なのだろうが、匠は一応両手で賢一を押しのけて、たしなめた。 「今日は何もしないからな、病み上がりなんだから」

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