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おばけやしき編 9

 ―――――… 「大丈夫だって華鈴姉さん。冷やしておけば、このくらいすぐに……」 「何言ってるの! 唇も切れちゃってるじゃない」 「大丈夫だって。ほんの少しだから」 「少しじゃないでしょ! 殴られたのよ!」 「大げさだって。すぐに治」 「ママ! ちゃんとお薬ぬらないとだめだよっ!」 「露草……」 「白」 「う……悠壱さん……」 「ほら。こっち向きなさい!」 「らじゃー……」  ほっぺを真っ赤にさせてるママは、三人からの説得で、かりんちゃんからちゃんとした手当てを受けることになったんだ。  あ、かりんちゃんがどうして僕のお家にいるのかっていうとね。ママがほっぺをぶたれたって連絡を受けてから、いてもたってもいられなくなっちゃったんだって。だから、つばきくんとあやめくんをかりんちゃんの「だんな」さんにあずけて、ここまで駆けつけて来てくれたの。 「はい。これでいいわ」 「ありがとー、華鈴姉さん」  微笑むママのほっぺには真っ白の冷却シートが貼られた。それを見ると、少しだけホッとして、少しだけ胸が痛むの。  ママ……。 「大丈夫だよ、露草。もう痛くないから」  僕の視線に気づいたママは、僕を心配させないように笑ったんだ。ぜったい、痛いはずなのに、僕のことを思って笑ってくれるんだ。  僕があの時、わがままなんて言わなければこんなことにはならなかったのに……。  しゅん、と項垂れていると。 「月草。こちらに来なさい」  パパが僕を呼んだ。 「……っ……」 「……」  僕は動けなかった。どうしてだかわからないけど、僕はパパの傍に行けなかった。  実は、帰ってきてからずっと、僕はママの傍にいたんだ。パパがママの傍によると、僕は反射的にママの後ろに隠れてしまっていた。  なんでだろう。あの「ちかちゅうしゃじょう」で現れた鬼は、もういないのに。怖くないのに。  ここにいるのはパパなのに。 「露草。パパが怖い?」  ママが僕に優しく尋ねた。  なんで? パパだもん。怖くないもん。怖く…… 「………………こ、こわい……」  僕は震えながらそう言った。  だって。  あの時の怖い鬼は、パパだったから。  怖い怖いパパは、とてもとても怒っていたから。  すごく冷たい目で、怖い目で、お兄ちゃんたちを睨んでいたから。  あんなに怖いパパの顔、初め て見たから。  だから、僕……。 「パパが怖い……。でも……」  怖いけど、知ってるから。  パパが、なんで怒っていたのか、怖くなったのか、知っているから。  わかっちゃったから。 「パパは……ママがぶたれたから怒ったんだ」 「……」  パパは黙っていた。  ママも黙っていた。 「パパは……ママが、傷つけられたから怒ったんだ」  パパはママが大事なんだもん。  ママに好きって言ったところなんて、見たことないけど。でも、パパはママが世界で一番大事なんだもん。  そんなママが、僕のせいで傷つけられたんだ。  だから。  パパは僕に怒っているんだ。それで、もしかしたら。  パパは、僕のことを……。 「ママが、じゃないわ。ママも、よ」 「え?」  かりんちゃんだった。  僕はかりんちゃんを見ると、その傍にいるママが僕に向かって微笑んでいることに気がついた。 「露草の言うとおり、悠壱さんは俺が打たれたから怒ったってこともあるかもしれないよ。でもね、大事な露草を泣かせたから、悠壱さんはすごく怒ったんだよ」  ママははっきりとそう言った。 「パパ……?」  僕はパパを見た。パパはいつもどおりのパパで、そのお顔には何も浮かべていなかった。  パパが、僕のために怒った?  嘘だよ。だって、パパは僕に怒っているはずだもん。大事なママを、傷つけたんだもん。怒ってるんだもん。  だから、パパが僕を許すはずが…… 「……っ?」  そのとき、ポン、と僕の頭に何かがのっかった。  見上げてみれば、僕の頭の上には大きくて逞しい手の平があって。  目の前には、パパがいたんだ。  僕はわなわなと震えて、唇を動かした。 「ごめん……なさい……」  ママの言うこと、聞かなくてごめんなさい。  ママを危ない目に遭わせてごめんなさい。  ママを傷つけてごめんなさい。  それから。  助けに来てくれて、ありがとう。 「うえっ、うえ~ん!」  僕はパパに泣きついた。  パパの首に腕を回して、パパにぎゅって抱きついたんだ。そして、僕はごめんなさいと唱えるようにして謝った。 「こわかったっ……こわっ……うえ~ん!」  怖かった。お兄ちゃんたちが怖かった。すごくすごく怖かった。  でも、ママが傷つけられたことの方が悲しくって、怖くって。あれ以上のことがママにあったらって思うと、すごくすごく怖くって。  それで、パパが助けに来てくれたとき、怖かったけど、嬉しかったんだ。  だけど、パパが僕に怒ってるんだって思ったら、また怖くなっちゃったんだ。  パパが、パパが僕のことを、嫌いになっちゃったんじゃないかって思ったら。  こわくって。  パパが僕に向かって、嫌いだって言うんじゃないかって思ったら、僕はこわくて、パパに近付けなくなっちゃって。 「パパッ、パパ……ひっく……きらっ、きらわないで……」  涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃになった顔だけど、必死だった僕はハンカチやティッシュで拭くこともなく、ただただパパにしがみついて訴えた。 「パパ!」  抱きついていた腕に、ぎゅって力を込めると、突然僕の背中はあったかくなった。  びっくりした僕は、パパのお顔を覗きこむ。  すると、パパは少しだけ怖い顔で、僕を見つめていた。 「今度から、車の走行路に飛び出したりしてはいけませんよ」  ひっくひっくと、「おえつ」を漏らしながら泣きやまない僕を、パパは叱った。そして抱きしめて、優しく背中を擦ってくれた。 「それから、あのような場面では、すぐに逃げるか、他の大人を呼びなさい。いいですね?」  僕を叱っているのに、パパの手は優しいまま。それから、口調も怒っているのに、パパの言葉はとても優しかった。  そしてパパは背中を擦っている手を止めて、再び僕の頭に優しく手を乗せた。 「しかし、あのような連中相手によく立ち向かいましたね」 「パパ……」 「白を守ってくれたことに、感謝します」  そのとき。  僕は初めて、パパの微笑む顔を見たんだ。  これが、僕の初めての「ふんとうき」。  それから、僕はだんだんと大きくなっていて、成長していった。  考え方や、言葉遣い。日々の生活の仕方は大人へと近づいて行ったんだ。  僕の記憶も次から次へと新しいものへ変わっていった。それなのに、この思い出だけは「凄惨な出来事」として、今日まで忘れられなかったんだ。内容は、あんまり覚えていないんだけどね。  そして、今の俺がある。  父さんほどじゃないけど、身体はでかくなったし、母さんを暴漢から守れるくらいにはなったよ。ま、いつの間にか母さんに対して、素直になれなくなっちまったけどな。  でも、もう母さんをあんな危険な目には遭わせない。俺はもう、泣いてるばっかのガキじゃないんだから、な。    end?→

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