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お熱編 ~月草side~

 父さんが風邪を引いた。 「ぜ~ったい滅ぶね! これは地球が滅ぶよ! 予兆だよ、予兆! その前触れだよ! しろママ、すぐに火星へ逃げよう! 僕と二人で生きて行こうね!」  そう真っ先に物騒なことを言ったのは学ランから私服へと着替えている弟の椿木。病人相手にこんなひでえことを言うのもどうかと思うが、それほど珍しいことが起きた。  完全無欠と言っていいほど完璧超人の悠壱父さんが風邪を引いたんだ。でも椿木がそう言うのも無理はない。俺が覚えている限りでは、母さんが風邪を引くことはあっても、父さんが風邪を引くことはなかったからだ。  風邪、とはっきりと断言できるのは、父さんの友達のお医者さん――都筑さんが診察をしてくれたからで。今は薬を飲んでベッドで横になっている。  心配というよりは物珍しさに釣られて見舞いの果物を持ってきた華鈴さんが、父さんに付きっきりになっている母さんに代わり俺達の食事を作ってくれることになり、キッチンに立っているんだけれど……自前のフリフリエプロンがエロくて目のやり場に困る。当の華鈴さんは気にしていないみたいだけれど。菖蒲、よく平気だよな。ウチの母さんが割烹着切るのと一緒なのか? あれか。慣れか。  テキパキと手元を動かしながら、華鈴さんが笑って言った。 「でも珍しいわよね~。あの人が体調崩すなんて私、見たことなかったもの。初めてじゃない~? ねえ、白?」  声を掛けられた白ママこと母さんは氷嚢にタオルを巻きながらのんびりとした口調で呟くように言った。 「あ~うん。そうだなぁ……皆の前じゃ見せたことないかもな~」 「え? あんの!?」  父さんが弱ったことあるって!? 十五年を炬家で生きてきたけれど、見たことねえぞ!? 「あるぞ~。パパだって人間だもの~。それに弱った時の悠壱さんなんて、まんじゅうと同じ様にごろごろと唸って、俺の膝の上でこう可愛くにゃんにゃんと鳴い……」 「今月の食費を一万カットしましょうか。月草、白の財布から抜き取り、お前達の小遣いに回しなさい」 「嘘です。ごめんなさい。許して下さい」  母さんがふざけてほざき出したところで、シャツにスラックス姿の父さんが口元を抑えながら手厳しいことを言った。主に母さんにとっての、だ。母さんは即座に謝っていたけれど、父さんは素早く母さんの尻ポケットから財布を取り出して、本当に俺に一万円をくれた。あの、母さんが、マジ泣きしそうな顔で俺を見てくるんですが……。  いやいやそれよりも! 「大丈夫ですか? 父さん」 「休めばじきに回復するでしょう。かといって、お前達に移らないとも限りません。今日一日、部屋にいることにします」  と、どうやら水を取りに来たらしい。冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出している。  表情はいつも通りだけれど、本当に珍しいことに顔が赤くなっている。前髪も汗で濡れているし、熱はまだ下がりきっていないみたいだ。  自業自得の母さんは、「ふざけるんじゃなかった……」と小さく反省を口にしてから、父さんに向かって質問する。 「飯、食えそう? 粥とかの方が良い?」 「結構です。お前達だけで済ませなさい」  飯を断るってことは、相当辛いんだろう。ハスキーな声も、ガラガラと痛々しく聞こえる。それでも母さんはその返答を鵜呑みにすることなく…… 「はいはい。後でおじや作って持ってくよ。とりあえず、その持ってる水と、さっき買ったこのスポーツドリンク、それから氷嚢を持ってって。水分補給は小まめにしてね」  と、慣れた様子でスポーツドリンクを手渡した。おじやを食べられるんなら、ちょっと安心だな。うう……弱ってる父さん相手にしたことないから、対応に困る。俺も何かできることがあればいいけれど……。  そんな俺の悩みなど露知らずなのか。コクリと頷いた父さんを前に、母さんが両手を大きく広げて立ちはだかった。  なに、母さん。ええ~と……それってまさか。もしや…… 「敢えて尋ねましょうか。それは何ですか?」 「何って……わかるだろ。検温。ほら、どーんと来い来い」  で、出たー! 母さん独自の検温方法! ハグ検温!  子供の頃からずっと、俺の家では検温の際に体温計を使わず、こうやって母さんが両手を広げて俺や椿木を抱きしめて検温していた。それが普通だと思っていただけに、中学生に上がる頃、俺はダチらにどん引きされたことがある。今では体温計を使って測定するけれどな。さすがに。たまにやられるけれど。たまに。  でも、不思議と母さんの測定はかなり正確なもので。どうわかんのか知らねえけど、相手をハグするだけで体温を当ててしまうんだ。 「ほら、ん。来いって、悠壱さん。ほ~ら」 「体温計で検温します」 「……」  ですよねー!! 父さんがそれで検温するわけないですよね! ってか、俺らがいる前でやるわけないっすよねー!! うん、知ってた!  父さんはばっさりと切って母さんをスルーすると、スタスタと寝室へと戻っていった。一人、両手を大きく広げたままポツンと立ち尽くす母さんに、「僕が抱きつく~!!」と言って飛び込んだ椿木。そんな椿木をキャッチしつつ、母さんは父さんが入っていった寝室をしょんぼりした顔で見つめていた。 「か、母さん……」 「検温、得意なのに……」 「子供たちの前じゃやらないでしょうよ」  そりゃそうだよ。  end?→

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