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一 ①

 どこまでも拡がり、吸い込まれそうなブルーに浮かぶ入道雲。陽を反射してきらきらと光る葉から聞こえる、ジワジワ、ジワジワ。  蝉の声を聞くと、暑さは一層増すようだ。 窓を開け放しても暑気は払えず、申し訳程度に置かれた扇風機は熱気をかき混ぜるだけでおまけに答案用紙を飛ばしてしまう。その度教師は気だるそうに用紙を拾い上げる。クーラーが欲しいと呟いた声にこくりと頷いて、答案を埋める作業に戻る。  ああ、皆暑さと思考で頭を沸騰させている。  答案を埋め終えた彼は、背中を丸めてシャーペンで机を叩く面々を眺めてくすりと笑う。汗で額に少ない前髪が張り付いた教師と目が合う。教師は苦笑を返し、口だけで「暑いな」と呟く。  ジワジワ、コツコツ、カリカリ。  やる事が無くなり、ぼんやり遠くの空を見ている彼に、眠気がそろりと近付いてくる。うっかり眠って答案を涎と汗で汚すわけにはいかない。彼は手を挙げ教師を呼び、答案を渡すとすぐに浅い眠りに落ちた。 「だあっ! 燃え尽きた! 真っ白にな!」 「いて」 「おう響、起きたか! 帰ろうぜ!」  いつの間にテストが終わったのか、前の席の生徒が手を振り上げ大きく背をそらす。その手が彼──大河響(おおかわひびき)の頭に直撃し、響は現実に引き戻された。  何か夢を見ていたが、現実に戻るとそれはすぐにぼやけて消えた。 「こら松山! ホームルーム飛ばして帰る気か!」  体を捻って教師に背を向け、響の頭をポンポン叩く松山涼(まつやまりょう)が教師に怒鳴られ唇を尖らせる。  涼は馬鹿だ。  声は大きいし、思考はすぐに口から漏れる。いつも落ち着きがなく、教師に叱られてすぐにしゅんと項垂れる背中がまるで子供のよう。 「あに笑ってんだよ響!」 「別に。大人しくしてないとまた怒鳴られるぞ」  くすくす、圧し殺した笑いが離れた席から聞こえる。  ホームルームが終わり帰ろうと言うのに、まだくすくす笑うその人が響と涼の元を訪れる。 「相変わらず馬鹿だねぇ涼は」 「馬鹿女代表の(はな)に言われたくねぇな!」  顔を合わせればこうして喧嘩ばかりしているこの二人は幼馴染みらしい。家も近所で幼稚園の頃からずっとクラスが一緒なんだそうな。  幼馴染みなんて、本当にあるんだなぁ。  中学に上がる頃にこの地に越してきた響に、幼馴染みなんてものはない。幼い頃は幼稚園どころか小学校にだって行っていなかった。まわりは大人ばかりで、年頃の友人さえも。それを嘆いた事もなかったし、響にとってそれは当たり前の事だった。 「そんな事言っちゃうんだー折角カラオケにでも行こうかなーって(ひじり)話としてたのになー」 「え。いやぁ誰が華様を馬鹿女だなんて。是非ご一緒させて下さい。お供に響をつけましょう!」 「ちょっと、オレ行くなんて一言も」  腕を組んで上から鼻を鳴らして涼を見下ろす海岡華(うみおかはな)にゴマをする涼はさらりと響を巻き込む。  それまで言い合う二人を静かに見ていた響は、突然自分を同じ土俵に上げられ顔をしかめる。 「いーじゃんどうせ暇なんだろ? それにほら、お前が一緒だと空閑(くが)ちゃんも喜ぶし」 「空閑が喜んでオレに何か得があるのかよ」 「うーん……」  涼は華の友人、空閑聖(くがひじり)に惚れているらしい。アピールする勇気のない涼は、ちょくちょく幼馴染みの華と、親友の響を巻き込む。事に響は「眉目秀麗」らしく、大概のイベントには強制参加なのだ。 華は涼の扱いには慣れているようで、涼はいつも彼女の掌で遊ばれている。 「俺が喜ぶ! なんちゃって!」 「……」  なんちゃってとか、素で言っちゃうんだ。  響は前屈みで肩を震わせ机を何度も掌で打つ。背中を伸ばして深呼吸。  涼と華は彼の妙な行動に顔を見合わせことりと首を傾げる。黙って見守っていると響は突然立ち上がり、鞄を肩に掛けて無言で教室のドアに向かう。 「響~?」  背中に受ける悲痛な声。響は振り向いて少し笑う。 「行くんだろカラオケ。海岡、空閑は?」  涼はぱっと満面の笑みでおおはしゃぎ。まだどこのカラオケに行くとも聞いていないのに、先に行って部屋を確保するんだと、教室を飛び出して行ってしまった。 「ふ……おっかしーの」 「ひょっとして大河、さっきの笑ってたの?」  聖にメールを打っていた華が、微笑を漏らす響を見上げる。 「だってあいつ、馬鹿だろ? ほんと、飽きないよなぁ……」

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