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一 ③

 店の明かりを抜け夜の闇に一歩踏み入れば、頭上は満天。うだるような昼の暑さと違い空気は澄んで涼しく、そよぐ風が心地よい。 土地柄標高が高く、瞬く星がとても綺麗だ。  この地は田舎。少し街まで下りれば娯楽はあるが、基本的に人口は少ないし教育も高校が限界。都会にあるような大きなショッピングモールも、この地に住む人間のうちほとんどが見た事さえない。  だが響はこの地が好きだ。流行りものの買い物だって今はインターネットで簡単に届けてくれる。まぁ、そもそも響は流行りのファッションや音楽に興味が無い。大学へも行く気は無い。  そんなものより、この美しい自然が好きだ。排気ガスにまみれていない澄んだ空気が好きだ。添加物を使っていない、地元の農産物が好きだ。  と言うより、響はこんな田舎でないと生きていけない。つまり、自分が生きていられる土地が、好きなのだ。  越してきた当時は、こんな山深い田舎にわざわざやってくるなど、親が飛ばされたに違いないと随分噂された。  両親は、都会では生きていけない響のために永い時間を掛けて築き上げた生活を棄て、あちこち巡って響の選んだこの澄んだ地にすみかを変えた。 「ほんと、頭良いのに勿体ないよな、学年首席」  いつの間に追い付いたのか、ぼんやり星空を見上げる響の隣で、涼が呟いた。 「涼。皆で飯行くんじゃなかったのか?」 「お前が来ないなら空閑ちゃんは帰るんだとよ」 「ふぅん。じゃあうちで食べていくか? 野菜しかないけど」 「育ち盛りにとっちゃ拷問だよなー」 「しょうがないだろ、肉も魚も食べられないんだから」 「難儀な奴」  街灯の無い道。いくら星明かりで周囲が明るいと言っても歩道の無い山道は危険で、二人は必需品の懐中電灯で道を照らし歩く。 「そういや何、勿体ないって」 「ああ。響すげー頭いいじゃん。草しか食ってねぇくせにスポーツも万能だし。そんな奴がこんな田舎に埋もれてんのがさ、勿体ないって」 「草言うなよ。ま、都会じゃ生きてけないし、オレ自身好きでここに居るんだから、いいんだよ」 「お前ってほんと……なんつーか、欲が無いよなぁ」 「涼は欲にまみれた俗物だけどな」 「違いない!」  二人の笑い声が山に響きこだまする。  涼、お前の声は良く通るなぁ。 「肉が食いたい! 肉ー!」 「野菜であれだけ米食っといて何を」  大河家で夕飯をご馳走になった涼は、響の自室の万年床に仰向けに転がり、手足をばたばたと振り回しながら一階に居る響の両親に聞こえない程度の声で文句をたれている。  大河家の食事は主に野菜。自宅の畑で採れた季節の野菜に、地産地消している土地の野菜。肉や魚は一切ない。味付けの調味料の種類も少なく、使う量もごく僅か。必然薄味となるが、その野菜料理をおかずに涼は白米を五杯も平らげた。 「あんな飯ばっか食ってりゃそりゃ太りもしないよなー」  涼は響の母親を頭に浮かべる。 響の母はその歳に似合わずスタイルが良く、肌も綺麗で健康的。食生活と畑仕事が良いのだろう。今や土地の人間で響の母を知らない者はないくらい、田舎には似合わない美人だ。 ついでに言えば父も若々しい。 響が幼い頃、過労で一度倒れてしまった程当時はやつれていたが、この地に越してきてからはぐんぐん元気になった。  涼は自分の両親を浮かべ、思わず溜め息が漏れた。  若い時は痩せていた、が口癖のふっくらした母、脂っこい料理が好物で、妊婦のように張った腹を抱えてハンカチと薬が手放せない父。 「そんなの、人と比べるものでもないだろ。オレは好きだよ、涼の両親。お前と同じで面白い」 「俺はまだ太ってねーぞ!」 「そうか、涼も将来ああなるのか」  涼が体を起こして飛び掛かって来たが、それをひらりとかわし部屋の角にあるタンスに向かう。畳に突っ伏した涼が歯軋りして響を睨んでいるが、無視して抽斗を漁る。 「泊まって行くだろ? ほら、着替え。風呂お先にどうぞ」 「おう!サンキュ!」  涼はころりと笑い、着替えを受け取り早速風呂に入るぞと、階段を転がるように掛け降りて行った。  もう笑ってら。  涼が戻ってくるのを待つ間に宿題でも済ませてしまおうと、響はノートを広げた。  夜の虫の声、スタンドの蛍光灯の音、近所の家の子供の声。  田舎は音が少ない。けれどその分、自然の音楽が楽しめる。響は問題を解く手を止め、虫の声に耳を傾ける。何だかまたうとうとして来て。  涼の布団も敷いていないのに、ああ、風呂にも入らなくちゃ、今日も暑くて、汗を沢山かいたから。  響は知らぬまに、またこっくり、夢に意識をとられていった。

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