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二 ③
そのまさかだった。
放課後無理矢理付き合わされて響は学校近くのファミリーレストランに来ていた。レストランにはお冷やの水道水しかないため、涼がわざわざ事前にミネラルウォーターを響のために用意していた。
「へぇ~華ちゃんから聞いたけど、大河君てホントにミネラルウォーターしか飲めないんだぁ」
華をジロリと睨み付けると、華は悪戯が見つかった子供のように舌を出して笑う。
まぁ死にかけた云々は話していないようだからこの際良しとしよう。
響は聖になんとなく相槌を打ちながら遠くの景色を見ていたが、よくよく聞くと話は三人で進行していて、正直この席に響が必要だったかどうか疑問に感じ始めたところだ。
「日程どうする? お盆前に行かなくちゃクラゲが出ちゃうよ」
華がコーラのストローを噛みながら言うと、涼が鼻からカルピスを出す勢いで食い付いた。
「え! あれって都市伝説じゃなかったんか!?」
「やっぱり馬鹿だね。このあたりじゃお盆明けにクラゲが大発生して、近頃じゃ毒持ってるやつも出るからって八月末は閉鎖する海水浴場もあるくらいだよ」
「そうそう、去年は死んじゃった人も居たらしいよ~。海って怖いねぇ大河君」
だったら行かなきゃ良いじゃないか……
感情の籠らない鼻に掛かった声で怖いと言ってきたのは聖。
聖にとって海に入れるかどうかが重要なのではなく、海──ビーチに行けるかどうかが問題なようだ。
店に入ってからドリンクバーだけで二時間も居たせいか、女性陣は度々トイレに立った。何度目か、二人揃って手洗いに立った時、響は隣から視線を感じて溜め息をついた。
「涼、この会合オレ必要だった? そもそもオレ行くなんて一言も言ってないし」
涼はポリポリ頭を掻いて、氷が溶けて薄くなったカルピスを啜る。
「いやぁ……わりかったな、無理矢理。正直空閑ちゃんと海なんて俺一人じゃ耐えられそうになくてよ」
聞けば、そもそも海水浴の話を持ち出したのは涼ではなく華らしい。華曰く、女二人で海なんて「いかにも」だから涼にも来てほしい。との事。
「響が居れば良い空気抜きになるかな! なんてさ!」
なんて響はまた涼の頭を叩きそうになったが、続いて照れ臭そうに言われた言葉に手刀を引っ込める事になる。
「……それにその、ほら、お前と海とか行った事ないじゃん。この機会に、なんてさ」
涼にそう言われては響は断る事が出来ない。つくづく涼に甘いと自分でも思う。
それにしても女性はトイレが長い。持て余した響は何の気なしにメニューを開いた。
ファミリーレストランってのは色々な料理があるもんなんだな。しかも値段も手頃だし。
これまで外食に縁がなかった響は興味津々でメニューを眺める。その中でちょっと目を惹くコーナーがあった。
『女性に嬉しい! オーガニック特集』
ドリンクバーから並々注いだカルピスを持って戻ってきた涼に、メニューを差し出す。
「これ食べてみようかな」
指し示したのは同コーナーにあるオーガニックサラダ。何でもオーガニック野菜のみを使ったサラダだそう。安価のファミリーレストランで本当のオーガニックを使っているのかどうか確信はないが、少量なら問題ないだろう。
「何々、オーガニックサラダ? オーガニックって何さ」
「有機栽培って言えばわかるかな」
「……ふーん。で、食えんの?」
こいつ、分かってないな。
「多分ね。食べた事はないし無農薬じゃないけど、普通の野菜食べるよりはましだろ」
本当に大丈夫なのかと涼は随分心配したが、正直、少し無理しても、響はこういう場所で友人達と食事を楽しんでみたかった。
「え~ホント? 私めっちゃお腹空いてたの~!」
やっと戻ってきた女性陣に食事の提案をすると、ダイエット中だとのたまっていた華はダブルハンバーグプレートを、空腹だと腹をさすった聖はチキンのサラダを注文した。華が注文した後また余計な事を言いかけた涼がメニュー表の角で叩かれていた。ちなみに涼はしょうが焼き定食を注文した。
海の話はどこへ行ったのか、食事が運ばれてきた頃には学校の話や家の話で盛り上がっていた。
騒がしい店内、周りには笑い声、楽しそうな顔。
友達とこうして食事するのって楽しいんだな。
勿論家族での食事が楽しくないわけじゃない。友人との食事だって、昼に弁当がある。けれど、家でも学校でもない場所で好きなものを頼んで好きなだけ食べてお喋りして。
周りから自分達はどんな風に見えているだろうか。青春しているように見えるのだろうか。何だかそう考えると笑みが零れる響だった。
時間も忘れて食事を楽しんだ響だったが、じわじわと自分の体に異変が訪れてきているのを感じていた。
「ちょっと、ごめん」
サラダを平らげてもう随分経ち、大丈夫だったとこっそり胸を撫で下ろした時だった。
響は吐き気を催し一人席を立つ。
「大河君何か顔色悪かったね? 大丈夫かなぁ、私ちょっと様子見て来る」
そう言っていそいそと腰を上げた聖の肩にぽんと手が置かれる。顔を上げると、既に立ち上がった涼から席に戻されてしまった。
「俺が行ってくるから、二人はお喋りしててよ」
「え、いーよ私行くし」
「いいから。響トイレ行ったんだろ? 空閑ちゃん男子トイレ入れんの?」
聖はむっと口を「へ」の字に結んで座り直した。この隙に株をあげようと思ったのだろう随分ご立腹だ。
「華、ハンバーグちょうだい」
涼が急いでトイレに向かったのを確認すると、聖は言って返事も聞かず華のハンバーグにフォークを突き刺した。
「かわいこぶってサラダしか注文しないから」
「だって折角大河君とご飯なんだから女の子アピールしなきゃじゃん。なのに何! 大河君オーガニックサラダって! 何女子っぽいもの食べてんだ!」
聖はハンバーグを一枚あっと言う間に平らげ、更に華のコーラを一息に飲み干し乱暴にグラスを置く。
相変わらずの豹変ぶりに華は呆れて苦笑する。
「あたしゃいつあんたの化けの皮が剥がれるか楽しみで仕方ないよ」
「華こそもーちょっと女の子らしくしたら? そんなだから彼氏出来ないんだよ」
「あたしはいいの。そうゆうの性に合わないし」
沢山の人に好かれる事が目的じゃない。ただ一人だけ。それも、取って付けた外面を好きになって欲しいわけじゃない、ありのままを好きになってもらわないと何の意味もない。
「……それにしても遅いね、大丈夫なのかな」
響は無農薬しか食べられないと言っていた。ドレッシング等は使っていなかったがオーガニックは無農薬ではないし、ひょっとするとそれ以外の野菜がサラダに使われていたのかも知れない。
聖は呑気にデザートを何にするか悩んでいるが、華は響の幼い頃の話を聞いていたから気が気じゃなかった。涼一人に任せておいて大丈夫だろうか?
涼が響の元に駆けつけると、響は派手に吐いていた。慌てて背中をさすってやるも響は吐き続ける。
サラダしか食べていなかったから吐くものはもう胃に残っておらず、それでも胃液がなくなってしまうんじゃないかという勢いで響は液体だけ吐き続けた。
ようやく吐き終え床に踞った響に涼は店員に無理を言って買ってきてもらったミネラルウォーターを差し出した。
「大丈夫か?」
訊ねても響はミネラルウォーターを僅かに飲んだだけで反応しない。ぜいぜい肩で息をしていてとても苦しそうだ。
やはりサラダがまずかったのだろう。
「ほら、ネクタイ苦しいだろ」
涼は踞る響の体を起こし壁にもたれ掛からせ、ネクタイを引き抜きボタンを外す。
苦しそうに歪めた顔は真っ青で、それを見た涼も真っ青になった。
「無理しやがって。救急車呼んでもらうから待ってろ」
「っ……」
立ち上がり響に背を向けると、つん、とズボンを何かが引っ張りつんのめる。振り向くと響がズボンを掴んで必死に頭を振っている。
「早く救急車呼ばないと、死んじまったらどうすんだ」
極めて落ち着いた風を装っているが、震える声は隠せない。
「……ないで」
響が歯を鳴らしながら必死に何か訴えているが良く聞き取れない。涼がもう一度響のそばにしゃがみこむと、響は震える手で涼にすがる。
「一人に、しないで。嫌だよ、一人で死ぬのは嫌だ、怖いよ、一人にしないで」
苦しみはあの日に似ていて、身体中を恐怖が支配する。
「もう、あんな思いするのは嫌だ。真っ暗な中、一人で死ぬのは嫌だ。また、一人で、死んでしまうのは嫌だ」
必死にすがって離れない響を涼は背中におぶり、トイレを出て店員を呼び止め急いで救急車を呼ぶよう伝えた。
近くの空いているソファー席に響を寝かせ、シャツを掴んで離さない手をそっとほどいて代わりに自分の手を掴ませた。
「大丈夫、俺はここに居るから。響を一人で死なせたりしねーぞ」
そう言って力強く手を握ってやる涼の手も震えていて、響を安心させようと懸命に平静を装っても声がまた頼りなく震えてしまう。
ただ瞳だけは揺れずに真っ直ぐ響を見ていて、その瞳を見詰めながら響は意識を失った。
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