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三 ②
──黒い空には星も月も無く、漆黒の闇の中静かに燃える篝火に照らされた大きな門。鳥居のような形をしていて、閉ざされた扉には頭が三つある犬のような生き物の彫刻が施されている。
篝火の下、門の両脇に鋭い槍を携え黒子のような格好をした人影が二つ。
人影のうち一つがゆらりと揺れたかと思うと、視界は黒く染まり体が宙に浮いた。乗り物か何かに乗せられたようで、一定のリズムで体が揺れる。時々止まってはまた揺れ、長い時間そうして身動ぎ一つせず揺られていた。
やがてふわふわとした椅子のような物に座らされ、人の気配が消えて静寂が落ちた。
『近頃は良く来るな。』
視界は黒いまま、美しい声だけが聞こえる。顔に手をやるが、頭から長い布のような物を被せられていて継ぎ目が解らず取る事が叶わない。
『ああ、まだお互い顔を見てはいかんからそれは取れんよ。本当はこうして会う事も禁じられているのだが。先程は緊急だったからこちらが無理に連れて来たが。もうすっかり良いようだな。』
返事をしようと口を開いたが声は出ず、ひゅうひゅうと息で喉が鳴るだけだ。
『そうか、まだこちらでは話せんか。そうだ、あれを渡しておこう。ならば無闇にこちらへ来なくともよい。』
するすると床──畳を擦りながら気配が近付き、掌に何か握らされた。感触からして、布製で長方形の小さな包み。先端から紐がのびている。声はそれが何か、どう使うものかは教えてくれず、また体が宙に浮いたかと思えば、気が付くと門の前に居た……
「折角の海なのに地元の海水浴場だなんて芸がないなー」
結局長い検査の末新しい発見もなく、首を捻る医者に見送られ響は八月に入ってから退院した。それから三日と明けず、母の反対を押しきってかねてより計画していた海にやって来ていた。
そこは響達の住む山をバスで三十分程下りた先にある海水浴場。地元住民からすれば珍しくもないが、巷では有名で遠方から訪れる者も少なくない。
「まぁまぁそう言うなって華。しょうがないだろ? 響があんまり地元から離れらんねぇって言うんだから」
飲み物を買いに行った響と聖を待つ間、涼と華の二人はパラソルを立てる為に二人で砂浜に穴を掘っていた。途中穴堀に飽きた華は浮き輪に空気を入れる作業に移り、空気入れをだらだら踏みながらぼやいた。
「まぁここ綺麗だし、皆で来られればどこでも良かったしね」
どっちなんだと呆れて涼は刺したパラソルの根元に砂を戻す。
「お前それ着たまま泳ぐん?」
華が水着の上から着ているパーカーを指して涼は小首を傾げる。
華はぎくりとパーカーの裾を掴んでぐいっと下に下げる。張り切って聖とビキニを買ったのはいいが、いざ着てみると相当恥ずかしい。腹がぷよぷよしているのはさておき胸がない。
丁度買い物班が戻ってきて、小走りに掛けてくる聖の、揺れる胸元が眩し過ぎる。
「反則だよな空閑ちゃんの胸は!」
と涼が鼻の下を伸ばしてからチラリと華の胸に目をやり、ふっと鼻で笑ったのを華は見逃さなかった。
「痛い!」
「ったく男って奴は!」
「何だ、また夫婦漫才か。海に来てまでよくやるなぁ」
パラソルの横でじゃれ合う二人ににこやかに告げた響が二人に叩かれてしまった。
「ナンパされるぞー何て張り切ってた割には海から上がって来ないなぁ」
ひとしきり四人で海の中ではしゃいだ後、先に休憩すると戻っていた響に、第二の脱落者涼が呆れて言った。
特に聖は「化粧が落ちるから泳がない」等とのたまっていた割に日焼け止めも忘れて泳ぎ続けている。華もはじめは躊躇っていたが、泳ぎ難いとパーカーを脱ぎ捨てそのまま上がって来ない。
「それにしてもお似合いなんじゃねぇの、響と空閑ちゃん」
飲み物を抱えて戻ってきた時の二人の姿を思い出し、涼は嫌味を込めて言う。
「馬鹿言うなよ、オレは空閑なんか興味ないぞ。涼はあれのどこがいいんだよ」
「どこって……かわいいじゃん」
「……類は友を呼ぶってやつか」
涼はシートに寝転がり、近くの家族連れで、子供達に埋められている父親を眺める。
「なぁ響お前さぁ、俺に隠してる事あんだろ」
「何だよ突然」
埋められたまま子供達はどこかへ行ってしまい、父親は不安気に頭をきょろきょろさせている。脱出しようともがいているようだが、高く山となった砂は容易に動かない。
「こないだファミレスでお前言ったよな、また一人で死ぬのは嫌だ、って」
通りかかった人達が、孤独に埋められている父親を見てくすくす笑う。いたたまれない。
「よそうぜ、こんなとこでそんな話」
「……そうだな、悪りかった。今は海を楽しみますか。あ、俺の携帯どこ?」
「オレの鞄の中」
「あそこのおっちゃん、皆に写メられてんの。かわいそーに」
涼は未だ埋められたままの父親を差す。そう言う自分も撮る気満々で人の事は言えない。
ふと涼は響の鞄から御守りを引っ張り出した。
「へー、あそこの神社に御守りなんてあったんだ」
「御守り?」
涼は御守りを響に渡して、携帯を埋まった父親に向ける。しかし父親は母親だろう女性に救出されているところだった。
「なんだ、つまんねーの。それ響のだろ? 鞄の底から出てきたぞ」
渡された御守りをまじまじ眺めるが、響に覚えはない。
「オレのじゃないよ、見覚えない」
「おばさんがコッソリ入れたんじゃね?」
「何神社だって?」
「裏に書いてあんだろ? 金門神社って。半分山に埋もれたような神社で、名前もすりきれてんだけど、年寄り連中から良く聞いてたよ。金門神社にゃ入っちゃいかんってな」
「何で入っちゃいけないんだ?」
「さー、神聖な場所だからって聞いたなぁ。地元連中は皆知ってるから誰も近付かねーけど、おばさんヨソから来たもんで知らなかったんだろうなぁ」
響が御守りを陽に翳していると、やっと海から上がった二人に涼と同じ事を言われた。地元じゃそんなに有名なのか。
「あたしはおばーちゃんに、祟りがあるから行くなって言われた」
「私は女が近付いていい場所じゃないって聞いたよ」
内容は統一しないが、とにかく近付いてはいけない、と言うのは子供のうちからキツく言われているのだそうな。
中には言い付けを破って神社へ行こうとした連中も居たらしいが、あまりに山が険しいので断念せざるを得ないのだとか。
「じいさんが一人で住んでて、近付く人間に襲い掛かって来るらしいぞ」
「でも大河のお母さんは神社に行って御守り買って来たんでしょ? じいさんはともかく祟りだ何だは迷信なんじゃないの?」
いつの間にか御守りを囲んで神社についてああでもないこうでもないと会議化してしまっている。
「そんな誰も通れない険しい山を母さんが一人で越えられるとも思えないけど」
「それもそうだなぁ。じゃこの御守りはどっから沸いたんだ?」
「そもそも皆の言う神社とその御守りの神社が別物なんじゃ?」
響が言うと、三人は唸って考え込んでしまった。
やがて涼が名案とばかりに立ち上がって拳を握り、目をきらきら輝かせながらせながら言った。
「皆で行ってみようぜ!」
「金門神社に? 嫌よ絶対!」
「今夜!」
「何で今夜よ!」
「肝試しって事で!」
上機嫌で一人盛り上がる涼に、華が絶対嫌だと食って掛かる。響はまたじゃれあってると請け合わない。
「ええ~肝試しとかコワイよ~」
肝試しと聞いて妙に瞳を輝かせながら聖がにじり寄ってきたが、響は聞こえない振りをして空を仰いだ。
皆盛り上がってるようだけど、そもそも地元の人間でさえ通れない程険しい山道ならば自分たちがたどり着ける筈もないだろう。せいぜい山をぐるぐる回って遭難するのが関の山だ。
「実はオレ、金門神社に行く道知ってんだ!」
「はぁ!?」
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