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四 ①

 がちゃがちゃと鍵を開ける音が聞こえ、響はすかさず戸の横に移動した。  戸が開いた隙に老人の横から抜け出してやろう。  が、盆に食事を持ってきた老人の横で涼が布団を抱えていて、気が削がれてしまった。 「お前今夜ここで一人で寝るんだってなぁ。あ! その飯ほとんど俺が作ったんだぜ! あいつらてんで料理出来ねーんだもんよ」 「あ、ありがとう……」  涼が布団を敷きながら自慢気に言う。料理は上手いようだが、敷いた布団は滅茶苦茶だ。老人が呆れて布団を敷き直している。 「さぁ食え! そんで誉めろ!」 「わかったから、ちょっとは静かに出来ないのかよ」  布団を敷き終えた老人が涼を引っ張って戸へ向かう。  まさか一人で食べろと。 「響殿、蝋燭が消えるまでには床について下さいませな」  涼が何か喚く声も遠く、再び響は何もない部屋に一人になった。  最早抜け出す事は諦め、響は涼が作ったと言う食事に箸をつけた。 「……うまい」  お前と食べられたら、もっとうまかっただろうなぁ涼。  響は一人もそもそ料理を口に運ぶ。量は多くはなく、すぐに食べ終えてしまった。  老人は蝋燭が消えるまでにと言ったが、何もない部屋で特にする事もなく、響はすぐに布団に入った。こうなったら寝てしまった方がましだ。  涼……今頃また説教されているだろうか。海岡と空閑はあんなに怯えていて、眠れるのだろうか。  布団に入ってしまえば寝付くのは早い。響はすぐに寝息をたてた。  ふと響は目を覚ます。眠りが浅かったのかいやに意識がはっきりとしている。一瞬いつもと違う天井にどきりとしたが、すぐに神社に居た事を思い出す。  蝋燭が消えている。そんなに長い時間眠っていたのだろうか?  響は唯一開いている格子窓から外を見てみようと、体を起こして気が付いた。  誰か居る。  部屋の奥、木戸の隣の角。格子窓からの月明かりが届かない暗闇に。目を凝らしても、輪郭しか見えない。  響は体を強ばらせてじっと闇を見詰める。 「どうした、何をそんなに怯えている?」  喋った!  響は後退さるも、そもそもこの密室では逃げ場はない。 「そうか、松山老人は何も告げず此処へ寄越したのだな」  影のようなその人物は、くっくと喉で笑う。 「そう怯えるな。もっと近くへ。お前の声を聞かせてくれ」  その声はとても美しい。響は不思議な感覚がした。初めて聞く筈のその声が、酷く耳に心地良くて懐かしく、悲しくもないのに涙がこぼれそう。 「……あの、状況が飲み込めないんですけど」 「ふむ、実に美しい声だ。顔を見る事ができないのが残念だな。やれやれ、松山老人め手抜きをしおって。いちいち私が説明せねばならんのか」  影は静かに手を伸ばし、響の手を指差す。その手は青白く、重なった腕輪が月明かりを反射して金色に輝く。 「私がお前に渡した包みがあるだろう。中にお前の名がある。見てみろ」  響は握り締めたままの掌を開く。きつく握ったまま眠っていたらしく、御守りは形が変わってしまっている。  中を覗くと小さな紙片がある。先程老人が神妙な面持ちで開いた紙片だ。開くとそこには見事な達筆で「大河響」とある。 「響。名前も美しい。それは私が書いたものだ。さてお前は確かに大河響だな?」 「はぁ、そうです。あの、これいつの間にか鞄に入ってたもので、あなたから受け取った覚えはないんですけど……」  影からがさごそと音がする。 「何を言う。お前があまりに頻繁にこちらへやってくるものだから、以前私が渡しただろう」  何の事だか響にはさっぱり分からない。  影はまたがさごそと言う。動揺しているのか何なのか、落ち着かない様子でそわそわしているように感じる。 「それに、あなたが誰かも分からないんですけど……」 「ああ!」  響が遠慮がちに言うと、影は嘆き、立ち上がり部屋の中を歩き回り出した。 「私とした事が! お前はいつも門外から 来ていた! 覚えておらなんだか!」  その立ち姿はとても美しいもので、響は息を飲んだ。  長い、束帯に似た衣を纏っていて、薄い羽織は透かしが見事だ。首元には腕輪と対になっているのだろう、金を織り合わせたような細工の長い飾り。決して派手ではないがとても優美。冠から垂らされた漆黒の布で顔は分からないが、背中に伸びる同じく漆黒の長い髪が床を撫でてさらさらと流れる。  その人は部屋を二週三週してから投げやりに言い放った。 「ああ! 面倒だ! 私はお前との会話を楽しみたいだけだ! 説明なんぞは松山老人に聞け!」  そこで響の意識はぷつりと途切れた。  外から蝉の声が聞こえて、朝日が顔を射す。あの妙な人は既に消えていた。  響が体を起こして、昨夜の人が居た角をぼんやり眺めていると、朝食と桶を携えた老人がにこにこと戸を開けた。 「おはようございます響殿。良い朝ですな。昨夜はいかがでしたかな?」  響は差し出された桶を覗く。水が張ってあり、手拭いが掛けられている。これで顔を洗えと言う事か。冷たい水が心地良い。顔を洗ってありがたく朝食をいただく。恐らく涼達が早くに叩き起こされて作ったのだろう。 「松山老人って、お爺さんの事ですか?」 「そうでございますとも」 「何か、あの人怒ってましたけど。手抜きしたって」  松山老人は雷に打たれたように驚愕し身を竦める。 「突然こんなとこに放り込まれて、訳が分からないんですけど……あの人何なんですか? 何か凄い格好してましたけど。あの人に聞こうと思ったけど凄い怒ってたし、松山老人に聞けって言ってたんで」  松山老人は小さくなって口の中で何かもごもご呟いている。 「む……む、これは参った。儂は会えば解るとばかり」  響は味噌汁の大きなキャベツの芯をがりがり咀嚼しながら、項垂れる松山老人を見る。 これは華か聖が切ったのだろう。 「すぐにでも説明して差し上げたいのですがな、まずは早くお嬢さんらを山から下ろさなくてはなりません。響殿も一度山を下りて、後日一人でおいでいただけますかな?」 「え、一人で? あの険しい山道を? 無理です」  あの長く険しい獣道を案内なしに登るなんざ自殺行為だ。遭難してくれと言っているようなものだ。しかし松山老人は真面目な顔をして大丈夫だと言う。 「その包みを持っておれば必ずたどり着けます」  何の変哲もない御守りに似た包み。中には響の名が記された紙片が一枚あるだけ。特別な何かがあるとも思えない。昨夜の人と言い松山老人と言い、この御守りが何だと言うのだろう。 「……分かりました。もし遭難したらお爺さんが助けてくれますね?」 「勿論でございますとも。万が一そのような事があればこの松山、命に変えても」  言って松山老人はきりりと眉を上げ自分の胸をどんと叩く。  大袈裟な人だ。  響が朝食を終え、外に出て一つ伸びをしていると、社務所から三人がのろのろと出てきた。 「おお響! 無事だったかー!」  響を認めた涼が掛け寄ってきてぎゅうぎゅう抱き締めてくる。 「ちょ……涼、苦し……」  涼はぱっと離れ、心にもない謝罪をする。  力加減を考えろっての。 「何だよ、無事って」 「だってホラ、何かアレみたいじゃん。何もない変な部屋に夜中一人で閉じ込められて……そう! イケニエ! イケニエみたいじゃん!」 「へぇ、お前生け贄なんて言葉知ってたんだ」  涼が馬鹿にすんなと喚いていると、華が涼の頭を叩いて背後を示す。華も聖も随分顔色が悪い。  鳥居の下に松山老人がまた槍を携え仁王立ちしていて、こちらに怒声を浴びせる。 「そんなところで立ち話しとらんでさっさと山を下りんかい!」 「全く、元気なじいさんだぜ」  涼は頭を一つ掻いて、先頭に立って鳥居を潜る。続いて華に聖が無言で後に着く。来る時と同じく響は最後尾についた。 「響殿! 必ずですぞ!」   最後に響に叫んで鳥居の中に消えた松山老人に、響は手を振って別れを告げた。

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