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四 ②
明るい山の中は、昨夜と違って歩きやすい。とは言えちょっとでも道を間違えば遭難コースだ。こんな道を一人でなんて……
大分神社から離れた所で、堰を切ったように女性陣が喋りだした。そう言えば松山老人から声を出すなと言い付けられていたのだった。
「なにあれ! 何なのよあの神社は! じいさんはコワイし、かまどとかタイムスリップかよ! て言うか何であのじいさん大河だけやたら特別扱いなの!」
華が頭をかきむしりながら大声で山に鬱憤を吐き散らす。聖は華の横でふるふる小刻みに震えていて、そんなに怖かったのか、ここは背中くらい撫でてやった方がいいのだろうかと思いきや。
「あんのくそじじー! 草ばっか食わせやがって! 若く美しいなんて言ってたくせに私を差し置いて大河君にチヤホヤチヤホヤ、なーにが響殿、じゃー! 時代劇かっつぅの!」
聖は随分興奮していて、木々を揺らす勢いで喚き散らす。髪を振り乱し、言葉も乱暴で声まで違う。いつものふわふわとした様子の片鱗もない。
華がどうして聖と仲良くしているのか分かった気がした。きっとこちらが本体で、同じ属性なのだろう。
「あー確かにじいちゃん、やたら響に丁寧だったよな」
涼! お前の反応はそれでいいのか。
目を丸くして聖の豹変ぶりを見守っていた涼は呑気に神社の方を仰いだ。
「おまけに何あの幽霊! 人の事不細工だなんだって鼻で笑って! むかつく!」
ひょっとして神社で青ざめていたのは、恐怖ではなく怒りによるものだったのだろうか。聖は持っていた懐中電灯を茂みに投げつけ地団駄を踏む。
ごく平然と懐中電灯を取りに行った涼が戻ってきて、聖に渡しながら繰り返した。
「幽霊?」
「そう! ……ゆうべ夜中に目が覚めて、私うっかり声だしちゃったんだけど。そしたら何かいきなり変な声が聞こえてきて、部屋の隅から変な格好した人が出てきて私を見るなりブスだって言いやがって! きぃぃ! むかつくー!」
聖は取り繕う事も忘れて怒りに顔を真っ赤にして続ける。幽霊を目撃したショックより、ブスだと言われた事がそんなに腹立たしいのか。幽霊の物真似までして皆に怒りを伝えてくる。
「なんか気取った喋り方でさ『女の声が聞こえて来てみたが。なんとまぁ美しさの欠片もない。松山老人もこの程度の女を隠さずとも良いものを』だと! 人をその辺のブスみたいに言いやがってー!」
「ちょ、ちょっと空閑」
「何! 大河君も綺麗だよね! 男のくせに!」
「落ち着けって。その幽霊だけど、姿は見たの?」
響は興奮する聖の肩を抱いて取り押さえる。
「暗かったから良く見えなかったけど、何かずるずるした着物みたいなの着てたよ。そうそう、言ってる事はすっげむかついたけど声はめちゃくちゃ綺麗だったなー」
昨夜響の部屋に現れた人だ。物真似がよく似ている。
突然意識が途切れたと思ったら、聖を見に行っていたのか。
全く意味が分からない。松山老人は今度説明すると言っていたが、そんな訳の分からない神社にまた、今度は一人で。ほいほい行って良いものだろうか。
話に一区切りついたところで、既に話に飽きていたのか、懐中電灯をくるくる回して遊んでいた涼が山を下りたら自分の家に集まろうと提案した。
涼の両親はまだ帰っておらず、家の中は出た時のままだった。涼ときたら鍵も閉めずに出たらしい。昔は鍵を閉めず外出するも就寝するも当たり前だったらしいが、近年では外から来る人間も増えて戸締まりをきちんとするようになったのだとか。
神社で涼は松山老人から例の本の読み方を少し教わったそうで、皆で一緒に読んでみよう、との事。皆が神社で抱いた疑問が少しでも解決するかも知れないと。
だから、そんな安易に人に教えていいのか。
「教えて貰ったのは最初の部分なんだけど」
涼は慎重に頁を捲る。
涼を除く三人にはやはり何が書かれているのかさっぱりだが、涼はその暗号のような文章をたどたどしく読んでいく。
「なになに……んーところどころしかわかんねぇな……神社──金門神社の事だな。あの世とこの世を繋ぐ唯一の……手形の巫女……女人は禁制……」
「……禁門神社、其ハ彼ノ世ト此ノ世ヲ繋グ唯一ノ門。又、手形ヲ持チタ巫女ノ会話ノ場ト成ス。他、女人ハ禁制トシ此ヲ隠スモ守ノ者ノ役目也……」
突然涼を遮って、意図せず口が動いた響は独り言のように淡々と呟く。
「ど、どうしたの大河、何かイタコみたい……」
守りの者しか読めないはずの本を響が読んでしまったもんで、涼が眉をひそめて響を睨む。華も聖も少し腰が引けているようで、響の背中に冷たい汗がすーっと流れた。
「いや、その……突然閃いたって言うか、その」
涼の言葉を聞いていると、ふいに頭に浮かんできた。それは遠く忘れた記憶が小さなきっかけで吹き出した感覚。吹き出したそれを吟味する間もなく、するすると脳から口に流れ出た。
つまり、これを知っていた?
頭の奥がチクリと痛む。
そう、知っていた。昔、誰かに聞いた。大事な事だと言われた。誰に?
それより、確実に気味悪がられている。涼が険しい顔でこちらを睨んで一言。
「……つまりどう言う意味だ?」
そうだ、涼と言う人間はこんな奴だった。
横の二人もしきりに頷いていて、突然呪文のように呟いた事の不気味さを感じているのは響本人だけらしい。
どうやら友人選びは失敗ではなかったようだ。それとも単に、いや、やめておこう。
「つまり……金門神社はあの世とこの世を繋ぐ門で、かつ巫女の会話の場所? 女人禁制でもし女が居たら、その人を隠すのも守りの者の役目だ、って事かな」
ふと、響は違和感を覚えた。
金門神社……
「トコヨとウツシヨって?」
「常世はあの世、この世は現世、常世ってのは神々の住む世界だって話だな」
これには涼が答えた。一応神社の守りに就くはずだったからその辺りの教育はされていたのだろう。
「隠すって、誰から?」
「多分、空閑が見た幽霊からだと思う」
「……見つかったけど、ブスだ言われただけだったんですけど」
またも聖の目がつり上がって来て、華が慌てて次の質問をした。
「手形ってのは何の事だろ?」
「……これの事じゃないかな」
響はしわくちゃになった御守りをテーブルに置いた。
あの人は言った。御守りを指して、包みを持っているだろうと、会話を楽しみたい、と。松山老人もしきりに御守りを気にしていた。
つまりこの御守りはあの人と会話するための手形で、松山老人は華と聖をあの人から隠していたと言う事。
「じゃあ、大河が巫女?」
そういう事になる。
「巫女って普通女の人だよね。何で大河?」
「こっちが聞きたいよ」
御守り──手形には響の名が記されていた。確かに響が巫女で、知らないうちに鞄に紛れ込んでいたくらいだ、手形を誰かに譲ったところで何も変わらないのだろう。
四人でしばらくうんうん唸っていたが、結局何も結論は出なかった。涼もその頁以外読めないと言うし、これ以上ここで考察する意味はなかった。
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