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四 ④

 やけに蒸し暑く、寝苦しい夜だった。  何度も寝返りを打って、ようやく眠れそうだと全身の力を抜いて、意識が遠退くのを待った。  ふわふわ、眠りにつく直前の浮遊感。  ああ、眠れそうだ……  あれ?  一瞬意識が途切れ、自室の万年床で眠ったはずの響は小さな箱状のものの中に座っていた。箱は一定の速度で移動しているようで、がたがたと居心地が悪い。時々鈴の音が聞こえる。 箱を見渡すと小さな戸がついていて、外を確認しようとしたが開かない。  夢でも見ているのだろうか。  箱が止まり、響の背中の壁が出入り口だったのだろう、それが突然開く。響が後ろを向くより早く、袋のようなものを被せられてしまった。 「危害を加えるものではありません。どうかお静かに」  響が必死にもがいていると、そっと耳元で囁かれ、ふんわりと両手を取られた。仕方がないので響は大人しく着いていく事にした。  手を取った両側の人は、視界を遮られた響を気遣うようにゆっくり進む。  素足の響に伝わってくる冷たい石の感触が、階段を上がって板の感触に変わる。何度も折れながらゆっくり進むと、一度止まって今度は畳の感触。  そこで足を拭かれ、服をべつのものに着替えさせられた。その服はすべすべと肌に心地よい。ただ裾が随分長く、とても歩き難い。  また長く板の上を歩き、ふかふかとした椅子のようなものに座らされると、被せられていたものがやっと取り除かれた。  そこは豪華絢爛な装飾の雅やかな部屋で、龍の彫刻の欄間や、水墨画の描かれた襖、和紙の風避けがついた和蝋燭が時代劇の一場面を思わせる。  正面に分厚い畳が四畳程敷いてあり、少し引き上げられた御簾の隙間からそこに誰か居る事が伺える。  そして聞き覚えのある声。 「久方ぶりだな、響よ」  透き通るような美しい声。 「あ、あなたは、神社の時の」 「そう、私は待っていたのだぞ。何故現世の禁門へ来んのだ。あの日は殆ど話せず終いだったろう。お前との会話を楽しみにしていたのに」  その人は御簾の向こうで、扇子で畳をとんとん叩く。 「……今話せているじゃないですか。第一ここはどこなんです」 「ここは私の私室だ」  そう言う事を聞いているんじゃなくて。 「今は例外だ。お前の口からわけを聞きたくて無理をした。それに門を通らねばお前はまた忘れてしまうからな」  響の理解が追い付かないまま、その人はどんどん話を進めていく。 「お前はいつも門外から来ていたからこちらでは話せなかったろう。説明は面倒だ。詳しい事は現世で松山老人から聞け。今日は先程言ったように相当無理をしているから時間は然程ない。手短に頼む。何故禁門へ来ない?」  何故と言われても、気味が悪いからとしか答えようがない。 「何? 気味が悪い? どこがだ。よもや私がとは言うまいな」 「いえ、あなたは綺麗だと思います……あの、ひょっとして、怒ってるんですか?」 「怒る? 私がか? おかしな事を言う。何を怒ると言うのだ」 「その……あれから神社へ行かなかったから……?」  その人はピタリと黙る。  居心地の悪い沈黙がのし掛かる。  ふっと小さな笑い声が聞こえたかと思うと、その人は弾かれたように立ち上がり、神社での時のように御簾の内側をぐるぐる歩き回りだした。 「怒る? そうだ怒っているとも! 私は響との会話を楽しみにしていたのだ。それがいつまで待ってもお前は一向に現れん! いからずにおれるか!」  その時、ピクリとも動かないもんだから等身大の置物だとまで思っていた蝋燭の横に居た人が勢い良く立ち上がり、響はひっと声をあげた。  厳つい顔をしたその男は、御簾に近付くと何やらひそひそとその人に耳打ちする。その人が御簾の真ん中に戻ると、男も蝋燭の横に戻りまたピクともしなくなった。 「……すまない、取り乱した。気味が悪いのは仕方なかろう、知っての通り大半が木々に埋もれておる。松山老人が一人で管理しているのだ、大目に見てやれ。それで……」  その人はまた立ち上がってぐるぐる歩き出す。時々立ち止まって、男の方を見ているようだ。 「それでだな……ううん、将極(しょうごく)よ、どうしても言わねばならんか?」  しょうごく、と呼ばれた男は切れ良く「はい」と一言だけ。  その人は静かにまた座り、一つ咳払いをした。 「……響よ、私はお前の声が聞けて嬉しかったのだ。なのにお前は一向に来なんだから、その、な。さ、さび、さびし」  歯切れ悪く続けるその人は、またも勢い良く立ち上がり、扇子を畳に投げ付け結局怒鳴った。 「ええい! そんな女々しい事が言えるか! 響よ! 頻繁にとは言わぬ。だが来い! 私を待たせるな! よいな!」  何かを激しく叩きつける音がして、響は唐突に自室に戻ってきた。  座っているのは自室の万年床で、愛用の文机と参考書が僅かに並んだすかすかの本棚、小さな箪笥。壁に掛かった制服。  響は何度も見渡し自室に戻ってきたと確信した。  外はすっかり明るくなっているが、全く眠れた気がしない。それどころか体は酷くだるくて重い。  もう一度眠ろうかと横になろうとして気が付いた。肌をすべるさらさらの布。着替えさせられた着物のような服のままだ。  夢じゃなかったのか? 「……て言うかこれ、どうやって脱ぐんだ」  胸のすぐ下辺りの帯を回してみるが、結びも継ぎ目もない。作りは着物のようだが、襟元を引っ張ってもびくともしない。長い裾と前掛けのようなたれをたくって袴の付け根を探ってみても帯の下に隠れているのか、これも脱げない。  こんな格好では出歩く事も出来ない。  それに、響は思う。  見たことのない衣装だし、色は鮮やかなグリーンだが、下半身のふんわりとした作りや、袖のレース様の意匠と言い。 「女物じゃないのか? これ」  どうしたものかと布団の上に突っ立って考えあぐねていると、一階から耳に慣れた声が聞こえてきた。 「こんちはー! おばさん、響居る?」 「あら涼君、こんにちは。まだ部屋で寝てるんじゃないかしら」  まずい、こんな格好見られるわけには行かない。  響は慌てて布団を体に巻き付けるも、長い裾がはみ出してしまう。急いで裾を寄せ集めて布団の中に隠す。 「おっす響! 起きてるかー!」  ノックもなしに戸を勢い良く開ける涼。  布団にくるまって迎えた響を見て首を傾げる。 「何やってんだ? お前」 「いや、ちょっと……」 「暑くねぇの?」 「……かなり暑い」  ただでさえ何枚あるか分からない服を着ていて、おまけに布団を被っていてはそりゃ暑い。 「んな格好してっからだろ!」 「ちょ……やめろー!」 「……おお?」  抵抗もむなしく、あっさり涼に布団を引き剥がされてしまった。 「凄い格好だな」 「これは、その」 「コスプレか? へぇ、響にそんな趣味があったなんてな~」 「好きでこんな格好してるわけじゃない! 第一今脱ぐとこだったし!」 「え、脱ぐん? なんだ、似合ってんのに」 「これ女物だぞ? 似合ってても嬉しくないっつの」  なんて、赤くなった顔を見られないよう顔を背ける。 「てか、手伝ってくんない? 一人じゃ脱げないんだ……」  涼に手伝ってもらい、ようやく脱ぐ事が出来た。涼が帯の下に隠れていた紐を見つけて、それをほどくと帯が緩み、後は簡単だった。

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