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五 ②

 新学期も始まり一週間が過ぎた。まだ夏休み気分の明けない生徒達は方々で欠伸をしていて、授業中も浮わついた雰囲気が漂う。  響の前で居眠りをしている涼も、まだ頭の中が夏休みの一人だった。  教師に見つからないうちにと響は後頭部をつついて起こしてやる。しかし涼は完全に夢の中。結局教師から教科書で叩かれ叱られる羽目に。 「起こせよなー響~」  昼休み、弁当をつつきながら涼が唇を尖らせる。 「お前が起きなかったんだろ」  よく授業中に熟睡するもんだ。響もちょくちょく居眠りをしてしまうが、眠りは浅くすぐに目は覚める。  ふっと響は窓の外を見る。   涼が何か言っているようだが、響の耳には届かない。実のところ、響も例にもれず夏休み呆け真っ只中。それはこれまで五月病だ夏休み呆けだのに無縁で生きてきた響にとって初めて経験するものだった。  授業中も頭はぼんやりとしていて全く身が入らないし、こうして学校に来るのが酷く億劫。  目を閉じれば、瞼に浮かぶのは教科書の内容ではなく、あの人の姿ばかり。頭に響くのは教師の声ではなく、あの美しい声。 「はぁ? 何でだよ」 「うおう、何だよいきなり、何がだよ」  神社で話したあの人の事ばかり考えてしまう事に対する疑問がうっかり口からこぼれた。 「……いや、何でもない、何でもないよ」  何だかあまり食欲もない。響は半分ほど箸を付けた弁当を閉じた。涼が心配気に声を落としたが、適当に夏バテだからと答えておいた。  涼に黙って神社へ行ったから、松山老人が話した事も、あの人にまた会ってしまった事も、相談出来ない。  腹ごなしにサッカーをしに行くと他のクラスメイトと出ていく涼を見送り、ぼんやり教室を見渡す。  響は、秀才だからか何だか知らないが、他のクラスメイトはあまり深く関わってこない。響に用があると、皆涼を間に挟んでくる。だから友人と呼べるのは涼しか居ないが、響はそれで充分だった。  教室の真ん中で聖と話しながらチョコレート菓子をつまんでいる華と目が合った。  ダイエットはやめてしまったようだ。  何となくそのままじっと見ていると、華は話を切り上げ響に近付いてきた。 「涼が居なくて丁度よかった。大河にずっと聞きたかったんだー。例の好きな子とは夏休み中何か進展あった?」  何かと思えば女子の大好物、恋の話だった。華は涼の席に座って身を乗り出す。  そう言う自分はどうなんだと聞きたかったが、涼の様子を見る限り何も進展していないようだ。 「特に何も。いつも通りだったよ」 「えー? もう大河ってば、夏休み中あたしらに付き合ってばっかであんまその子と会えなかったんじゃないの?」 「そうでもないよ。結構会ってた」  そう言えば好きな子が誰かと詮索して来ないが、ひょっとして誰だかわかったのだろうか? 「全然! 大河観察しても誰だか全くわかんない! 大河っていっつも涼と一緒じゃん? おまけに女子とほっとんど話さないし。もう考えるの面倒くさくなったからやめたよ」  響はホッとして気付かれない程度に息をつく。 今の関係を壊したくないから、誰にも秘密にしている。特に華に気付かれるわけにはいかない。 「……実は約束破ったから、ちょっと顔合わせ辛い」 「えー駄目じゃん、約束はちゃんと守らなきゃ。特に好きな子との約束なら。マイナスポイントじゃん」 「仕方なかったんだよ……言わなきゃ気付かないと思うけど、言った方が良いと思うか? 約束破った事」 「うーん、内容によると思うけど、あたしだったら相手が気付く前に話して謝るかな。その方がスッキリするし、先延ばしにしてややこしくなっちゃうより良いと思わない?」 「そう……そうだよなぁ」  響は決心した。やっぱりもう一度神社へ行ってきちんと断って来よう。自分は巫女にはなれない、この現世でのんびり暮らして行きたいからもう妙な事に巻き込まないで欲しいと。  どうにかして日常に戻らないと、現状維持さえ出来なくなってしまう。現状をどう感じていても、今大事にしたいのはここでの生活なのだから。 「何て言うか、ありがとう」  話の流れ上ではあったけれど、結果相談に乗る形になった華に礼を言う。 「良いって事よ! 何か高嶺の花の大河が恋に悩んでるって変な感じ」 「高嶺の花?」 「そうだよ。皆言ってるの知らない? 大河は頭も良いし綺麗だし性格も良いしで、レベルが違いすぎてとても近づけないって」 「へぇ、そうなんだ」  別に遠慮する事なんてないのに。  まぁでもそう言って遠巻きにされていれば煩わしくなくて都合はいい。  特に女子がきゃあきゃあまとわりついて来ないのはとてもありがたい。  響は女子が苦手だった。  小学生の頃、女の子は心の成長が早く、当時ませていた女の子達から多く告白された。断れば泣かれ、悪者扱いされ、集団となった女の子達は恐怖の対象でしかなかった。  こちらに越してきて幼い頃の恐怖心が抜けないまま中学生になれば、今度はアイドルのように扱われる。皆笑顔でちやほやと集団で響のそばに集まってくるが、それは幼い頃の恐怖心を一層濃くしただけだった。男子はそんな響を妬み、都会から越して来た事もあり友人は出来ず、響はいつも一人怯えていた。  そんな響を助けたのが涼だった。女子に囲まれ怯える響にただ一人涼だけが気付き、手を引いてくれた。それからは女子からなるべく遠ざけてくれて、響は心底助かった。特別扱いせず接してくれる涼の態度が、とても嬉しかった。  高校に上がればまわりは殆ど都会の学校へ出ていき、中学時代の面子は一気に減った。響はようやく平和に学校生活が送れるようになった。  涼と一緒に。  涼が将来誰を選ぶか知らないが、その時が来ればちゃんと応援してあげたい。出来れば華が良いと思うけれども、よほど変な女じゃなければ反対はしないでいよう。  自分はここで、この地で、例え涼がこの地を離れても、涼の幸せを願うだけで充分だ。ずっとずっと、傍らで見守っていければ他に何も望みはしない。  だからこそ、巫女を断らなければ。そう何度も常世に連れて行かれてはたまらない。 「……よし」  週末。響は腐りかけた小さな鳥居の間に立ち、ぐっと拳に力を入れた。

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