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五 ⑥

 山を下りた響が自宅に帰ると、玄関で母が仁王立ちして待ち構えていた。  実は響、親に内緒で部屋を抜け出し神社へ行っていた。前回は涼の家へ泊まると嘘をついて出たのだが、そう頻繁に外泊が許されるとも思えず両親が寝静まってからそろりと出た。 「お母さんてっきり涼君の家に泊まってるものだとばかり思ってたんだけど」  そのまま勘違いしてくれていれば助かったが、その涼が今朝早くに訪ねてきたものだから、響はどこへ消えたんだと大騒ぎだったらしい。  玄関先で響はこっぴどく叱られ、母の怒声に気付いて近所の人々が遠巻きに集まって来たところでようやく解放された。 「体の事だってあるんだから。いい? 外泊するなとは言わないけど、どこに居るのかだけはちゃんと教えておきなさい」  響は口の中で返事をし、畑仕事に戻る母を横目で見ながらのろのろと自室に上がる。  部屋の戸を引くと、冷気が体を包む。部屋はエアコンで冷えきっているようで、出掛けに切り忘れたかと訝しみながら部屋に入ると、布団にくるまった涼が勝手に寝ていた。そう言えば、玄関に靴があった気がする。 「おい! 涼!」  エアコンを消して窓を開け、涼を揺さぶる。目を覚ました涼は大きな欠伸をして寒いと腕をさする。  そんなに寒いんだったら最初からエアコンを弱くしていればいいものを。 「帰ったんじゃなかったのか。全く、人んちのエアコンがんがん使いやがって」 「いやぁ、人んちだから出来るって言うか」  涼は全く悪びれもせず頭を掻く。 「で? 何か用?」  今朝早くに訪ねて来たらしいが、そんなに急ぎで何の用だろう。用があるなら明日の学校でもいいだろうに。 「いや、別に?」  言いながら涼は文机の前に座った響ににじり寄り、シャツの裾を摘まんで鼻を押し付けてきた。  なんだなんだ、用がないなら何で来たんだ。 「何やってんだ。嗅ぐなよ」 「何つーか、虫の知らせ? お前また俺に何か隠してんだろ」 「……何をだよ」 「俺の口から言わせんなよ。お前俺に隠し事出来ると思うなよ? 俺馬鹿だけど勘はいいんだからな!」  確かに。涼は時々妙に勘が鋭い。昔はその勘のお陰で助かったのだけれど。 「響さ、こないだから金木犀の匂いがぷんぷんしてんだよな。この辺じゃまだ咲いてないよなぁ」  響が黙っていると、涼は更に続ける。 「前にもお前が金木犀の匂いつけてた事があったけど。夏休み肝試しで」 「……ごめん」  煌隆からはいつも良い匂いがしていた。あの香りは金木犀だったのか。まさか移る程強い匂いと思わず、特に気にする事もなく山を下りていた。 「俺言ったよな。一人で行くなって」  涼は窓の外ばかり見て響を見ようとしないが、声の調子からして怒っているようだ。 「ごめん、その、巻き込みたくなかったんだ。あんな変な事に」 「巻き込まれて俺が嫌がると思ってんの?」  ピリピリとした空気が部屋を覆い尽くす。思う以上に涼は怒っているようで、響は涼の方を見れない。 「俺だって当事者だぜ。じいちゃんが死んでも守りの者やってんなら、孫の俺だって関係あるだろ。それに……」  涼は一度言葉を切る。 「あんな変なとこに響を一人で行かせる方が嫌に決まってんだろ」  響は背中を向けて文机に広げたままの参考書に目を落とす。勿論参考書を見るためではない。きっと泣きそうな顔をしている自分を見られるわけには行かないからだ。  涼は響の背中に向かって続ける。 「響、俺を置いて行くなよ。何か、お前が一人で遠くに行っちまうような気がして、嫌なんだよ」  つい今まで怒っていたのに、今度は悲痛な声に響は言葉を返せず、ただ頷いた。それを見ていたかどうか分からないが、返事は無く、かわりに背後でごそごそ動く気配がする。  何をしているのか確認したいが今だ目頭が熱いままの響は振り向けない。ぐっと拳に力を込めると、背中から何か吹き掛けられた。 「うわっ! 何だ!?」  慌てて振り向くと、衣類用の消臭剤を響に吹き掛けている涼。 「ぶわっ……ちょ、やめろって! 何するんだよ!」  大量に吹き掛けられてシャツの色が変わってしまった。そもそも、着ている状態でそんなに吹き掛けて大丈夫なのだろうか。 「……何か、その匂いムカつく」 「ムカつくって……だあっ! やめろー!」  もう充分過ぎる程掛かっているのに、涼は顔をしかめたまま更に吹き掛ける。  お陰で金木犀の匂いは完全に消えたが、変わりにきつい消臭剤の匂いで頭が痛くなってしまった。

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