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六 ②
「さて、どこから話したもんかのう」
社務所へ入り、先程響と話していた部屋へ連れて行かれ、待つよう言われる。暫くすると、家にある例の本──あれよりは状態が比べるまでもなく良い。
床に置いたそれをぺらぺら捲りながら、松山老人は胡座の上に肘をつく。
「これの読み方が解れば、大概の事は書いてあるのじゃが、一朝一夕で読み解く事は不可能じゃ」
「じゃあさ、取りあえずこの神社の事とか、巫女の事とか教えてよ」
松山老人は本を閉じ、じっと涼の瞳を覗く。涼はふっと逸らしそうになるもぐっとこらえ松山老人の瞳を見て返す。
「……いやに熱心じゃな。響殿からお前はちゃらんぽらんじゃと聞いておったがのう」
「やる時はやるんだよ! その……やっぱり俺の記憶じゃじいちゃんとっくに死んでて、なのにオヤジが跡継がないから死んでまで守りの者やってんだろ? 孫的には責任感じるって言うか」
咄嗟に口をついて出た嘘にしては上出来だと思う。
松山老人は感心して涼の頭を掻き回す。子供扱いはやめてくれと、その手を払い頭を振る。
松山老人は髭を撫で、天井を見ながら以前響に話した昔話と、死した自分が何故ここに居るかを話した。
「やっぱりじいちゃん死んでたんじゃん」
「あの時は詳しい事は話せんかった。騒がれるとまずかったからの」
確かに胆試しに来た時の女子二人の怯えようを見れば、死んだなどと言えない。涼もそれを心得、間違いだと言う事にして黙っておいたのだ。
「それで、その主上ってのは何なの?」
「こりゃ、口を慎まんか。主上は遥か昔、人から神へ昇された名神じゃ。現世と常世の秩序を護っておられる。御名を口にする事も畏れ多い。本に記されとるから自分で探す事じゃ」
「随分女好きの神様だな」
涼は松山老人の骨張った拳骨で思いきり殴られてしまった。
頭を抱え呻く涼に声を荒げる。
「主上は永く孤独であらせられた。子も欲しておられた。じゃがいつの時代も、始めは良くとも人の女は現世の未練を断ち切れず、婚姻は破談に終わったのじゃ! どんなに主上が愛そうとも、添い遂げる者はおらなんだ!」
「いつつ……大体、何で現世の女じゃなきゃ駄目なんだよ。常世にだって女は居るだろ?」
「常世の女は子を成せんからじゃ。常世において夫婦は現世で死した子を養子にとる。それも稀じゃ」
まだ痛む頭をさすりながら、涙目で松山老人を睨む。
「響だって子供は産めねーだろ! 巫女ってのはその神様の嫁になる女の事なんだろ? 手形を持ってる響がその巫女だってんだろ!」
「……儂も、何故主上が響殿をお選びになられたか皆目わからんのじゃ」
松山老人は部屋をぐるぐる歩きまわり、髭を撫でながらぶつぶつひとりごちる。
「巫女と定められたその日から、互いに決して顔を見てはいかん決まりなのじゃが、ひょっとするとその辺りが関係しておるのかの……」
「それだ! 顔が見えねーから女と勘違いしてんじゃねぇのか!?」
「主上がそのような勘違いなどするわけがなかろう!」
「今じいちゃんだってそう思っただろ!」
「喧しい! 主上は何か到底儂らでは及ばん事をお考えなんじゃ!」
「こんの死に損ないじじい! ちったぁ分かりやがれ!」
「なんじゃと!? 尻の青いひよっこが知った口を聞くでない!」
境内でのんびり砂利に模様を描いていた響は、社務所から二人の怒鳴り声と暴れる音を聞いて急いで社務所へ駆け付けた。
社務所に着くまでにも怒鳴り声は続き、物をひっくり返す音、何かが壊れる音に割れる音、畳を激しく叩く足音。
駆け付けてみると、松山老人と涼が取っ組み合いの喧嘩をしている最中。箪笥や本棚は倒れ、床には湯呑みと急須の破片が散乱しており、それを踏んだ足で動き回ったのか畳に点々と血の跡。
二人は痣や引っ掻き傷でぼろぼろで、松山老人に至っては漆黒の着物が袴から殆ど飛び出してしまっている。
「ちょっと二人共! 何やってんだよ!」
響は慌てて二人を引き離し、獣のようにお互いを睨み付ける二人を何とか宥める。
「おい涼、いくらなんでも相手は老人だぞ」
響に取り押さえられ少し大人しくなった涼がまた暴れだす。
「老人だって! このクソ元気な死に損ないじじいに労りなんか必要ねーよ!」
「まだ言うか! まだ毛も生え揃っとらん餓鬼めが!」
とうとう松山老人が槍を持ち出したため、響はまだ暴れる涼を社務所から引きずり出した。
本殿の階段に座った涼は、響が桶に汲んだ水で湯呑みと急須の破片が刺さった足を丁寧に洗っていた。松山老人は足袋のお陰で足の裏に怪我はなく、擦り傷や切り傷を簡単に手当てし部屋を片している。
響が社務所から手拭いとサラシを持ってきて隣に座る。
「お前とお爺さんって似た者同士なんだなぁ。何であんな喧嘩したんだよ」
「……別に、何でもねーよ」
響は溜め息を吐いて涼の顔を覗き込む。
「なぁ涼、お前何そんなに苛ついてんだ?」
身を乗り出した響から金木犀の香りがふわりと漂い、涼の苛々指数は更に増す。
お前のせいだとも言えず、涼は黙って足にサラシを巻く。ちらりと響の顔を見ると、涼を見たまま少し淋しそうな顔をしている。
涼はサラシで幾分か太くなった足にスニーカーを押し込み、自分を呼ぶ響の声に聞こえない振りをして階段を飛び降りる。大きく背を反らし空を仰ぎ、澄んだ空気を肺いっぱいに取り入れる。
金木犀の香りをかき消すように。
「なぁ、涼ってば」
「あーあ! しかし本当何にもねーなーここは!」
「涼!」
涼を追って階段を降りた響が、誤魔化すばかりで話をしようとしない涼の肩を掴み無理矢理視線を合わせる。
「どうしたんだよ、変だぞお前」
「響だって変だろ!」
唐突に声を張り上げた涼に驚き、響は掴んだ手を放す。
「最近お前俺に隠し事ばっかして、前は全部話してくれてただろ! それにあんな……! ……違う、そんな事じゃねーんだ……わり、怒鳴って。飯作ってくるわ」
社務所に入る前に、ちらりと響を振り向くと、一人残された響はじっと涼の背中を見ていて、暫くすると本殿の陰に消えた。
それから涼は一度も響と目を合わさず、松山老人に言われるままひたすら社務所と本殿を掃除した。磨いても磨いても、輝くのは床ばかりで心は一向に晴れない。磨く場所も無くなり松山老人と本の読み解きの勉強をして、やがて夕暮れが訪れれば飯を炊き、響が本殿に入る前に冷えた風呂に入った。
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