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六 ③
松山老人には先に休むと告げ、響が本殿に入った事を確認してそろりと椅子を持って本殿に近付く。
丁度男が入ってきたところのようで、ぐっと首を伸ばして格子窓から覗き込むと男が響を抱擁していた。
その背に手を回す響の、嬉しそうな声が聞こえる。
「どうしたんですか? いきなり」
煌隆は響から離れると、座椅子に座りふうっと息をつく。扇子で掌を叩き、そわそわ足を揺らす。
「いや、すまん。まさか今夜も来るとは思わなんでな、嬉しくて、つい、な」
くすくす笑う響に、少しむっとした様子で煌隆は何かと問う。
「何でもないです。あの、そっちへ行っても?」
煌隆は腕輪を鳴らしこいこいと手を招く。響が正面へにじり寄ると、ひょいと抱えられ膝の中に収められた。煌隆の膝の中は酷く懐かしくて暖かく、また不意に思い出す。
幼い頃自分がどこに座って誰と過ごしていたのかを。
「やはり良く似合う。見違えるな」
響の腹に手を回し、しっかりと手を組み肩に顎を乗せ、漆黒の布の隙間から見えるのだろう響の姿に満足気に息を漏らす。
「煌隆が選んだんですか?」
「そうだ。将極とな。私はお前の顔が分からぬからあやつに相談した」
「嬉しいんですけど、裾が長くて歩き難くって」
響は伸ばした足をもぞもぞ動かしてみせる。余った裾がするする音を立てる。
「あちらの衣に短いものはないぞ」
「え、そうなんだ。煌隆も何かずるずるしたの着てますよね……」
「これはまだ簡単な方だ。政の際は大層面倒な衣を着せられる。重くてかなわん」
「あはは……大変だね」
時が来れば響もその重く窮屈な服を着せられると聞いて、笑いは引っ込んだ。今着ている寝間着だって、以前着せられたグリーンの衣よりはゆったりしているものの帯が苦しい。松山老人が締めすぎたのかとも思ったが、これが常世では標準らしい。
響は腹に回された手を握り、ぽつりと問い掛ける。
「……煌隆は神様なんですか?」
「そうだな、あちらに居るとついつい忘れてしまうが、そうらしい」
自分の事なのに他人事のように話すのは、それが煌隆の日常だからなのだと。
「じゃあ神様と結婚するんだ……わけわかんない」
肩の上に乗った頭が小刻みに揺れる。くすくす笑う煌隆が響の額を撫でて漆黒の布越しに響のこめかみに口付ける。
「面倒な儀式だが、響は黙って私の横に居れば良い……約束を思い出してくれて、嬉しいぞ」
「煌隆が思い出させてくれたんです。どうして煌隆に会うと、声を聞くと、幸せで涙が出そうになるのか、どうして離れると胸が苦しくなるのか、頭から離れないのか、全部分かったんです」
響は膝から降りて、煌隆と向き合う。膝で立って両手を煌隆の肩に乗せる。
煌隆は響の腰に手を回し、優しく引き寄せる。温かい手が響の頬を包み、目と鼻の先にある煌隆の顔は仰いでいて、漆黒の布越しでも響を見ているのが分かる。
「もう一度聞く。響、やがて約束の時が来るが、お前の気は変わっていないだろうか?」
「はい。変わらず、煌隆が一番……好きです」
私もだと答え、煌隆は親指で響の唇をなぞる。
響は漆黒の布の端を摘まむが、制止される。
「この布、少しも捲っちゃ駄目なんですか?」
「ああ……煩わしい決まりだろう。それも後僅かの辛抱だ。今はこれで」
煌隆は響の腰をぐっと引き寄せ、漆黒の布越しに探りながら、唇を重ねた。邪魔な布越しでも、その柔らかな感触と、痺れるように熱い体温が伝わってくる。
頭が、心が、痺れる。
もう他の総てがどうでも良い。
だってずっと、待っていた。この瞬間を。きっと自分はこのために、煌隆のために今まで生きてきた。
幼い「好き」は、響が忘れていた間もちゃんと育っていて、自分でも知らない間に何度も常世に会いに行っていて、気が付けば忘れていた記憶と共に想いは溢れた。
その時、本殿の外で何かがひっくり返ったような物音が響いた。続いて遠くに駆ける足音。
「何だろ?」
確認しに行こうとする響を腰に回った手が引き留め、もう一度口付けを求める。
「放っておけ。迷い込んだ獣が騒いでいるのだろう」
人の足音のように思えたが。
まさか誰も居ない境内で覗く目があるとも思わず、響はすぐに意識から弾き、暖かな腕の中で求められるままに口付けを返す。
「そろそろ戻らねばならん。響、お前が眠るまで傍に居ても良いか?」
響がこくりと頷くと、煌隆は響をまたひょいと抱え布団に降ろす。
額を撫でられれば、すぐに睡魔はやってきて、心地よい夢の中に落ちて行くのに時間は掛からなかった。
「おやすみなさい……」
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