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八 ④
煌隆は響の隣に並び、将極が前へ、秌は後ろに着いて一行は静静と歩く。
因に、二人の裾と裳があまりに長いため、後ろを行く秌とは随分距離がある。
祭事の露台に近付いているのだろう、段々と遠くに聞こえた喧騒が近くなってくる。
「……煌隆、凄く緊張してきた」
「案ずるな、お前はただ黙って私の側に居れば良い。民衆から何か言われても、何かする必要は無い」
「うん、分かった……」
屋敷から大きく張り出した露台は、幾分下にある広場を見下ろす格好で、広場には民衆がひしめいている。喧騒は四人が現れるとぴたりと止み、人々は一斉に平伏する。
何だかちょっと、異様な光景。
煌隆は響の背に手を添え、露台の縁まで歩く。露台の縁は背の低い柵がぐるりと囲んでいて、一応踏み外して落ちる心配は無いが、ふらりと姿勢を崩せば広場に真っ逆さまだ。
煌隆は大きく息を吸い込み、良く通る透き通った声で話し出す。その声は町の隅々まで響き渡るようで、間近で聞く響の耳にも決して煩くなく心地よい。
「皆、面を上げよ。今日ここに、我が妻となる者との婚儀に集まってくれた事に、まずは感謝する」
声を聞いた人々は皆、手を合わせ、老人に至っては感極まって涙している。
集まった民衆の様子を見て、響は改めて煌隆の地位の高さを感じた。
本当に神様なんだなぁ。
暫く煌隆の演舌があり、それが終わると徳利と盃を乗せた三方を持った官人がそそくさと二人の前に跪き三方を掲げる。
煌隆が徳利を取り、盃に中身を注ぐ。盃を響に持たせ、こそこそと耳打つ。
「三回で飲み干し、次は響が私に注いでくれ」
言われた通り三回でそれを飲み干す。が、それは酒だったようで喉がかっと熱くなった。むせそうになったがどうにか堪えて煌隆に盃を渡す。注いだ時に少し溢してしまったが、官人が無言で素早く拭いてくれた。
煌隆も同じように飲み干し官人が捌けると、民衆に向き直り声高に叫んだ。
「ここに我が妻となった者の名を、媛响 と号す!」
民衆からどっと歓声が溢れる。
「新后妃様」
「后妃様万歳!」
民衆の歓声と熱気に当てられ、響は一歩下がりよろめく。服の重さに倒れかけたが、すかさず煌隆が支えてくれた。煌隆は響を連れて露台の脇まで行き、そこに用意してある椅子へ座らせる。
「今暫くここで待て」
響の耳元で優しく囁き、煌隆は露台の真ん中へ戻った。
その後は将極を始めとする官吏達が何か儀式的なものを執り行い、それが終わると民衆による歌や舞いなどの祝賀、屋敷から酒が振る舞われ、広場は大盛り上がりとなった。
何だか映画でも観ているような光景だ。本当に自分がここの一部になったなんて、こうして自分が喝采を浴びてもやっぱりいまいち実感に欠ける。
きっと常世での生活が長くなれば、実感もついてくるのだろう。
「媛响様、さ、もう戻れますよ」
そろりと側に来た秌から、早速媛响と呼ばれた。これからはその名で呼ばれるようになるのか。
「良いんですか? まだ皆盛り上がってますけど……」
「良いのです。後は主上にお任せして、少し休みましょう。主上のご指示にございます。」
響は民衆から見えないように秌と露台を離れた。離れる時に煌隆がちらとこちらを見て、早く行けと合図する。
完全に露台が見えなっても、着替えの部屋へ戻って来ても、歓声はまだ届く。
女官達がぜいぜい言いながらやっと着替えが終わると、ようやくほっと一息ついた。隣の部屋へ移り座椅子に座り、秌が用意してくれた水を一気に飲み干す。
「少し、眠っても良いですか?」
「どうぞ、ごゆっくり。掛けるものを用意致します」
畳に転がり目を閉じると、すぐに歓声も遠くなって行った。
宴も酣の中、響の様子が気になった煌隆は屋敷内に戻ってあちこち部屋を覗き歩いていた。
「主上。いかがなさいました?」
歩き回っていると、盆に水差しを運んでいる秌に声を掛けられた。
「秌、響の様子は?」
「今、お休みになっていらっしゃいます。起こしてまいりますか?」
「いや、良い。寝かせておけ。起きたら私のところへ連れてまいれ」
ふわりと微笑んで煌隆は露台へ戻って行った。
部屋に戻って来た秌は、水差しを女官に渡し、響が起きたら自分に教えるよう言い残し、今のうちに雑務を済ませてしまう事にした。
ところが。
もう何時間経ったろうか。待てど暮らせど一向に誰も何も言いに来ない。不審に思った秌は早足で響の眠る部屋へ向かう。
外もすっかり暗く、露台もしんと静かだ。
響はまだ寝ているとして、煌隆から何も無いのはちょっと変だ。響がこちらに来て以来いつも落ち着きが無かったのに。
思いながら何度目か角を折れると、角から現れた将極とぶつかりそうになって足を止める。
「宰相様。婚儀は終わったのですか?」
「少し前に。どうした? そんなに急いで」
「あの、主上はどちらへ?」
「それが、主上は酔って眠ってしまわれた」
「え……主上が?」
聞けば煌隆は随分酒が進んでいたそうで、とうとう酔い潰れてしまい、今寝室へやっと連れていったところだったのだとか。煌隆が酔い潰れるなんて、一体何百年振りだろう。
「……媛响様と無事夫婦となれたのが、余程嬉しかったのだろう。して、その媛响様は? とんと御姿を拝見しないが」
自分も今様子を見に行く途中だと告げると、将極も一緒に部屋へついてきた。
襖を開けると、困った顔をした女官の隣でぐっすり眠る響の姿があった。
女官の話では、一度も起きる事なくあれからずっと眠っているらしい。
ひょっとしてどこか悪いのではと、将極が顔を覗いてみるが、その表情は幸せそうで寝息にも問題ない。恐らく、慣れない事ばかりで酷く疲れてしまったのだろう。仕方がないのでこのまま寝室へ運ぼうと、将極はひょいと響を抱き上げる。
女官達が、将極の手を煩わせるわけには行かないと止めたが、自分も居室へ戻るからついでだと言い通した。
響は眠ったまま将極の首に手を回し、頬をすり寄せて来た。
「煌隆……」
将極を愛しい人と間違い、その名を呟く姿に、思わず頬が緩む。
いかん、いかん、自分は官人一厳格な事で知れている。こんな些細な事で笑みを溢すなどあってはならない。
と思いつつも、緩んだ頬は戻らない。
横から秌の溜め息が聞こえる。
「全く、主上も宰相様も、今度の巫女には随分甘い事で」
自分の仕事が無くなってしまうと、秌が唇を尖らせる。
秌の主な仕事は后妃自身とその身辺の世話。ここ百幾年、その対象がなく空っぽの部屋の掃除や畑違いの雑務しか仕事がないのは虚しいものだった。彼女の部下に至ってはまるで仕事が無く、随分数も減った。
それがやっと巫女がやって来たにも関わらず、何かと二人がでしゃばってくる。おまけにまだこちらの生活に慣れない響は自分で何でもやろうとする。
自分だって新しい后妃の世話をしたくてたまらないのに。
「それはすまん。媛响様を見ているとついつい世話を焼きたくなってしまう」
「まぁ、お気持ちは分かりますけどね。私共の仕事も残しておいて下さいまし」
真っ直ぐ煌隆を想う姿はとてもいじらしい。
今の現世では人々が主にどのような人柄なのか知らないが、響は謙虚で素直で好ましいと思う。
さぁ、あまり長く立ち話をしていては響の体に障る。将極は程々に話を切り上げ、出来るだけ歩みの揺れが響に伝わらないよう静かに歩く。
寝室に着けば、布団に寝かせた響から衣を静かに脱がせ、灯りを消してそろりと襖を閉めた。
将極は自室に戻る前に煌隆の寝室をちらりと覗いてみた。煌隆はそれは深く眠っているようで、起きる気配は微塵もない。
本来は婚儀の夜に顔合わせをするものだが、二人ともこのぶんでは明日になりそうだ。
明日、か。
無事に済むといいが。
どうかあの素直で美しい響が悲しむような事の起こらないように、この十年暖めてきた互いの気持ちが水泡と帰さぬように。
将極は廊下の窓に切り取られた狭い漆黒の空に願う。
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