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九 ②
学校が終わり真っ直ぐ神社へ戻って来た涼は、やっと着方を覚えた袴を四苦八苦しながら着る。
社務所から出て境内をぐるりと回り、祖父の姿を探す。
「へー、結構似合ってんじゃん」
無理を言って着いて来た華が、鳥居の外から声を掛ける。
「じいちゃん居ないみたいだな。どこに消えたんだ。そこに突っ立ってんのもアレだし、中入る?」
華が境内を覗きそわそわしていると、背後から枯れ葉を踏みしだく音がして振り向いた。
「こりゃ。お前さんまた来おったのか」
「俺が連れて来たんだ、ってじいちゃん! 何だそれ!?」
松山老人が背負っている物に気付き、涼は青ざめて指差す。松山老人はホッホと笑い仕留めた獲物を自慢気に背負い直す。
「お前もたまには肉が食いたかろうと思うての。良い猪がおったわい。そら、少し早いが自然薯も掘ってきたぞい」
涼にも捌き方を教えてやると笑顔で言われたが、慎んで辞退した。
「なぁじいちゃん、こいつ中に入れて良い?」
「……そうさな、本来はよせと言うところじゃが、今は主上の耳におなごの声は入らんじゃろう」
女の声を聞いて来れるもんなら来てみろってんだ。響を置いてほいほい女を見に来るようなら、どんな手段を使ってでも響をかっ拐いに行ってやる。
常世へ行く方法なんて知らないけれど。
お許しが出た華は境内に進み入り、おずおずと声を出してみる。何も変化は無く、安心して仕事をする涼に話し掛ける。
「あんたさ、おじいさんの仕事継ぐの?」
「そのつもりだけど」
何故と聞かれ本殿の床を拭く手を止める。
実は、使命感に駈られたわけでも何でもない。神と巫女の事を知りたくて松山老人から勉強するうちに、何となく守りの者の仕事を習い、何となくここを継いでも良いかな何て最初は考えていた。
それでも、一度守りの者として神社へ住むようになれば山を下りられない事、子孫を残さねばならない事等がずっと引っ掛かっていた。
決定打は、響の言葉。
響が神と結婚し常世へ旅立つと聞いて、神社に入る決心をした。それは完全に下心から来ている。
ここで守りの者を続けていれば、いつか響に会えるかも知れない……
「いつからここに住むの」
松山老人が解体した猪の肉を、嫌な気持ちで見ていると横からまた華が聞いてきた。
最初は嫌だ嫌だと猪を拒否していたのに、猪がただの肉の塊になると何の躊躇いもなく松山老人の指示に従い下処理を済ませ切り分けている。
女って凄い。
「さぁなー、まだ習わなきゃいけない事が山ほどあるし……俺の後もまだ居ないし」
「後?」
「……後継ぎ」
「ああ……そっか、涼で終わりってわけじゃないもんね」
事情を知ってしまうと、父親の決定に賛同できなくなった。神社を朽ちさせる訳にはいかない。
涼は猪を華に任せ、鍋の出汁の下拵えにうつった。果たして、出来上がった鍋を口に出来るだろうか。
「ねぇ涼、あの……さ」
「風呂がわいたぞい! 後は儂がやるからどっちか入りなさい」
息を飲んで華がやっと絞り出した声は、勢い良く裏口を開けて入ってきた松山老人の陽気な声にかき消されてしまった。
出鼻を挫かれてしまった華は、溜め息を吐いて先に風呂を頂く事にした。
さて、三人風呂を済ませ、鍋を囲む。
華と松山老人が猪肉をうまいうまいと頬張る横で、涼は野菜だけよそって食べる。
「どうした涼、猪は好かんか?」
と松山老人が眉尻を下げるが、肉は大好きだ。ただ肉塊になる途中経過を目の当たりにしたもんだから中々箸が進まない。ようやく一切れ肉を取り、涼は本題に入る。
別に、鍋を囲んで団欒する為に無理を言う華を連れてきたわけではない。
「なぁじいちゃん、あいつ……神様はこっちに来る事出来るんだよな」
「なんじゃ? 突然。色々条件はあるが可能じゃ。お前も話したろう」
「じゃあ響……常世に行った巫女がここに来るのは?」
途端松山老人は箸を止めて沈黙を落とす。
「別に、響に戻って来て欲しいわけじゃねぇんだ……その、俺じゃおばさんにウマイ事言えないから……」
「あの、おじいさん。あたしも大河と話したい事いっぱいあんの。神様の嫁に行ったとかワケわかんないけど、一応友達だったんだから、ちゃんと大河の口から話が聞きたいの。何か方法無いの?」
言い淀んだ涼にかわり、夢中で猪を頬張っていた華が口を挟む。
松山老人は髭を撫で、遠く視線を彼方へ馳せる。
「……方法はある。儂が口を聞いてやれる。じゃが、響殿……少し前にお達しがあったが、今は媛响様とおっしゃる。が、こちらへ来られるかどうかは儂にも分からん」
松山老人によると、守りの者である松山一族は生身のまま常世へ行く事が出来るらしい。勿論涼はその方法を請うたが、まだ半人前の涼には教えられない、と。どうしてもと言うならば、自分が常世へ赴いて話してやっても良いと。
けれど守りの者は常世で煌隆の統べる官吏と違い、極々底辺の使者だから松山老人の言が煌隆まで届くかはわからない。
いつかのようにこちらへやってきた煌隆と直接話せる機会があれば話は早いが、響との婚儀を済ませた今となってはそれも難しいだろう。
「主上が有無を仰られんと、媛响様も身動きは取れんじゃろうからの」
涼は話の勢いで猪肉を口に詰め込んで噛みながら話す。
「いつになっても良いから、じいちゃん話つけて来てよ。正直、俺の口から死んだなんて言えねぇから、おばさん直接響と話して欲しいんだ。良いだろ?」
「まぁ……今回は随分急じゃったからの、母親が納得せんのも無理はないと儂も思う。今度むこうへ手紙は書いてやるが、あまり期待はせんでおれよ」
言って松山老人は食事を再会する。華も一つ頷き、返事があった時は是非自分にも知らせて欲しいとだけ言ってまた肉に戻る。涼も渋々と言った様子でまた肉を頬張る。
「……じいちゃん、猪ってウマイんだな」
「鹿もウマイぞ! 今度は鹿を獲ってきてやろう。お前にもそのうち捕り方を教えてやるからの!」
横で嬉しそうにはしゃぐ華と違い、涼はげっそり聞いた。
確かに初めて食す猪は旨かったが、自分で獲って食べようとはちょっと思わない。それなら野菜と山菜で充分だ。それも神社へ入り、禁欲的な生活を強いられる事になれば変わってくるのだろうか……ルール違反だが、未来のパートナーに肉くらい届けて欲しい。
「ねぇ、大河と連絡つくまであたしもここに通って良い?」
食事を終え、後片付けの途中でそう言った華に松山老人は勿論猛反対したが、響がこちらへ来てから山を登ったのでは遅い。わざわざそれを伝えに涼を寄越すのも二度手間だ、と言い張る華に、とうとう負けて首を縦に振る事となった。
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