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十 ②

 将極が煌隆の私室に戻ってくると、御簾の向こうでだらりと寝ている輪郭があった。御簾を上げると寝返りを打ってこちらに体を向ける。 「……響は」 「居室で休んでおいでです」  こんな事態にならないようにと願っていた将極は、自然声に棘を含む。 「将極、お前知っていたな」 「主上以外は皆存じておりました」 「何故一度も言わんかった!」  煌隆は勢いをつけて起き上がり、誰一人自分に進言しなかった事を責める。  勿論こんなものは只の八つ当たりでしかない事くらい理解している。何度も気付くきっかけはあったのに、それに気付かず浮かれていた自分が悪い。しかしそれでも、自分の落ち度を誰かに転嫁せずにはいられない。 「……お前がもっと早く私に言ってくれていれば」 「婚姻はしなかったのに?」  将極が科白の続きを拾うと、煌隆は激怒して立ち上がる。 「するに決まっておろう!」 「へ?」  すっとんきょうな声が出てしまい、将極は咳払いをして誤魔化す。 「私が言っておるのはそう言う話ではない! 響が男だともっと早くに知っておれば、女物の衣を贈る事も、名に女の字を使う事も無かったのだ! ああ、今更どうすれば良いのだ。改名などすれば民衆に猜疑を持たれてしまう」 「で、では主上、先程の媛响様に対する態度は……」 「己の間抜けさに言葉を失っただけだ。響も響だ、何故一度も自分は男だと私に言わずにおったのだ……今だ黙って女物の衣を纏い、女の名にも文句を言わない。ああ、それで一層、愛おしいのか」  ぐるぐる歩き回りながら煌隆はぶつぶつ続ける。煌隆の言う「女の名」とは「媛」の字を指すが、これは響は知らない事だ。  ただ響だけが、常世の、煌隆の日常を掻き乱す。  響を拒絶したわけではないと分かった将極は思わず、ほっと口の隙間から息が洩れた。次いではっとし部屋の襖を開き煌隆を促す。 「媛响様は主上に拒絶されたと泣いておいででした。早く、勘違いだとお知らせしてあげて下さい」  それを聞いた煌隆は急ぎ足で部屋を出た。  響を泣かせてしまうとは、配慮が足りない。高い椅子に座る事に慣れ、それが長くなると他人への気遣いをだんだん忘れて行ってしまう。 ああ、早く響を安心させてやりたい。  くねくねと曲がった廊下に悪態をつきながら煌隆は響の居室へ急いだ。  そろりと襖に隙間を作り、そこから声を掛けてみる。返事が無い事に不安が胸に落ちた煌隆は、静かに襖を開け放つ。しかし部屋には其処此処に灯った行灯と燭台、それに冷めた茶があるだけで、部屋の主の姿は無い。  窓辺に活けられた花が風に煽られ花瓶ごと床に落ちた。素早く駆け付けた将極に手を振り、何でも無いと。散乱した破片を片付ける将極を残し、煌隆は隣の寝室を覗く。  居た。  常夜火が入れてある行灯の灯りに照らされた響が、寝間着にも着替えず布団も被らず、寝息を立てている。煌隆は襖を閉め、そろりと愛しい人に近付く。  傍らに腰を下ろし額を撫でれば、行灯で橙に染まる頬には涙の跡が伺えた。  全く、后妃の世話の為に住まう女官達は何をしているのだ。こんな格好のまま響を寝かせて。  額をゆるゆる撫で続けていると、寝入る響の顔が僅かに綻ぶ。  そうだ、女官達を責めても仕方がない。響をそうさせたのは自分なのだから。 救いようのない浅慮よ。  はじめから響の性別など取るに足らない小さな事だったのに。幼い時分に煌隆と結婚すると言い、再会した響の余りに柔らかい雰囲気に、勝手に女だと決め付けそれを確認する事さえしなかった。それに、響への好意を隠しもしなかった涼の存在も、それに加担した。 「……響、響」  煌隆は細い体を抱き上げ、額に唇を押し付ける。  口の隙間から息を漏らした響がうっすら瞼を上げる。寝惚けた瞳はゆるゆる動くと煌隆を捉え、目尻に涙がにじむ。 「……煌隆……ごめんなさい」 「何を謝る」  響は寝惚けたまま、舌ったらずの調子で続ける。 「オレが……女の子に生まれて、来なくて……がっかりさせて……」  ここで初めて、煌隆は響の口から「オレ」と自身を呼ぶのを聞いた。あえて言わずにおいたのか、それとも単にその必要がなかっただけなのか、煌隆にはわからない。 「私は落胆なぞしておらぬ。謝罪を述べねばならんのは、私の方だ」 「どうして……?」 「私の勝手な思い込みでお前に無理をさせた。それに、浅慮な言動で傷付けてしまった」  女物の服や、名の事を謝る。だがそれに響はふるふる首を振り微笑む。 「そんなの、ちっとも気にしてません……煌隆がくれるものなら、何だって嬉しい……」  響は重い瞼を閉じながら続ける。熱に浮かされたように、朦朧として。余程眠いのだろう。まだ常世へ来て日も浅い。何だかんだで疲労が溜まっているのだろう。今回は自分もそれに加勢してしまった。 「煌隆……好き……嫌いにならないで……」  それは目の前の煌隆に向けられたものではなく、祈るような願い。  煌隆は響を強く抱き締め、耳元で囁く。 「響……嫌いになる筈がなかろう。私の一番も、響唯一人なのだから……」  返事は無く、かわりに寝息が聞こえて来た。煌隆は響を離し、襯衣を残し沢山の衣を起こさないよう慎重に脱がせる。布団を掛けてやり、自分も隣に寝そべりその寝顔を眺めていると、何だかうとうととしてきたようで。 畳に直だと言うのに、そのまま眠ってしまった。

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